12月になり、日没の時間がぐんと早くなった。
今の時刻、午後4時11分。
夏なら、まだ太陽は西の空の高いところにあっただろう。
だけど今は冬で、茜色に染まっていた空は、一気に冬の闇へと染まっていく。
まるで、大きな怪物が太陽を飲み込んでしまったようだ。

「おい。なにぼーっとしてんだ。先に行っちまうぞ」

そう言う跡部の声で、俺は自分が立ち止まって空を眺めていた事に気がついた。

「あぁ、悪い」

別に迷惑をかけている訳ではないが、一言そう言って、俺は止まっていた歩みを進める。
俺が立ち止まっている間に、跡部とは見事に離れていていた。
数字にして、5mぐらいだと思う。
そんなに離れるまで、俺に気づかない跡部もどうかと思ったが、それを言うと、今度こそ本当に置いて行かれるから、俺は広がった差を縮めるため、早足で歩いた。
あと2歩ほどで追いつくという所で跡部も歩き出し、俺は大股3歩で跡部の隣に並んだ。

「もうすっかり、冬だよな」
「そうだな」

先日まで色とりどりの葉に彩られていた木々も、今では殆どの木が落葉して寂しげだ。
少し強い風が吹けば、道に落ちいている葉は舞い上がり、北風に踊らされている。
暦の上では既に冬になっているが、こういう風景を見ると、それをより一層感じる。

今日は俺も部活が無く、久しぶりに跡部と待ち合わせていた。
この前、一緒に帰ったのは10日程前だった気がする。
受験生である跡部と、部活をやっている俺とでは、生活時間が違う。
だからこうやって一緒に帰る日は、とても特別だと思う。

「やっぱり、こんな日はコタツに入ってみかんだよな」

昨日、父さんが一箱みかんを買ってきた事を思い出し、自然とそんな事を口にしていた。
そんな俺を一瞥し、跡部が小さくため息をつく。

「本当に、お前は庶民くさいな」

確かに跡部と比べたら、うちは庶民だと思う。
それは俺だって認める。
だが、日本の冬はコタツと相場は決まっている。

「たまには、もう少しましな事を言えねぇのか?」

挑発的な跡部にちょっとむかついて、跡部が予想もしない言葉を言いたくなった。

「じゃあ、コタツでアイスが食いたい」
「あぁ?こんな寒い中、アイスだと?」

俺の言葉に信じられないといった表情で、跡部が俺の事を見た。

「暖かい部屋でコタツに入りながら食べるアイスも、結構うまいんだぜ?」

勿論夏の暑い日に、クーラーのきいた部屋で食べるアイスはうまい。
だが、冬にコタツで食べるアイスも、それはそれで格別なのだ。
跡部はいまだ信じられなさそうな顔をしている。
まぁ、跡部がコタツでアイスもしくはみかんを食べている姿は想像できないから、仕方ないのかもしれない。と言うより、跡部の家にこたつなんてあったっけか?
何度となく、跡部の家に遊びに行っているが、それらしき物は見たことがない。
こいつはどうやって日本の冬を過ごしているんだ?と思いながら横目で跡部の顔を見る。
どうせ跡部の家だから、床暖房が入っていて、そんな心配は不要なんだろうな。
自分なりの答えを出し、それに納得する。

そう言えば、なんだっけか…。

さっきから、何か引っかかってるような感じがしている。
思い出せそうで思い出せない、そんな感じだ。
気づかなければ楽なのだが、一度気になってしまうと、無性にそれが気になり始めて後味が悪い。それなのに俺だけの力では思い出せそうもなくて、俺は隣を歩いている跡部に助けを求めることにした。

「なぁ、今みたいな夕方の薄暗いときを、なんていうんだっけか」
「あぁ?突然、どうしたんだ?」

"お前らしくないな"と言うように、跡部が俺の顔を見た。

「いや、なんとなく」

そう答えると、いつもの事と、そのまま無視をすると思っていた跡部が口を開いた。

「夕暮れ、暮れ方。あとはたそがれ時とも言うな」

跡部の言葉に、自分が思い出したかった事がわかった気がする。

「そうそう、黄昏。黄昏だよな」

金色の空が茜色に、そして濃い闇に染まる時刻。
青かった空が、神々しく輝いているような時間。
そんなたそがれ時が、俺は結構好きだったりする。

「あぁ、あと大禍時とも言うな」
「おおまがどき?」

聞きなれない言葉に、たどたどしい口調で聞き返すと、跡部が"なんだ、知らないのか"という感じの顔で俺を見た。

「大きな禍(わざわい)の起こる時刻の事だ。"が"が助詞、"ま"を魔物とかの魔にして、"魔が逢う"と意識して、"大魔が時"とか"逢魔が時"とかも言うな」

いきなり国語の授業のような言葉が出てきて、一瞬、何について話しているのかわからなくなった。
そんな俺に気がついてか、跡部が助け舟を出してくれた。

「結局は暮方の薄暗い時刻を指すから、たそがれ時と同じだな」
「あぁ、なるほどな~」

跡部の雑学に感心しつつ、俺は再び空を見上げた。
確かに昼が夜になる様は、少し不吉な感じがして、魔が近づいているように感じる。
昔、人々が昼間に太陽が欠けていく様-日食-を見て、災いの前触れだと思ったように、実はこの夕暮れも決して美しいだけでは無い気がしてきた。

そんな事を思いつつ、俺はふと、跡部の手を掴みたい衝動に駆られた。
だけど、なぜかそれをしてはいけない気がした。
なぜだろう。
もしかして、俺は疑っているのかもしれない。
俺の脇にいるのが、本当に跡部本人なのかということを。
実は、跡部のふりをした鬼なのかもしれない。
鬼は魔に属す生き物だ。
今のように逢魔が時なら、可能性はゼロではない。

「おい、またか?」

再び、歩みを止めていた俺に、跡部が飽きれたようにため息をついた。

「おら、いくぞ」

そういって、俺の右手を掴んだ。

「あっ」

思わず発してしまった声に、跡部の眉間はしわを寄せた。

「あぁ?俺に手を掴まれるのが、そんなに嫌なのか?」
「えっ?いや、そんなんじゃなくてよぅ」

言葉にしたくても、上手く具合に言葉が見つけられない。
俺は、自分のこういう所が不器用だと思う。

もしかして、鬼に魅入られていたのは俺だったのかな?
疑心暗鬼という、醜い鬼に。

何も言わない俺にあきれたのか、跡部が再びため息をついた。

「そこのコンビニ寄るぞ」
「えっ?」

跡部の予想もしなかった言葉に、思わず声が変な風に裏返ってしまった。

「アイスが食いたいんだろ?」

先ほど俺が言った言葉を、跡部は俺が今、アイスが食べたいのだと汲み取ったらしい。
いつもならそんな事は軽く流すくせに、たまに見せるそんな優しさが嬉しくて、俺は顔の筋肉が緩むのを感じた。

「おぅ」

そう言って、俺は跡部の手を握り返した。

「勿論、跡部のおごりだろ?」

少し上目遣いに聞き返すと、跡部は少し飽きれた顔をした。

「ったく、仕方ねぇな。心優しい俺が、おごってやるよ」

そう言う跡部の顔が、いつも以上に優しく感じた。


夕暮れ、暮れ方、黄昏、そして逢魔が時。
美しい情景は、時に人を惑わす、甘美なものなのかもしれない。
今の俺のように。



END





モドル