同じソラの下
ガシャン

テニスボールが当たり、フェンスが大きく揺れる。
"またか…"と言うように、桃城は溜め息をついた。

「おい、越前」

そのボールを打った越前に視線を移すと、越前はラケットをフェンス脇に立てかけていた。
そして桃城の脇まで来ると、小さく呟いた。

「走ってくるっス」
「おい、越前!」

桃城の言葉など聞こえないかのように、越前はそのまま走り出した。
桃城は何か声をかけたいのに、何も言えない自分が腹立たしかった。

「おい、桃城」

そんな二人のやり取りを見ていた海堂が、脇のコートでから桃城に声をかける。

「越前の奴、どうしたんだ?今週に入ってから、ずっとあんな感じだぞ」
「あぁ…」

越前が長崎から帰ってきてから4日が経っていた。
詳しい事情は桃城も知らないものの、越前の荒れたテニスの理由が手塚である事をうすうす感じていた。だからこそ、桃城は越前に深く聞けないでいた。その事で、今まで以上に越前が傷付く事を恐れていたのだ。
しかしこのままでは、本当に越前は参ってしまう。

「どうにかしないとな…」

それは何よりも越前の為であった。



部活が終わり、越前はテニスバックを担いでとぼとぼと歩いていた。

「おい、越前」

顔を上げると、自転車に乗った桃城がいた。

「なんっスか?」
「いいから、後ろに乗れよ」
「えっ?」
「越前」

桃城の真剣な面持ちに、越前は観念した様子で自転車の後ろにまたがった。

どんどんスピードを上げつつ、道路を走る自転車。
桃城は意を決す様に口を開く。

「なぁ、越前」
「なんっスか?」
「お前、手塚先輩に会ってきたんだろ?」
「……」

越前の無を肯定と判断し、桃城は再び口を開く。

「越前、お前はなんの為にテニスをしてるんだ?」
「えっ?」
「好きだからやってるんじゃないのか?それを手塚先輩がどう関係してるか分からねぇけど、そんなのでダメにしてどうするんだ?」
「なっ…。桃先輩に一体何がわかるって言うんスか!?」

信頼していた人物からの裏切りとでも言うべき言葉。

「すまない、越前…」
「青学の事は頼んだぞ…」

手塚が言ったあの言葉が今だ耳から離れない。
その事をどう桃城に説明していいのか、越前にはわからなかった。
それ以上言葉を続けない越前に、桃城は口を閉じたまま自転車をこぎ続けた。



キィーと音を立てて自転車が止まった場所は、ストリートテニス場だった。
以前、桃城とダブルスを組んだ際、一緒にプレイした場所だ。

「桃先輩?」
「行くぞ」

そう言って階段を上っていく桃城のあとを、越前は仕方なく付いて行く。

「おっ、来たみたいだな」

桃城と越前に気付いた神尾が手を上げた。ベンチにはストリングの調子を見ている伊武と杏が座っている。
三人の前に来ると、桃城はテニスバックを肩から下ろした。

「よっ、悪いな」
「ううん。練習相手には勿体無いくらいだから、こっちは大歓迎だよ」

桃城と杏のやり取りから、桃城がこの三人をここに呼んだ事が窺い知れる。
そしてこれから何が行われるかも…。

「桃先輩、はめたっスね?」

明かに不機嫌な越前を、桃城は肩をすくませる。

「文句はあとで聞いてやるから、ダブルスやるぞ」

きっと拒否権など自分にはないだろうと思った越前は、仕方ないと言った風にテニスバックを置き、帽子をかぶりなおした。

「今回だけっスからね」
「あぁ」

予想以上にすんなりと承諾した越前に、桃城は少しだけ胸をなでおろした。



「モモシロ君。越前君、大丈夫?」

ストリングの調子を見ている越前をちらっと見ながら、杏は桃城に小さな声で話しかける。
部活を終え、これから帰ろうと言う時に桃城からメールが届いていた。
詳しいないような聞かされていないものの、越前の為だと言われ、神尾と伊武をこのストリートテニス場に連れて来たのは杏だ。
直接会った越前からは以前の覇気が見受けられず、杏は心配していた。

「あぁ、きっと大丈夫だ。じゃあ審判頼むな」

「オッケー。任せてよ」
不安は消えないものの、桃城の言葉に杏はいつものような笑顔で答えた。

「サーブ モモシロ君・越前君ペア」

杏の声を合図に桃城がサーブを打つ。桃城の重い打球を伊武が拾うと、逆クロスに打ち込む。すかさず越前がそれをドロップショットで返す。

「リズムに乗るぜ!」

そう言うと神尾はコートの隅にリターンした。

「まかせろ、越前!」

すぐさま動いた桃城だったが、あと一歩と言う所をボールが掠めた。

「0-15」
「ちっ。あと少しだったんだけどな」

渋い顔をする桃城に、越前は"次はこっちがキープしますよ"と言って、ポーンポーンとテニスポールをつき始めた。



「ゲームセット!」

杏の声がコートに響く。
1ポイントは取ったものの、結果は越前・桃城ペアの惨敗だった。

「どうだった?」

缶ジュースを差し出しながら、杏が越前に聞く。
越前はそれを左手で受け取ると、小さな声で答えた。

「ダブルスじゃなかったら…」

悔しそうに言う越前に、杏はくすっと笑う。

「何が可笑しいんっスか?」
「ごめん、ごめん。でもね、越前君。多分、シングルスでやっても結果は変わらないと思うよ?」
「どういう事っスか?」

確かに、越前は本来シングルスしかやらず、桃城がどんなにダブルスの腕を上げても、二人のコンビの相性は最悪だった。しかし杏は理由はそれだけじゃないと言う。

「あの二人ね、本当に成長したんだよ?ダブルスでもシングルスでも、どっちでも通用するぐらいにね」

何も言わない越前に"どうしてだか分かる?"と聞くと、越前は首を横に振る。

「兄さんがね、九州に帰っちゃったの」
「えっ?」
「別にこっちに不満があったって訳じゃないのよ?だけど高校は九州の学校に進学するって。私は知ってたけど、神尾君とかは全然知らなくて、兄さんが卒業してから知ったの」

そこまでで言葉を切る杏に、自分と近いものを感じた。
誰にも言わず、遠くに行ってしまった手塚。
その時、置いてかれた者はどうすればいいのだろうか…。

「だけどね、越前君。兄さんは、皆を信頼してたから誰にも相談しなかたのよ」
「えっ?」
「信頼してたからこそ、2年後インターハイで会おうって。それが兄さんから皆への伝言だったの」
「だから、俺らは今を頑張ってるんだ」

いつの間にか近くに来ていた神尾がそう付け加えた。

「それに、いつまでもくよくよしてても仕方ないんじゃない。大体、人の人生なんて人それぞれなんだからさ。そんなのも分からないの?君も案外、馬鹿なの?神尾みたいに…」

ボソボソと言う伊武に、神尾は"俺みたいってのは余計だろ!"とツッコム。
それは今まで悩んでいた事を一刀両断されたようだった。
どうしてこの人達はためらわずに言えるのか。
そう聞き返したい気持ちもあったが、越前にもそれはなんとなく理解できた。

「だとよ、越前。お前はどうするんだ?」

桃城に肩を叩かれ、越前はちらっと桃城の顔を見る。

「本当に、皆お節介なんだから…」

そう言って帽子を直すと、越前は生意気に笑った。
そして片手でラケットを持つと、伊武と神尾を指した。

「取りあえず、この借りは返させてもらいますよ。勿論、試合でね」

一瞬固まった二人だったが、神尾はにやっと笑った。

「あぁ、やれるもんならな」

神尾の言葉に越前はうなづき返した。
そして越前からの挑戦状を受け、脇にいる伊武は再びブツブツと呟いた。

「本当に可愛げないよね。そう言う事言ってると、またぶっ倒すよ」
「出来るものなら、どうぞ」

そう言う越前の瞳からは、もう迷いは感じられなかった。





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