後朝
昨夜、初めて跡部と身体を交えた。初めての行為に俺の身体はついて行けず、大分休んだというのに気だるさは抜けない。ベッドの中で、少しぼーっとしていて、自分が着ているシャツが自分の物でない事に気付いた。

跡部のか…。

俺が情事後にぐったりとしていたから、あとの処理とかは全て跡部がしてくれた。だから俺が着てきた服は、洗濯にまわっているだろう。そんな跡部の抜かりの無さに、今更ながら感心する。

少し暗さに慣れてきた目で、サイドテーブルにある時計見る。
時刻は5時ちょっと過ぎ。

もうそろそろ家に帰らないとな…。

そう思ってベッドから降りようと、床に足をつく。立ち上がろうとすると、腰の辺りから鈍痛が体中に走った。歩くのにも、少しよろめく。
少し迷ったが、俺は自分の鞄を手に取り、中から紙とペンを取り出した。そこに跡部へのメッセージを書き、サイドテーブルに置く。

「バイバイ、跡部」

小さな声で告げ、俺は跡部の部屋を後にした。



昼休み、ずっと切りっ放しだった携帯電話の電源を入れた。
センターに問い合わせをすると、予想していた通り、メールが一件届いていた。

【 6:32 跡部 景吾】
no subject
大丈夫か?

メールにはそう一言だけ書いてあった。
たぶん跡部の事だから、今までに何度か電話も掛けていると思う。
素早く電話帳を開き、跡部の携帯番号を出す。
少し躊躇したが、親指に力をいれて、ボタンを押した。

電話を呼び出す、電子音が聞こえる。
以前は跡部が中々電話に出ず、やっと電話に出たと思ったら邪険にされて、何を話そうとしていたかも忘れて、キレて喧嘩をしてしまう事が多かった。
でも最近ではそんな事は殆ど無かった。
なのに今は、ここまま跡部が出なければいいと願ってしまう自分が居る。

我侭だな、俺も…。

そう思った時、電子音が不意に切れて聞き慣れた声が耳に届いた。

『神尾か?』
「名前、表示されただろ?」

電話帳に登録してあるから、俺の名前が表示されているはずなのに、わざわざそんな事を聞いてくるなんて、跡部って変だな。

「シャツ、悪かったな。借りちゃってよ」
『別に、そんな事は大した事じゃねぇだろ?』
「明後日、放課後に返しに行くな。氷帝まで」
『あぁ?わざわざ来なくても、次に会う時でいいぞ?』

次に会う時か…。

「いいや。明後日、返しに行くから」
『…。分かった。』
「じゃあ、明後日な」
『あぁ』
「じゃあ、切るな」
『ちょっと待て、神尾』
「何?」
『無理するなよ。部活』
「あぁ、わかってる。じゃあな」

まだ物言いたそうだった跡部を無視し、俺は通話を切った。
携帯電話をポケットにしまい、教室へと戻る。
席に着くと、深司が顔を上げた。

「早かったね」
「そうか?普通だろ」

食べ掛けだったパンを頬張り、答える。

「で、今回は何があったの?」
「何って、なんだよ」
「いつもの神尾じゃない」

ボソッと言う深司に、俺は首を傾げる。

「いつもの俺って、どんなのだよ」
「さっき、跡部さんに電話してきたんでしょ?いつもは落ち込んだり、嬉しそうだったり、怒ってたりしているのに、今日は無反応過ぎる。それで何でもないなんて嘘、俺に通用すると思ってるの?単純バカの神尾のくせに生意気」
「単純バカってな。俺は単純でも、バカでもねぇよ!」

わざと話をそらそうとしたのに、深司はそれにも構わず言葉を返してきた。

「一体、何をそんなに我慢してるわけ?」
「なっ、何も我慢なんかしてねぇよ!」
「じゃあ、俺の目を見てもう一度言える?」

深司の言葉に、俺は目をそらしてしまった。

「ほら、やっぱり見られない。それを我慢してるって言ってんだよ、俺は」

深司の言葉が胸に痛い。
でもこれは俺と跡部の問題なんだ。
だから深司には何もいえないし、無駄な迷惑を掛けたくない。

「別に無理強いはしないけど、後で悔やむ事だけは止めておきなよ。何考えてるか知らないけど、そんな神尾を見るの、俺はごめんだからね」

そう言って、紙パックのジュースを片手に深司は、席を立った。





2日後、俺は部活を早々と切り上げると、急いで氷帝学園に向かった。
理由は跡部にシャツを返すため。
自分で言い出した事なのに、なんとなく後悔した。
どうして、返しに行くといってしまったのだろうかと。
でも、あのままでは嫌だった。
あそこで言い出さなかったら、俺はきっとこのまま逃げ続けていただろうから。
ただ、それでも直接言う度胸も無くて、俺は返すシャツに手紙を添えた。

「神尾君、やったっけ?」

校門の所で右往左往していると、聞き慣れない関西弁に名を呼ばた。
その声に、俺はくるりと振り返った。
目の前にいたのは、跡部と同じく氷帝学園テニス部の忍足さんだった。

「あっ、どうも」

ぺこりと頭を下げ、あいさつをする。

「跡部に用があって来たん?」
「えぇ、まぁ…」
「多分、部室におるやろうけど、呼んで来よか?」
「あっ、いえ。いいです」

今にも部室に行ってしまいそうな忍足さんの腕を掴み、止める。
多分忍足さんは、不思議そうな顔で俺を見ているだろう。用があるなら、会わないと意味が無いのに、折角呼びに行こうとしたら止められたのだから。

「あの、俺の頼み聞いてくれますか?」
「別にえぇけど。で、頼みって何?」

快く了承してくれた忍足さんに、鞄の中から取り出した袋を差し出す。

「これを、跡部に返しておいて下さい」

中には一昨日借りた跡部のシャツが入っている。

「じゃあ、よろしくお願いします」

深々と頭を下げて頼むと、俺は足早に氷帝学園を後にした。



氷帝学園を出た後、そのまま家に帰る気もしなかった俺は、近くの公園に足を向けた。
夕方という事もあり、公園で遊んでいる子供は少ない。
だから人影の無いブランコに俺は腰を下ろした。
俺が座るとブランコは揺れ、ギィと鎖の部分が嫌な音を上げた。
結局、跡部に会わずに帰ってきてしまった。
本当なら自分の手で渡すべきだったのに、自分のした行動が少し卑怯に感じられた。
一昨日の電話で俺は自分で返しに行くと言ったのに、結局は忍足さんの手で返却してしまった。多分、勘の良い跡部の事だから、俺の行動に疑問を持っているだろう。
跡部はいつあの手紙に気付くだろう。
家に帰った後か、それとも部室で手紙の存在だけでも確認してからだろうか。
本当は携帯電話の電源も切ってしまいたい。
今の俺には、しっかり告げる自信が無いから。

そう思っていると、ズボンのポケットに入れておいた携帯電話が振動した。
開いて見ると、かけてきたのは予想通り跡部からだった。
俺は1度だけ深く息を吸って、吐いた。
大丈夫、上手くやれる。
そう俺自身に言い聞かせ、開始ボタンを押した。

「もしもし」
『神尾、どういうつもりだ?』

困惑と…怒りに満ちた声。
やはり、予想通りの反応だ。

「どういうって、手紙に書いた通りだけど」
『本気で言ってんのか?』
「うん。もちろん」

そんな跡部に対して、淡々と答える俺。
それは一見、冷めているように聞こえたかもしれないと、俺は思った。
しかし跡部は逆に俺が本気で言っているのを悟ったらしく、電話越しにため息をついたのが分かった。

『本当に、いいんだな』
「うん。俺が決めた事だから。あとは、跡部の気持ち次第」
『俺は本気でお前の事を愛してると言える』
「うん、知ってる」

周りはすぐ捨てられるとか、遊びだとか、そんな目で俺達を見ていたと思う。
でも俺は胸を張って跡部を好きだって言えるし、跡部の気持ちも知っているつもりだ。
だから"今"なんだ。
今なら、まだ良い思い出のまま別れられるだろ?
喧嘩別れとか自然消滅とか、そんなあやふやな気持ちでは別れたくなかった。

『なぁ、神尾』
「何?跡部」
『俺は…、お前を苦しめていただけか?』

そう言ってくる跡部の声が、少し震えていた。
そんな跡部の言葉を否定するように、俺は強く答えた。

「そんな事、あるわけ無いだろ!」

出会いは最悪だったし、喧嘩もたくさんした。
目が腫れるほど泣いた事もあったし、深司や橘さんとか、周囲に何度も心配された。
けれど、それ以上に楽しい"時間"は一杯あった。跡部と一緒にいて、跡部と色んな事を話して、それは凄く幸せで、何よりも大切な時間だった。

『そうか。なら、いい…』
「跡部、俺の我が侭な申し出で、本当にごめん」
『お前が謝る必要な無い。お前が決めた事なんだろう?』
「だけど!」
『謝るなって言ってるんだ!謝っても、お前は俺戻ってこないんだろう!?』
「うん、ごめん」
『だから謝るなって』

わかっているつもりなのに、自然と出てしまう言葉に俺は苦笑した。
これからいつも跡部にバカって言われるんだよな。

「うん。じゃあ、最後に一言だけ」
『なんだ?』
「ありがとう。思い出一杯くれて」
『あぁ』
「じゃあ、バイバイ。跡部」
『神尾!』
「何?」
『好きだ』
「…ありがとう」

そう言って、俺は一方的に通話を聞いた。

「ごめん。俺も好きだ」

通話の切れた携帯電話に向かって、俺は一度だけ謝罪の言葉を述べた。
多分、いや絶対、跡部の事を傷つけた。
俺の我が侭だったのに、跡部は文句も言わずに了承してくれた。
俺の事を好きだと言ってくれた。
俺の事を気遣ってくれた。
それなのに俺は、跡部を傷つける事しか出来なかった。
ごめん。本当にごめん。
今でも好きだよ、跡部。
だけど、一度分かれた衣は、二度と交わる事は無いんだ。



END





モドル