朝、目が覚めたら雪が積もっていて、一面銀世界だった。
しかし雪と言うのは、本当にたちが悪い。雨みたいに音を立てて降らないから、知らない間に振り出して、勝手に積もって、そして知らない間に止んでる。
そして晴れてしまったら、跡形も無く消えてしまう。
儚くて、もし冷たくなかったら、そこに本当に雪はあるのだろうかと疑問に思ってしまう。
だから虚しさだけが残る雪が、俺は苦手だ。
Last Snow
「はぁ~、寒い」

吐く息が久しぶりに白い。なごり雪が降ったんだから当然と言えば当然だ。
外は灰色の空が広がっていて、こんな日に卒業式と言うのは、なんとも不似合いな気がした。

「あのさ、寒いんだけど…」

俺のすぐ隣りに座っている、深司からごもっともなツッコミ。

「そりゃ、雪降ったしな」
「そうじゃなくて、窓開けてるから寒いんだけど」

そう言うと窓の外に出してる俺の手などお構いなしに、深司が勢い良く窓を閉めようとした。そこで俺はすかさず手を引っ込めて、九死に一生を得た。

「大体さ、神尾は馬鹿だから寒さなんて感じないのかもしれないけど、俺は寒いんだよね。それ位分かっても良いよね。」

ボソボソと溜め息混じりに言う深司。

「悪かったって。ただ、寒さ感じてないと雪が降ったって実感しないんだよ」
「神尾ってやっぱり馬鹿?」
「ちげぇよ…」

深司とそんなやり取りをしてる中、ぽつりぽつりと三年生達が登校して来た。

「橘さん、卒業しちゃうな…」
「そうだね」
「寂しいな」
「うん…」

テニス部顧問とは名ばかりの教師と、テニスの実力も無いのに、先輩と言う武器を掲げるだけの二年生。
そんな縦社会に強いられた俺達の前に、橘さんは颯爽と、ヒーローのように現れた。と言っても、得意技で相手を一撃で倒したりした訳ではない。
俺達と一緒になって、二年生の暴力に耐え、そして新しいテニス部を作った。
もちろんそれは容易な事ではなかったけど、あの時、橘さんが居なかったら、俺らはテニスから遠ざかっていたかもしれない。
俺はそこで初めて、皆とテニスをするのが楽しいと思えたからだ。

「神尾って、こう言う時に大泣きするタイプだよね」
「悪かったな!」

あぁ、そうだよ。俺はどうせ涙腺脆いよ。感動物の映画とか見てもすぐ泣くよ。
だけど橘さんの卒業式だぜ。寂しいだろ?泣いたって不自然じゃないだろ?
一人心の中で自問自答してたら、俺としてはかなり良い考えが思いついた。

「そうだ!」

俺の上げた声に、深司は一瞬迷惑そうな顔をしたけど、俺はそのまま言葉を続けた。

「帰りさ、皆で橘さんの卒業祝いしようぜ。杏ちゃんも誘って、カラオケとかでよ」
「けど神尾…」

抗議がありそうな発言をしておいて、深司は中々次の言葉を言わない。
深司がこういう歯切れの悪い言葉をいう事は少ない。

「なんだよ、深司」
「いや、なんでも…」
「本当か?何か言いたいことあるなら言えよな」

俺がそう言うと深司は少し黙っていたが、小さな溜め息をつくと、やっと言う気になったのか、深司が口を開こうとした。
しかし運悪くも丁度その時、担任がクラスに入って来た。
結局俺は深司の言葉を聞けないまま、自分の席に着く事になった。



冬の体育館は凄く寒い。脇の方では、保護者の為にストーブをつけてるみたいだけど、俺達には全く意味をなしてない。セーターを着ていないと、凍死しそうなほどだ。

がやがやと生徒達が騒ぐ中、学年主任がマイク前に立った。

『卒業生入場。拍手でお迎え下さい』

吹奏楽部の演奏にのって、三年生達が入場してきた。俺達は拍手をし、三年生達は一定のテンポで歩いていく。
規則正しく歩く三年生達の中に橘さんを見つけた。

三年生達が席に着くと、開式のことば、国歌斉唱とお決まり通りに事は進む。
そして三年一組の担任がマイクの前に立った。
手には黒い名簿を持って、静かにそれを開いた。

『本年度、本校全課程を修了する者。三年一組 阿部治之』
「はい!」

名前を呼ばれた三年生が壇上へと向かう。担任はゆっくりとしたテンポで、一人一人の名前を読み上げていく。
公立中学である不動峰では、三年生全員に直接、卒業証書を手渡す。
これが青学とか氷帝だったら、代表者一名が貰ったりするんだろうな…。

ふいにアイツの顔がうかんだ。

なぜ、このタイミングで思い出したのか、俺はわかっていたがそれには気づかないふりをした。そして俺は時々眠りそうになりながら、卒業式は2時間という長い時間をかけて終わった。



「卒業おめでとう御座います!」

式が終わってから、俺達は校庭の桜の木の下で橘さんを待っていた。
桜の花は当たり前だけどまだ咲いていないが、その代わりピンク色の小さなつぼみが付いている。鉄は一人五百円ずつ出して買った花束を、橘さんに差し出した。

「あぁ、ありがとう」

照れくさそうに受け取る橘さんに少し遅れて、杏ちゃんとおばさんが俺達の輪に加わった。橘さんの持ってる花束を気付いて、杏ちゃんは『綺麗~』と可愛い声をあげ、おばさんは丁寧にお礼を言ってくれた。
橘さんの胸元にはピンクのバラの造花に『ご卒業おめでとう』と書かれたリボン。
そして手には俺達があげた花束。
目の前の現実が、橘さんがいなくなってしまう事を示している。

って、そんなしんみりしてる場合じゃないよな。
カラオケに行って、打ち上げをするんだった。

そう思って口を開こうとした俺より一歩早く、深司が橘さんに声をかけていた。

「橘さん、今度の週末暇ですか?」
「あぁ。空いてるが、どうした?」
「その日、橘さんの卒業祝いを皆でしたいんですけど。今日は家族と一緒に過ごした方が良いと思うんで」

深司の突然の発言に、俺は目を丸くする。確かに、おばさんの事を俺は忘れてた。
だけど、それなら朝の時に言ってくれればいいじゃんかよ。

「あぁ、色々と気遣ってもらってすまないな。じゃあ、日曜でいいか?」
「はい。後でまた詳しい事は連絡しますから」

俺が一人、心の中でつっこんでいる中、話しはどんどん進んで行く。
結局、橘さんは杏ちゃんとおばさんと共に帰っていった。

「ほら神尾、早く行ったら?」
「えっ?」

突然、深司が俺にそんな事を言ったので、俺は意味が分からず間抜けな声をあげた。

「もう一人、祝いの言葉を言う人がいるんじゃないの?」

そう、中学の卒業式は大体、日取りが一緒だ。
うちが卒業式って事は、他の中学も同じく卒業式のはず。

「わざわざ俺が気をきかせたんだから、無駄にしないでよね」

ぽんっと背中を押され、振り向いて深司の顔を見たら、追い払うようにしっしっと手を振られた。
俺は皆に

「じゃあ、またな」

と大きな声で言うと、踵を返して走り出した。





今朝は真っ白だった雪は所々茶色い泥に染まり、溶け始めていた。
それでもまだ誰も足を踏み入れてない所もある。
俺はそんな誰も足を踏み入れてない階段を一段一段踏みしめ、一番上を目指した。
誰の足跡もなく銀世界のままだと思っていたそこには先約がいた。

「よぅ」

そいつはさも当たり前の様に、そこに立っていた。

「なんで、ここにいるんだよ」

俺の口から出る言葉は、俺の気持ちとは裏腹で、でもそれも本音だったりする。
別に約束なんてしてないし、普通に部活のメンバーと打ち上げに行ってるものだと思ってたからだ。

「あぁ?俺がここに居ちゃいけねぇっていうのか?」

いかにも俺様な態度の跡部に、俺は変わってないなと思った。

「別にそんな事は言ってねぇだろ!」

俺は少し怒った風に、跡部の脇まで歩く。跡部の回りは殆ど綺麗な雪のままで、俺が歩いた跡と跡部が歩いた跡だけがついた。

「久しぶりだな」
「おう…」

最後に会ったのはいつだろう。
多分、俺が別れを告げた日だと思う。
わざわざ思い出したくないのに、どうしてこいつはそう言う事を思い出すようなセリフを言うのだろう。
そう思いつつも、何かを期待している自分が居る事に嫌気を感じた。

「で、何か言う言葉はねぇのか?」
「卒業おめでとう…ゴザイマス」

卒業式だから素直に言ってやると、跡部は口の端を少し持ち上げて満足そうに笑った。

「バァーカ。今の教育制度では、中学は誰でも卒業出来んだよ。そんな事も知らねぇのか?まぁそうでなくても俺様なら、楽勝で卒業できるけどな」
「そうかよ。ならわざわざそんな事、言うなよな!」

自分から言っといて、こんな反応かよ。そりゃ、跡部は頭良いだろうよ。得意教科が全科目とか言う位だからな。だけどな、だからってそんな言い方ないだろ!?
相変わらずの自信家め!

口に出して言えば、必ず反論もしくは反撃を仕掛けてくるから心の中だけでとどめておく。
これも短い跡部との付き合いの中で身につけた事だ。

「で、なんでここに居るんだよ」
「あぁ?」

さっきと同じ事を言う俺に、跡部は一瞬笑うと空の彼方を見ながら答えた。
その動作がまるで映画のワンシーンのように綺麗で、この前の国語の時間に出てきた『座れば牡丹、立てば芍薬、歩く姿は百合の花』という言葉を連想させた。

「目に焼きつけておこうと思ってな」

言葉を切ってから、跡部は『この雪をな』と付け加えた。

「かなり積もったもんな」
「あぁ。お陰で、テニスコートの意味ねぇな」

そう言って、足もとの雪を少し削る。

「そうだな」

そう。雪が積もってるテニスコートじゃ意味がない。テニスが出来ないからだ。
でも、なんでそんな意味の無い所に俺は居るんだろう?
そしてそれは跡部にも言える事かもしれない。

「そう言えば、諦めねぇからな」
「あぁ?」
「俺、お前に勝つまで諦めないから…。だからテニス、頑張れよ」

何となく言った言葉に、跡部は少し目を見開いた。

「何?」
「いや、てめぇに俺が負ける日なんて来るのかと思ってよ」
「うわっ、すっげぇ嫌味。俺はマジで言ってんだぞ!」
「そうかよ」

少し素っ気無い答え。それでも初めて出会った頃よりは、大分優しくなったと俺は思う。
なんてったって、初めて会った時のコイツの態度と言ったら

『てめぇにゃ聞いてねぇだろ』

だぜ?あの時は本当にムカツイテ、打倒跡部!を掲げてたんだよな。
そんな俺と跡部が、今では普通に話しをしてる。なんて言うか不思議だ。

「おい、神尾」
「う~ん、何?」

跡部に名前を呼ばれて、顔を見ようとしたら、何故か目の前が急に暗くなった。
一時停止する思考。
段々とはっきりとしてくる意識。
いつの間にか俺は、すっぽりと跡部の腕に包み込まれていた。
ばくばくと音を立てる心臓。それを悟られたくなくて、俺は抗議の声をあげる。

「おい、ふざけんなよ」

跡部の胸板を押してみるが、結局、跡部の腕は開放してくれない。それどころか、さっきよりも強い力で抱き締められた。

「おい!跡部っ」
「うっせぇ、寒いんだよ。少しこのままでいさせろ」

跡部の言葉に、目頭が熱くなっていくのを感じる。
こう言う時の跡部は卑怯だと思う。
俺が断れないような理由をつけて、俺の弱い部分を狙ってくるから。





どうせなら、この虚しさが残らない様に明日にはこの雪が無くなっていて欲しい。
そうすれば、この跡部への思いも一緒に消えそうだから…。

雪の思い出だけ、綺麗な結晶の様に残っていればそれでいい。
俺は跡部と一緒に過ごした、この思い出だけで生きて行くから…。

俺の最後の我が侭だから、この思い出を一緒に凍らせて欲しい。
一緒に歩む事が出来ないのは知っているから…。

だからせめて思い出だけは一緒に居させて欲しい。
俺の最後の我が侭だから…。



END





モドル