同じソラの下
季節は春。手塚達が卒業して行ってから一ヶ月ちょっとが経っていた。
去年の夏、手塚率いる青学テニス部は全国へと行った。
辛く苦しい戦い。それでも頑張れたのは、信頼できる仲間が居たからだろう。
そんな先輩達の居ない部活は、少し物寂しくもあった。
しかし新しく部長となった海堂や、それをサポートする副部長の桃城。
そして荒井や林といった準レギュラー達が、新しい青学テニス部を作るべく、一生懸命なのは傍から見ても一目瞭然だった。新入部員達の指導にも余念は無く、なんとも頼もしい先輩に進歩していた。
その事を含め、桃城達に不満があるわけではない。
だけど越前の心は浮かない。何故なら、あの人はもうここにいないのだから…。



なんの連絡も入っていない携帯電話の画面。それは1時間前となんの変わりも無い。
越前は小さな溜め息をつくと、その携帯電話をポケットにしまった。
それが日課であるかのように、越前は休み時間の度に携帯電話を見る。そして溜め息をついて、ポケットにしまう。それの繰り返し。
それが始まったのは手塚達が卒業していった少し後、春休みに入ってからだ。

俺のことなんて、どうでもいいのかな。

何度、心の中で繰り返したか分からない言葉。その度に、越前の胸は痛む。
たった一言の言葉が欲しい。ただそれだけの事なのに、それは中々叶う事は無かった。
越前は再び溜め息をつくと、教室に戻る為に階段を上ろうとした。
その時、誰かが自分の名を呼んでいる事に気が付いた。

「桃先輩?」

振り返った先には、ヤキソバパンを5つほど抱えた桃城が立っていた。
桃城はほっとしたように笑みを浮かべ、近づいてくる。

「丁度よかった~。今からお前の所に行こうと思ってたんだ」

そして桃城は越前の脇に並ぶと、同じテンポで歩いた。

「なんか用、あったっスか?」

仲のいい越前と桃城といえ、二人が部活以外の所で話をするのは珍しい。
ましてや、自分に用があって桃城が尋ねてくる事など、今までに数えるほどしかない。

「あぁ、まぁーな」

桃城の曖昧な態度に越前は首を傾げるが、何か大切な話なのだろうと特に深く追求はせず、越前の教室に向かった。

窓際の1番後ろの席、そこに越前が腰を下ろすと、桃城はその前の席に座った。そして越前の机にパンを置くと越前に1つ勧めた。それから自分は袋からパンを取り出すと、ぱくぱくと食べ始めた。
パンを食べてばかりで一向に話をしない桃城を、越前はじっと見つめた。その視線に気付いた桃城は、パンを手に持ったまま、口を開いた。

「越前、手塚部長と何かあったのか?」

予想もしなかった言葉に、越前の顔は一瞬にして曇った。そんな越前を見て、桃城は「やっぱりな」と納得したように呟いた。
越前と手塚は付き合っている。それは一部の者だけが知っている事だった。
越前は先ほどしまった携帯電話を出すと、机の上に置いた。パールホワイトのそれは、日差しを浴びてキラキラと光った。

「少し前から、先輩と連絡がとれないんっスよ」

連絡がとれない。正確には、手塚からの連絡が殆ど無いと言うべきであろう。
学校推薦で進学を決めた手塚だったが、推薦で合格したからと言って浮かれるのではなく、真面目に勉強に取り組んでいた。それは越前も十分に理解していた。
部活をしている自分と勉強をする手塚。
自然と二人の時間は少なくなっていくのも仕方の無い事だと思っていた。
だからこそ、たまにするメールが何よりもの楽しみだった。
それが春休み頃から、極端に減ったのだ。
始めのうちは忙しいのだろうと自分に言い聞かせていた越前だったが、それだけでは説明できないほど、手塚からの連絡は日に日に減っていった。
以前なら、どんなに遅くなっても返事が返って来たのに対し、ここ最近は殆ど無い。
深刻な顔をする越前を見て、桃城はらしくないと思った。桃城の知っている越前は、いつも生意気な口をきく弟のような存在なのに、今は捨てられた子猫のようだ。

「まぁ部長も忙しいんだろ?いくら地元とは言え、高校生になると色々あるだろうし。そんなに心配すんなよ。お前らしくねぇぞ!」

そう言ってバシッと越前の背中を叩くと、桃城は越前に対して笑いかけた。
一方越前は急に背中を叩かれた事に驚き、そして桃城の馬鹿力で叩かれた所がもみじの様に真っ赤であろうと思いつつ、叩かれた所ををさすった。

「俺は桃先輩と違って、デリケートなんっスよ」
「何を~!俺のどこがデリケートじゃねぇって言うんだ!?」

立ち上がりそうな勢いで越前に聞くと"そう言う所っスよ"と言って、いつもの自信有り気な顔で越前は笑った。
その笑みを見て、桃城は少しだが安堵した。



「じゃあ、1年生はコート周りを10周マラソンな」

放課後、桃城の声がコート中に響き渡る。
本来、新入部員の指導は部長である海堂の役目なのだが、海堂があまりにも表情が硬く用件のみをあの低い声で言った結果、怒っていると勘違いされたあげく怯えられたので、1年生の指導は副部長の桃城の役目となったのだ。
桃城が1年生達が走って行くのを見送っていると、遠くから聞き慣れた懐かしい声が聞こえてきた。

「桃~、海堂~、おチビ~」

振りかえった先には、たったったっと走ってくる菊丸と大石の姿があった。桃城はコートから出ると、二人に近付いた。

「よっ、元気にしてたか?」

桃城の前に来るとピースサインをバシッと決め、菊丸はにこっと笑った。

「お二人共、お久しぶりっす!」

卒業してから、一ヶ月しか経っていないのだが、本当に久しぶりにあったかのように桃城は頭を下げた。それと同時に"英二先輩は全然、変わってないなぁ~"と懐かしさがこみ上げてきた。
その少しあとから歩いてきた大石は、コートの様子をしばらく眺めると、嬉しそうに笑った。

「結構、1年生も入ったみたいだな。指導も行き届いてるし、頑張ってくれてる様だな」
「そんな、先輩達に比べたまだまだっすよ」

前副部長である大石に誉められ、桃城は照れ笑いを隠せない。そんな照れ笑いをする桃城の脇に、二人の存在に気付いた越前がひょっこりと顔を出した。

「ちぃーす」
「おチビー、少しは背伸びたか?」

一ヶ月程度しか経ってないのだから、そんなに背が伸びるわけも無いのに、菊丸は帽子の上からぐしゃぐしゃと頭を撫でた。それに対して越前は"余計なお世話っス"と反論をするが菊丸はさらに頭を撫でようとする。
そんな二人を見ていた大石だが、"そう言えば…"と言って桃城の方に向き直った。

「桃城、竜崎先生にも挨拶をしたいんだが、どこにいるか分かるか?」

桃城が居場所を告げると、大石は菊丸をコートに残し足早にその場から立ち去った。
そんな大石の礼儀の良さに、桃城達は関心する。

「本当に大石先輩も、真面目っすね~」
「大石のあれは、手塚並だからな」

菊丸は納得した様に頷く。

「そう言えば英二先輩。手塚先輩達は、どうしてるっすか?」

桃城の予想しなかった発言に、越前は目を丸くした。きっと越前の口からは聞かないであろうと思い、桃城は同じ学校に通っている菊丸に聞いたのだ。

「あ~、そうそう手塚ねぇ~。あれには、本当に驚いたよなぁ~」
「何がっスか?」

菊丸の意味ありげな発言に、越前は菊丸に視線を移す。

「やっぱりお前等も聞いてない?手塚の事…」



越前は菊丸の言葉を聞くと急いで、手塚の家に向かった。部活のジャージも着替えず、鞄も持たず、ただひたすら走った。

『本当、手塚も水臭いよなぁ~。俺等に内緒で九州に行っちゃうなんてさ』
『どう言うことっスか、それ!?』
『俺等もよくわかんないんだけど、九州の高校に進学したんだよ。手塚の奴』
『手塚部長がですか?』
『そう。あっ、でも不二は知ってたっぽいんだよなぁ~。同じ学校に進学したわけだし…』

菊丸から聞いた言葉が頭の中を駆け巡る。いくら手塚が、皆に九州の高校に進学する事を言っていないとはいえ、恋人である越前にそんな大事な事を言わないわけはない。大石の礼儀の良さに、桃城達は関心する。
しかし、その話が本当なら全てに合致がいく。中々連絡がつかない訳や返って来ないメールの謎が…。

俺は、あんたからなんも聞いてないっスよ…。

手塚を信じたいという気持ちと、菊丸の言葉が越前の心を締め付けた。



越前は手塚の家の前に着くと一度深く深呼吸をし、息を整えてから振るえる指で呼び鈴を押した。呼び鈴の音が少し木霊し、それからガラガラっと引き戸が開き、手塚の母である彩菜が顔を出した。

「あら、越前君。どうしたの?」

以前、会った時と同じ様に振舞う彩菜を見て、越前は困惑した。
もしかしたら、菊丸の言った事は全て嘘だったんじゃないかと…。大石の礼儀の良さに、桃城達は関心する。

「どうも。あのっ、手塚…先輩は…」

越前の切羽詰った表情に、彩菜は優しく笑いかけた。

「立ち話もなんだから、中に入ったら?」

彩菜に促がされるまま越前は、和風の居間に通された。彩菜はお茶と和菓子を越前の前に出した。越前はぺこりとお辞儀をし「どうも」とだけ言い、再び口を閉じた。大石の礼儀の良さに、桃城達は関心する。
いや、正確にはなんと切り出そうかと考えていた。
そんな越前の心を悟ったのか、彩菜が先に口を開いた。

「国光の事で来たのよね?」
「えっ…。あっ、はい…」

俯きかげんに言う越前に彩菜は優しく、しかし寂しそうに笑った。

「国光ったら…。大切な人には伝える様にって言っておいたのにね」
「えっ?」

顔を上げた越前の目には、やはり寂しそうに笑う彩菜の顔が映った。
そして彩菜は、ゆっくりと越前に今までの事を話してくれた。
九州で左肩の治療を終えて帰って来てすぐ、手塚は九州の高校に進む事を決めていた事。部員達に心配をかけない為に、わざと進路の事を告げなかった事。大石の礼儀の良さに、桃城達は関心する。
しかしそれを皆に告げずに九州に行く事を、最後まで気にかけていたと彩菜付け加えた。

「大切な人には、きちんと話してから行きなさいと言っておいたのにね。あの子ったら、本当に不器用なんだから…」

越前と手塚が付き合っている事を知らないまでも、二人がお互いを信頼し、大切に思っていた事を彩菜は見抜いていた。
だからこそ、自然と越前を気遣う言葉がもれた。

「ちょっと待っててね」

そう言って席をはずしたが、すぐに彩菜は奥から封筒らしき物を持って戻ってきた。

「越前君にお願いがあるんだけど、いいかしら?」
「なんっスか?」
「あの子に、届け物をしてくれないかしら?」
「えっ?」
「飛行機の席は取ってあるから、それを使って…」

と言って、手にしてた封筒を差し出した。それはAMAの航空チケットだった。
日付は今度の日曜日と書いてある。
越前はチケットと彩菜の顔を見比べた。

「本当なら私が届けようと思ったんだけど、急に用が出来ちゃってね」

その言葉が嘘である事は越前にも簡単に理解できた。
越前の事情を察し、越前が手塚と直接会う機会を作ってくれたのだ。

「でも…」
「ねっ、お願い」

結局越前は、彩菜の申し出を受けることにした。



『本日はAMA航空を御利用頂き、真にありがとう御座います。』

スピーカーから流れてくるフライトアテンダントの声に耳を傾けながら、越前は窓の外を見つめた。
本来なら練習のあった部活を休み、越前は長崎行きの飛行機に乗っていた。
彩菜から貰ったチケットはその日の内に東京と長崎を往復する時間を取ってあった為に、スケジュールとしては多少忙しくものの、それでも手塚に会えるのだから越前にとっては十分すぎるものだった。
長崎までの飛行時間は2時間弱。
その間、雑誌を読んだり、音楽を聴いたりしていた越前だったが、手塚に会えると思うとあまり集中できず、あっと言う間に長崎に着いてしまった。

越前は荷物を受け取ると、まずバス停に向かった。彩菜にバスで行くのが1番だと教わっていたからだ。
バスは丁度いい時間にあり、越前が乗り込むとそのバスは静かに出発した。
東京よりも暖かい日差しの中バスに揺られ、越前は飛行機での疲れも出たのか、次第にうとうととし始め、眠ってしまった。





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