白ヤギの手紙 |
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蝉の声が降り注ぐ夏の午後。 網戸にした窓からは、外で遊ぶ元気な子ども達の声が聞こえてくる。 俺は今まで向き合っていたノートから顔を上げると、時計で時間を確認した。 高校最後の大会を終え、受験生として勉強をする毎日。 そうは言っても、昔から勉強好きではない俺が、一日中机に向かっていられるわけもなく、休憩と称してCD1枚分の音楽を聴くのが日課となっていた。 手にしていたシャープペンシルをノートの上に転がすと、席を立つ。 中学時代からずっと使っているコンポの電源を入れ、前日に聞いていたCDを取り出して元のケースにしまうと、CDラックの定位置に戻す。コンポのすぐ脇にあるCDラックには、中学のときから集めたCDが並んでいて、ここ数日は少し昔の洋楽を好んで聞いている。 最近のよく聴く曲は手前に、昔の曲は下の段の奥にしまってある。 床に寝そべると、俺はCDの背を順々に眺めた。少ない小遣いで集めたそれらは、何度も悩んで選んだもので、どのCDも思い出が詰まっている。 これは少し前に聞いたとか、こっちは最近聞いていないなと思いつつ、左から右にCDのラベルを見ていると、ふと視線が1つのCDに止まった。 「あれ、このCD…」 まさかと思いつつ、そのCDを手にした。 黒いジャケットの中央には、西部劇を思い出させるカーボーイ姿の男がいる。 お気に入りのCDに紛れていたそれは、昔、跡部の部屋で手にしたものと同じだった。 問題はなぜ、このCDがここにあるのかということだが、そんな事は決まっている。 俺がいない時に、跡部が俺の部屋に残していったからに間違いないだろう。 だが間抜けなことに、俺は今日の今まで、その存在に気づかずにいた。 まるで、跡部に関わる全てを封印してしまったかのように。 跡部と別れて、連絡を取らなくなってから3年という月日が過ぎていた。 俺は手にしていたCDのケースを開くと、そのCDをコンポにセットした。 そのまま1番からかけるのではなく、2番の曲を選び、再生ボタンを押す。 スピーカーから聞こえてくるのは、透明感があるのに、どこか切ないメロディー。 紡がれる英語の歌詞に耳を傾け、俺は目を閉じた。 当時、歌詞の意味がわからないからと、跡部に訳を聞いたが、相手にしてもらえなかった、俺。珍しくも跡部が歌詞カードを貸してくれたが、自力で和訳をしようとしても、結局は出来ずに返却の期限がきてしまった。 あの後、跡部はこの曲の訳を教えてくれることはなかった。 その事を思い出し、ケースから歌詞カードを取り出す。 今も決して、得意とは言えない英語。 だが、大学受験を控え、英語の勉強も怠ってはいない。 案の定、中2の時には分からなかった歌詞も、今はある程度理解できた。 それは不器用な男の恋の歌だった。 相手のことを好きだというのに、それを認められない哀れな男。 勘違いしないでほしいと言う。 愛してなどいないと言う。 そうは言っても、その男が相手を愛していることは明白だ。 本当に不器用な男の恋の歌。 それは昔の俺と跡部に重なり、切なさがこみ上げてきた。 俺と跡部の出会いは、全てが最悪だった。 初恋とも言える、杏ちゃんをナンパしていた跡部。 氷帝のテニス部部長で、超俺様な奴だった。 俺の存在を無視され、その日は怒りに震えた。 打倒跡部!と掲げ、それまで以上にテニスの練習に打ち込んだ。 そしてあいつが俺の存在を認めた日は、まるで誕生日とクリスマスが一緒に来たと言ってもいいくらい、気分の良い日だった。 それが、いつの間にか二人でテニスをやるようになっていた。 携帯電話の着信履歴には、"跡部景吾"の名前が並ぶようになった。 ただのテニス仲間から、俺にとってかけがえの無い人になった。 俺のうぬぼれかもしれないが、それは跡部にも言えることだったと思う。 それなのに、その関係を壊すことなどあっという間だった。 俺が一方的に悪いわけではない。 跡部が一方的に悪いわけでもない。 ただ、あの頃の俺らはまだ子供だったのだ。 時間をかけて築いた関係を、いとも簡単に捨ててしまった。 本当に救いようが無いほど、哀れな男だったよな、俺ら。 昔を思い出しながら自称気味に笑い、歌詞カードのページをめくる。 他の曲の歌詞が書かれているそのページには、白い紙が挟んであった。 一瞬、広告か何かかと思ったが、そうではなかった。 そこにあったのは懐かしい跡部の字。 中学生のくせに、なぜかペンケースの中に入っていた万年筆。 色はブルーブラックが基本だと言っていた、そのインクで綴られた美しい文字。 俺の字と比較して、よくからかわれたから見間違うことはない。 真っ白な紙に中学生でも知っている単語で書かれた英文が2行。 I'm in love. And I love you. それはこの曲の哀れな男とは違い、これでもかと言うほどストレートな言葉だった。 もし、跡部と別れる前にこれの存在に気づいていたら、"何、格好付けて英語で書いてるんだよ"とか言っていそうだと、まるで他人事のように思ってしまった。 ただ、今は違う。 正直、どうして、このタイミングで見つけてしまったのだろうかと、自身を恨みそうだ。 残暑が厳しい今日、それは俺の18回目の誕生日だった。 もし、このまま気づかずにいれば、俺は出来損ないの黒ヤギだったであろう。 白ヤギからの手紙が届いても、その存在すら気付かない出来損ないの黒ヤギ。 例え、自ら食べるという愚かな行為をせずとも、手紙の存在を知らないのであれば、それは食べてしまうのと、さほど変わらない。 いや、むしろ存在を知らないのだから、相手に手紙を出すことも出来ない。 自ら手紙を出すことも無かった、出来損ないの黒ヤギ。 だが、どうして黒ヤギは白ヤギに会いに行かなかったのだろうか。 もしかしたら黒ヤギも、この歌の男のように不器用だったのかもしれない。 大切な用ではなかったと、己を欺いていたのかもしれない。 だが、今の俺にそれが出来るだろうか。 自身に問うより早く、俺は携帯電話を手に取ると、部屋を飛び出していた。 跡部にとっては過ぎ去った過去かもしれないと、一抹の不安が頭をよぎる。 だが、そんな事は問題ではなかった。 俺は出来損ないの黒ヤギじゃない。 今、白ヤギに伝えなければならない言葉がある。 その為に、俺は走った。 3年ぶりに会う、跡部のもとへと。 |
END |