黒ヤギへの手紙 |
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昨夜の大雨が嘘のように、オフホワイトのレースカーテンの向こうには青空が広がっている。 温暖化の影響なのか、盆を過ぎたと言うのに残暑の厳しい日が続いている。 近年、ゲリラ豪雨と言う言葉が定着し、ニュースで注意を呼びかけているのを良く目にするようになった。 その一方、関東圏は地方よりも雨が少ないと聞いたのは、昼のニュース番組だっただろうか。 昨夜の雨でさえ、1週間ぶりに降った雨のはずだ。 今は夏の暑さで、雨の足跡すら辿る事は出来そうにない。 まぁ冷房の効いた室内では、外の暑さも騒音も関係ない。 冷蔵庫から出したアイスコーヒーをグラスに注ぎ、自室へと戻る。 大学生の夏休みは長い。 7月中旬から下旬に試験を終えてしまえば、9月下旬まで夏季休暇になる。 冬期休暇も合わせると、1年12か月のうち5か月近く休みだというのだから、何の為に大学に通っているのか、疑問になってくる。 正直なところ、俺は、大学に入り初めての夏休みを少し持て余していた。 9月になったら、中学の頃から付き合いのある奴らと、軽井沢の別荘へテニスをすることになっている。 だがそれ以外、特に予定らしい予定がないまま、8月を終えようとしていた。 「暇だな」 革張りのチェアに背を預け部屋を見渡す。 パソコンの置かれたライティングデスク、スライド式の本棚。 中学の時から使っているベッド、オーディオシステムとCDラック。 クローゼットへと続く扉。 見慣れた部屋を静かに見渡し、オーディオシステムへと近づく。 セパレートタイプの為、各々電源を持っているそれを、慣れた動作で順々に電源を入れる。 そしてラックからいくつかCDを選び、そのうちの1枚をデッキへとセットする。 オーディオの正面に椅子を移動させる。 スピーカーから流れてくる音楽に耳を傾けつつ、軽く目を閉じる。 ふと目を開け、自分が寝ていた事に気づく。 部屋が少し薄暗く、先ほどまでの天気が嘘のように雨が降り出したようだ。 バケツをひっくり返したような雨とでも表現したらいいのだろうか。 雨が窓をたたくように、降り続いている。 カーテンを少し開け、外を見ると門のところに人がいるように見える。 目を凝らしてよく見ようと思っていたところに、ベッドの上に置いてあったスマートフォンが鳴った。 ドアフォンと連携しているアプリが来客を告げているようだ。 急いでスマートフォンを取ると、一瞬、息をのんだ。 冷水を頭から浴びたようだ。 応答しようとした手を止め、スマートフォンをベッドに投げる捨てる。 クローゼットからスポーツタオルを二枚掴むと、急いで部屋を出る。 普段は決してやらない2段飛ばしで階段を駆け下り、玄関へ向かう。 タオルを玄関先に落とし、雨が降りづく中、傘も差さずに門まで走り、ロックを外す。 そこまで来て、門の前で佇んでいた奴と目があった。 「おい、この馬鹿。なにやってんだ」 驚いたように目を見開く神尾の腕を掴むと、玄関先まで引っ張る。 持ってきていたタオルのうち一枚を肩からかける。 もう一枚は頭を覆うように被せ、ガシガシと髪の毛を拭いていく。 その間、神尾は何も口にしない。 少し唇が青白いのは、ずっと雨にあたっていたせいだろうか。 今でこそ、こんな大雨なのだ。 傘を持っていないことを考えるに、急に振られたのだろう。 どこから来たかわからないが、500m圏内にコンビニがないわけじゃない。 雨宿りだってできたはずだ。 それなのに、こいつは雨も避けずにここまで来たんだろうか。 無意識に舌打ちに、神尾が視線を上げるのがわかった。 「悪いな、急に押しかけて」 「あぁ、そんなこと言う余裕があるなら、ひとまず家に上がって、シャワー浴びろ」 「えっ?」 「このまま風邪なんかひかれたら、気分が悪いんだよ」 そう言って、軽く睨むように見れば、神尾はずぶぬれになった靴と靴下を脱ぐと、肩にかけていたタオルで足を拭き始めた。 どうやら、こっちの好意を受け入れる程度には頭が働いているようだ。 俺は先に廊下を進み、バスルームのドアを開けて中に入る。 新しいバスタオルとタオルを表に出し、一旦2階の自室へと向かう。 クローゼットから、神尾のサイズに合うTシャツとズボン、それから新品の下着を持って下に降りる。 バスルームをのぞくと、神尾が濡れたシャツをどうするか考えてあぐねているようだった。 「替えの服は貸すから、ひとまず濡れたもの全部洗濯機に入れておけ」 「あぁ、わかった」 神尾がバスルームに消えている間、キッチンへ向かいお湯を沸かす。 真夏にどうかと思ったものの、体が温まるようにとコーヒーを入れる。 そういえば、どこか子供味覚の神尾の事を思い出し、冷蔵庫から牛乳を出す。 神尾と交流を断ってから3年も経つというのに、思いのほか覚えていることが多く、一人苦笑した。 ガチャリとドアが開く音が聞こえ、視線を軽く移し、部屋越しに声をかける。 「こっちだ。キッチンにいる」 しばらくして、タオルを肩にかけた神尾が顔を出した。 先ほどと違い、シャワーで温まったからか顔の血色がよくなっている。 「ひとまず、そこに座れ」 大人しく座る神尾を確認し、マグカップに淹れたてのコーヒーを半分と砂糖を一匙入れる。 スプーンで砂糖を溶かすと、牛乳を入れて均一になるようにかき混ぜる。 2つのマグカップを持ち、神尾が座るところまで移動し、1つを神尾の前に置く。 俺はそのまま机によりかかるようにし、一口カフェオレをすする。 「飲め」 「いただきます」 そう言って右手でカップを掴み、そろそろと口をつける。 「甘くないか」 「いや、ちょうど良い。美味いな」 俺には少し甘いカフェオレを半分くらい飲んだところで、テーブルの上にカップを置いた。 そして見上げるように、俺に視線を移した。 「急に押しかけて悪かった」 「あぁ、さすがの俺も驚いた」 「そりゃ、そうだよな」 少し視線を伏せる神尾の事を横目で観察する。 高校に入り、成長期を迎えたからだろうか。 割と線の細かった体に、筋肉がついている気がする。 背も伸びたのは、先ほど髪を拭いた時に気付いた。 俺も高校・大学と背が伸びた方だが、神尾の方が少し成長が早いらしい。 3年前よりも身長差が縮んた気がする。 手も少し骨ばってるが、髪の毛は相変わらず、うっとおしく前髪にかかっている。 思わず前髪に伸ばしそうになった手を、誤魔化すように軽く頭を叩く。 「お前はいつも唐突なんだ。大体、俺がこの家にいない可能性だってあったんだぞ。せめて、連絡でもいれろ」 "どうせ連絡先は変わっていないのだから"と言葉を付け足せば、神尾は心底驚いたように俺の顔を見た。 「電話に出なかったから、連絡先も変わったと思ったんだよ。そうしたら、ここに来るのが、一番な気がしてよ」 「あぁ?いつの話だ、それ」 「跡部の家に来る10分位前だと思う」 そう神尾に言われ、自分が少し昼寝をしていた事を思い出し、思わず舌打ちをした。 「それは悪かったな。少し寝てたんだ」 「跡部が昼寝とか、珍しいな」 「俺様にだって、そういう時があるんだよ」 不機嫌そうに言えば、神尾は顔を緩め、少し笑っていた。 久しぶりに見るその表情に、3年間の会っていなかった歳月が嘘のように感じられた。 思わず、俺の口元も緩みそうになるのを、右手で隠す。 カフェオレを一口飲み、本題へと移るべく、テーブルに手を付き、神尾の顔を正面から見据える。 「で、なんで来た」 静かに声に出したつもりだったが、少し自分の声に違和感を覚える。 どうやら、少しだけ緊張しているようだ。 「3年前のメッセージを見つけた。だから来た」 「メッセージ?」 「お前が俺の部屋に残していったCDの中に入っていたやつ」 その一言で、3年前に思いつきでやったことを思い出した。 いつだったか、神尾が気にっていたCDを、こいつの部屋のCDラックにこっそり忍ばせていたことを。 たしか歌詞カードの中に、英語で書いたメッセージを残したはずだ。 それは普段では口出来ないような、素直なメッセージだった。 なぜ、あんな事をしたのか、今でも不思議だ。 正直、それを神尾が見つけるどうか、五分五分だと思っていた。 見つからないのであれば、それはそれで縁がなかったのだと思っていたのだ。 それなのに今頃になって、あんな紙切れを見つけた神尾に心底関心した。 よりにもよって、8月26日に見つけるなんて、どんな陳腐なシナリオだと。 そう、今日は神尾の誕生日なのだ。 運命という陳腐な言葉に、思わず拍手を送りたくなった。 「…俺も恋をしていた。お前が好きだった」 静かに告げられた言葉に、胸が熱くなる。 それは俺が書いたメッセージと同じものだったからだ。 「なぁ、跡部。俺、まだお前のことが好きなんだ」 そっと頬に添えられた手が熱い。 見つめ返される神尾の視線が、3年前の記憶を引きずり出す。 そうだ、こいつはいつもまっすぐな目をしていた。 だからこそ、俺たちは交流を断ったのだ。 いつか後悔するかもしれない。 そんな気持ちがくすぶっていたのを、見過ごせなかったのだ。 「そんなの全て御見通しなんだよ、このばぁーか」 いつの日か、神尾にあの時の俺の気持ちが伝わるならそれで満足だと思っていた。 それが一方的な思いであってもいいと思っていた。 だが、思っていた以上に俺は欲張りだったのだ。 一番言いたかった言葉を、一番聞きたかった言葉をこいつの口から聞いてしまったら、それを認めるしかない。 「俺のセリフを取るな」 そう言葉を零してしまえば、あとは止めることなど出来やしない。 左手でグッと襟元を掴み、神尾を引き寄せる。 いきなりの事に、目を見開いた神尾を捕らえ、軽い口づけを交わす。 触れあった唇から仄かにコーヒーの香りがした気がした。 そして右手を頭の後ろに添え、おでことおでこをくっつける。 「お前が好きだ、神尾。昔も今もずっと」 初め口にした、とてもシンプルで素直な言葉だと思う。 それでもそれ以外に伝える言葉などない気がしたのだ。 「来年もお前の誕生日を祝ってやる。だから、勝手に離れるなよ」 「あぁ、わかった」 そう言って、背中に回された手が、ギュッと握りしめられたことに俺は安堵した。 |
END |