雨ときどき晴れ
俺はもともと、山吹の千石さんのように強運の持ち主ではない。それは大分前から分かっていた事だが、だからと言って、凄く運が悪いと言う訳でもなかったと思う。

それなのに今日の俺の運勢は最悪だ。

その1 絶対当たると思っていた、教科の教科書を忘れた。
その2 給食が無い事を忘れていて、弁当を持ってこなかった。お陰で、今日は昼飯を食べ損ねた。
その3 日直の仕事で、皆のノートを職員室に持っていく際、結露の所為で、滑りやすくなっていた廊下で転んだ。しかもノートをぶちまけてしまい、拾うのに手間取った。

以下略。
と言うか、これ以上、思い出したくも無いし、言いたくも無い。

部活でもやれば、こんな嫌な気分も、どこかに吹っ飛んだかもしれない。
しかし今は嫌でも気分が憂鬱になる梅雨。
連日続く雨の所為でコートは使える訳も無く、必然的に今日の部活は休み。
明日は体育館を借りれる日だから室内トレーニングも出来るが、今日は仕方が無い。

まぁ、それは良いと思うんだ。
だが、今の俺の状況が、また最悪だったりする。
確かに持ってきていた傘が、なぜか忽然と消えている。
多分、誰かが俺の傘を持って帰ったのだと思う。

「マジかよ…」

部活は休みだが、俺は20分ほど委員会があったから深司は先に帰ってしまった。

この雨の中、濡れて帰れと?

濃いグレーの空を、睨み付ける様に見るが、それで雨がやむはずもない。
むしろ、俺の事情などお構い無しに、雨はどんどん強くなっている気がする。

そう言えば今日って、予約してたCDが入荷される日だよな?

不動峰からは俺の家よりCDショップの方が近い。
もしかしたら、CDショップで時間を潰してる間に、この雨も少しは収まるかもしれない。
俺はそんな淡い期待を持ち、リズムに乗って、CDショップを目指した。



「真に申し訳ありません。お客様のご予約なされてたCDは、発売者側の都合より、入荷が来週になります」

若い店員が、申し訳なさそうにそう言った。

「そうですか…」

発売者側の都合では仕方が無い。だが結果として、家から更に離れてしまった事になる。自動ドアの前に立つと、梅雨の時期特有の雨の匂いが鼻先をかすめる。

リズムを上げるしかないな…。

なるべく水溜りを避けて走り出そうとした。
しかし、その時だ。

「うわぁ!」

隣の店から出てきた人に、俺はもろにぶつかった。しかもその衝撃で俺は少し後退し、"バシャッ"と豪快に水溜りに足を踏み入れてしまった。

「つめてぇ~」

飛び跳ねた水が、もろに当たる。
ズボンも片方がびしょびしょに濡れ、白いYシャツには薄黒いシミがついてしまった。

「うわっ、最悪」

マジでついてねぇと思っていると、先ほどぶつかった人物が口を開いた。

「お前、本当にドジだな」

くくっとのどを鳴らして笑いながら、声を掛けてきたのは、氷帝の跡部だった。

「なっ、跡部!!」

俺は、周囲に人がいるのも忘れ、思わず大声で叫んでいた。

「相変わらず、五月蝿い奴だな…」

"もう少し、静かに話せねぇのか"と、跡部は言葉を続ける。

「お前が、突然出てきたからだろう!」

睨み付ける様に、跡部の顔を見つける。

どうしてこんな日に、こいつに会わなきゃいけないんだよ…。俺が何かしたか?

そう思っていると、突如、跡部の手が伸びてきて、俺の左手を掴んだ。

「いっ…」

思いの外、強く掴まれて、俺は小さく声を上げた。
俺の上げた声に驚いたのか、跡部も掴んだ手を少し緩める。
しかしそれでも跡部の手は俺の左手をしっかりと掴んでいて、離れる事が出来ない。
その上なぜか、そのまま跡部は俺の手を引いて歩き出した。

「ちょっと待て、なんなんだよ。手、離せ」
「うっせぇ!黙ってついて来い」

不覚にも、跡部の声が怖かったので、俺は口を閉じた。



先ほどの冷たい雨とは違い、熱いシャワーが冷えた身体を温めていく。

気持ちいい…。

目を閉じて、肌に当たるシャワーの音を聞いているのが、心地よかった。

「って、何和んでるだよ、俺!」

思わず、自分でツッコミを入れ、目の前にある現実を思い出す。
大体、なんで俺はシャワーを浴びてんだよ!?確かに、この雨の中、傘もささずに歩いてたから、全身濡れてて、Yシャツが肌にぺとっと、くっついて気持ち悪かった。だから、早く家に帰ってシャワーを浴びたいと思ったよ。だけどな、ここは俺の家じゃねぇし…。


-回想-

「ここで待ってろ」

そう言って、待たされた場所は跡部の家の玄関ホール。跡部は一人、2階へと消えていった。そして残された俺は、どうして自分が、跡の家まで来てしまったのか疑問に思っていた。

っうか、早く家に帰りたいんだけどな。

跡部の持っていた傘に入って、ここまで来たものの、学校からCDショップまでの移動時間+跡部にぶつかった際にあびた水の所為で、俺の制服は大分、水分を含んでいた。
しかも梅雨の所為で湿度が高く、服が肌にまとわりついて気持ち悪い。

跡部の奴…。一体、何がしたいんだ?

分からない事ばかりで俺も痺れを切らした時、ふわりと頭にタオルをかけられた。
一瞬、状況がつかめずに跡部を凝視していた。

「それを使って、身体を拭け」

偉そうに言っているが、俺の為にわざわざタオルを取りに行ってくれたみたいだ。
呆気にとられていた俺だが、とりあえずお礼ぐらいは言っておくことにした。

「さっ、サンキュウ」

借りたタオルである程度、身体を拭くと、跡部が再び俺の手を掴んだ。

「えっ?」

俺の事を家に上げようと引っ張る跡部。俺は急いで靴を脱ぎ、先ほどのように手を引かれ、1つのドアの前まで連れてこられた。

「ここがシャワーだ。好きに使え」
「えっ?でも…」

俺が躊躇してると、跡部は再び口を開いた。

「そのままじゃ、仕方ないだろう。後で着替えを持ってくるから、取り合えずシャワーを浴びてろ」

結局、そこまで言われたら断るのも悪いと思い、俺はシャワーを借りる事にした。



「おい、神尾」
「はっ、はい!」

ガラス越しとは言え、不意に跡部の声がして、俺はあたふたしながら返事をした。

「着替え、ここに置いておくぞ」

パタンと言う音がし、俺はシャワーを止めて、脱衣所のドアを開けた。
確かにそこには、綺麗に畳まれたTシャツとズボン、それから下着がおいてあった。
なんか気恥ずかしかったが、このままでいるわけにもいかないので、大人しくそれらを身に着ける。俺より背の高い跡部のTシャツは当たり前だがサイズが合わず、少しだぼだぼした。
そして濡れた髪をタオルで拭きながら、ドアのノブを回す。

「お前、風呂長いな」
「えっ?」

ドアを開けると、すぐ脇で跡部が壁に寄り掛かって立っていた。

「女みてーだな」

ふんっと、鼻で笑うように付け加える。

「何でいんだよ」

女みたいと言われ、思わず睨みつける。

「俺の部屋、わからねぇだろ」
「えっ…。あっ、うん」

つまり、俺を待ってたという事か。
状況を理解し、思わず頷く。
跡部は少し満足そうに笑うと、くるりと向きを変えて歩き出した。俺はその跡部の後を、刷り込みされた雛のように、ついていく。



"ガチャ"という音を立ててドアを開けると、かなり広い部屋が広がっていた。もちろん、俺の6畳の部屋と比べてだが。部屋の中には、オーディオ機器、本棚、机、ベッド、ソファー、テーブルと、バランスよく配置されている。

「何、つっ立ってんだよ」

部屋の中を見回してた俺を、跡部が強引にベッドに座らせられた。
ベッドはシルバーのパイプで出来たもので、跡部も他の中学生と大差ない印象を受ける。
なんとなく跡部の部屋というだけで珍しくて、そのままの姿勢で部屋の中を観察していると、突如、跡部にわしわしと髪を拭かれた。

「いたっ」

髪の毛が引っ張られ、俺が声を上げると後ろから、不機嫌な声が返ってくる。

「黙れ、このバカ。てめぇが髪もまともに拭いてねぇから、俺様が親切に拭いてやってんだろ。少しはありがたく思え」

そう言って、再び手を動かす。

「なら、もっと丁寧に扱えよ」
「あぁ?文句言ってんじゃねぇよ」

そう言いつつも、跡部は少しだけ丁寧に髪を拭き始めた。
床屋とかでもそうだが、人に髪を洗ってもらったり、乾かしてもらうのは気持ちがいい。
シャワーを浴び、身体が温まった所為か、眠気が襲ってきた。
このままではいけないと思いつつも、俺はいつの間にか意識を手放していた。





目を開けると、電気の光が眩しくて、思わず寝返りを打つ。
っうか、何で電気がついてるんだ?

「えっ、もしかして夜!?」

ばっと起き上がりカーテンを開けて、外を見る。外は見事に真っ暗で、自分がどれ位眠っていたのだろうかと、疑問に感じた。そして俺が驚いていると、ため息交じりの声が聞こえてきた。

「やっと起きたか…」
「うわっ、跡部!?」

跡部の存在を忘れていたから、かなりびびった。
そうだよ、ここは跡部の家じゃんかよ。

「っうか、今何時!?」
「8時だ。夜のな」

顎でしゃくる様に、壁に掛かっている時計を指す。

「うわっ、ヤバイ。母さんが心配する…」

今日は雨で部活が無いから、早めに帰ると言ってあるのに…。

「あぁ、それなら心配はいらねぇ。連絡を入れといた」
「はっ?どうやって」
「悪いと思ったが、お前の携帯を少し見せてもらった。で、履歴だけ覗いた」
「えっ!てめぇ、勝手に見たのか?」
「仕方ねぇだろう?お前は眠って、中々起きねぇんだからよ。それとも何か?親に怒られたかったのか?」
「いや、それは…」

跡部の言葉に、俺は口をつぐむ。
正直、怒られたくは無い。だが、事情を話せば分かってくれると…思う。
それにしても、今更ながら自分の神経の図太さに感心する。
いくらなんでも、大して親しくも無い奴の家で寝るなんてな。
しかも相手はあの跡部だ。
打倒跡部!とか言っておきながら、借りを作ってしまった…。

「おい、神尾」
「あぁ、なんだよ」

"ほらよ"と言って、綺麗に畳まれた服を渡された。それは俺の制服だった。

「そんな格好じゃ帰れねぇだろ?」

確かに、跡部のTシャツとズボンで帰る訳にもいかない。

「あぁ」

それにしてもまさかきちんとアイロンまで掛かってるとは…。
跡部の手際の良さに、ただ感心した。

「あっ、パンツ…」
「あぁ、やる」
「悪いな…」

大して面識がある訳ではないが、男同士という事でさっさと着替えてしまう。

「よし」

脱いだ服を、一応畳んで重ねる。

「ありがとうな、色々と」

ソファーに座っている跡部に礼を言う。

「俺が好きでやった事だ、気にするな」

そう言った跡部の顔が少し優しく感じられた。



ドアを開けると、サーという雨音が耳に入った。

「あっ、まだ雨が降ってるのか…」

暗くてよく分からなかったが、小雨が降っている。

「ほらよ」

そう言って、跡部がレイニーブルーの傘を差し出してくれた。

「使え」
「おう。サンキュー」

受け取って、傘を束ねてた紐を外す。

「送っていかなくて平気か?」
「あぁ、分かりやすい道だったからな」

基本的に方向音痴で無いから、平気だろう。

「じゃあ傘借りていくな。あとで返しに、学校にでも行くから」
「礼として、菓子折りでも持ってくるんだな」

偉そうにそう言うから、俺はわざと笑った。

「考えておいてやるよ」

そう言って、俺は跡部の家を出た。

あー、色々あったけど、そんなに悪い日でもなかったな。
雨は未だに降っているが、俺の心は日が射したように、明るかった。





数日後、電話帳に新しい番号が入っているのに気がついた。
【跡部 景吾】
ったく、いつの間に入れたんだよ…。
仕方ないから、後でメールでも送ってやろうと思う。

『今から、傘を返しに行くからな』



END





モドル