「な~、跡部」 日差しが暖かな午後。 ベットに転がっていた神尾が急に起きあがり、俺の前に座った。 「なんだよ」 「あのさ、別れてくれない?」 甘える時によくやる少し上目使いで俺を見てると、神尾はそう言ったのだった。 |
愚者 |
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「はぁ?何言ってんだ?」 「だから別れてくれて言ってんの」 「なんでだ?」 「俺、好きな奴が出来た…」 愛の告白をする様に頬を染め、少し顔を伏せながら言葉にする神尾。 「で?」 「だから、別れてくれって」 つまり俺にはもう用が無いと言いたいのか? 神尾のくせに生意気な。 「お前が始めに言ったんだろ。俺とは遊びだから、いつでも別れてやるって。だから…」 俺はそこで言葉を切った神尾の顎を掴み、少し上に向かせた。 何か言いたそうな口に、唇を重ねてやるとすぐに離した。 別れのキス。まぁ、そんなところだろう。 「ゴメンな、跡部。じゃあな」 俺から離れると神尾は、テーブルの上に置いてあるMDを鞄にしまうとドアに向かって歩き出した。 「なぁ、跡部…」 突然ドアの前で立ち止まり、口を開く。 「あぁ?」 「また、会えるか?友達として…」 神尾の心意が読めない。 別れてくれと言ったかと思えば、今度はまた会えるかと問う。 普通、別れた奴とまた遊びたいと思うものか? 「あぁ、暇だったら遊んでやるよ」 いつも言うように見下して言ってやったら、突如こちらに向き直り、心から安堵したような顔で神尾の奴は笑った。 「あっ、これも返す。ここに置いとくから」 そう言って取り出したのは、銀色の鍵。俺が神尾に渡しておいた家の鍵だった。 神尾が出ていた後、鍵を手にして思ったことはただ1つ。 意外にあっけない終わりだったと言う事だった。 「なぁ、跡部」 「なんだよ」 一瞬、この間の事を思い出した。 神尾と別れた時と同じセリフだったからだ。 「神尾君と何かあったん?」 思っても見なかった忍足の言葉に、俺は驚きを隠せなかった。 「なんでだ?」 「よう鳴きよるお前のケータイが、閑古鳥みたいに静かやからな」 そう忍足が言い終わるのと同時ぐらいに、俺のケータイが鳴った。 「鳴ってるぞ」 「こんな機械的な音やのうて、神尾君専用があったやろ?」 殆どの奴が、この何の面白みも無い着信音だが、神尾の奴だけは指定にしてあった。 神尾とああでもない、こうでもないと言いながら、決めた奴だ。 そうだな、あの曲も消さないとな。 「別れたんだよ」 「そうか、別れたんか…って、別れた!?」 俺と忍足しかいない部室に忍足の声が響く。 ったく、本当にウルセー奴だ。 「そうだよ。この先週の日曜にな」 「お前が、フッたん?」 「あいつが言い出したんだよ。好きな奴が出来たんだと」 「じゃあ、跡部がフラレタん!?」 ったく、いちいち癇に障ることばかり言う奴だ。 もっとも口にしたくなかった事まで…。 ムカツいたので、少し低い声で「あぁ?」と言って睨みつける。 すると忍足はすぐさま頭を下げて謝罪の言葉を述べた。 「せやけど、神尾君は跡部にベタ惚れやったんとちゃうの?」 「さぁ~な。遊びだったからな」 神尾が言った通り、俺が最初に言った言葉だ。 もともと、男を本気で相手にしようなんて考えてもいなかった。 ただ、あいつのくるくると変わる表情が面白いと思った。 だから手を出した。 イジメて、からかって、そして時には甘やかして…。 それもこれも全て遊びだった。その言葉で、片付けた。 ただそれだけの事だったはずだ。 「跡部は、よかったん?」 「あぁ、まーな」 よかったっとしか言えない。自分で言い出した事だから…。自分で蒔いた種だ。 「リズムを上げるぜ」 神尾のバカ元気な声がコートに響く。 もう少しテンション落としてくんないかな。 明るさも度を過ぎるとうるさいだけだ。 「最近、神尾元気だよな」 先ほどまで隣りのコートでラリーをしていた石田と桜井が戻ってきた。 「お疲れ」 手元にあるタオルを差し出すと、二人は受け取って汗を拭った。 「なんか、リズムに乗ってるって感じだよな。2対1で、あんなに頑張ってるなんてな」 「あんなの、ただのカラ元気だよ」 「えっ?」 「ううん。なんでも」 神尾は本当に分りやすい性格をしている。 気持ち悪い位、口数が少ない時は本当に落ち込んでて、逆に妙に元気な時は不安でしょうがない時。 本当にバカで困るよね。 脇に置いてあるラケットに手を伸ばし、コートの中の神尾に声を掛ける。 「神尾、交代しない?」 「いやだ。折角、リズムにのってんのによぅ」 「じゃあ、俺と対戦しよう」 「おう」 あーあ、本当にバカだ。 「はぁ~、疲れたー」 結局、皆が帰る頃まで俺と神尾の対戦は続いた。 神尾もさすがに疲れたみたいだしね。 そのまま部室の床に座ってるし。 「ねぇ、神尾。跡部さんとなにかあった?」 一瞬、神尾の身体がびくっと揺れた。 単純バカの神尾は本当にわかりやすい。 「俺、跡部と…別れ…た」 「えっ?」 何それ、捨てられた訳? 「俺から言い出したんだ」 何も言わない俺の表情から、神尾は俺が考えていることを悟ったらしく、再び口を開いた。 やっぱり神尾ってバカ? 「じゃあ聞くけど、なんでそんな苦しそうな顔してんの?」 「えっ?」 本当に驚いてるよ。気付かなかったの?バカな上に鈍いんじゃない? 「まだ、好きなんじゃないの?」 「……」 だんまり?それは肯定ととって良いの?まぁ、どっちでもいいけどさ。 「でも俺、もう跡部さんには遠慮しないからね」 「えっ?」 驚いている神尾の事などお構いなしに、神尾の肩を床に押し付けた。 床に当たった痛みからか、少し顔を歪めた。 少しは悪いと思ったけど、腕の力を抜くような事はしない。 見下ろした神尾の顔は、世界の破滅を宣言されたようだった。 「しっ…深司?」 「神尾、今フリーなんでしょ?なら、問題無いよね」 神尾の頭の上で、両手を押さえつける。 突如、神尾が抵抗を始めた。 まぁ当然の反応だと思うけど。 「嘘だろ!?深司!」 暴れる神尾のジャージの裾からゆっくりと手を入れ、ジャージを捲り上げる。 段々と神尾の白い肌が露になってきた。 すっーと神尾の肌をなぞる。 「あっ…あとべーっ!!」 跡部…そう神尾は涙を流しながら叫んだ。 俺は神尾の両手を押さえていた手を離し、ジャージを元に戻した。 もともと神尾を襲う気なんてさらさらない。 「しん…じ?」 「答えでてるんじゃん」 「えっ?」 「跡部さんに救いを求めたでしょ?神尾は馬鹿だから、こうでもしないと分からないからね」 そう言って、神尾の身体を起こしてやる。 「もっと、自分の気持ちに素直になったら?不器用なんだからさ…」 「うん…」 こうりと頷く神尾の髪を撫でながら、本来、この髪を撫でる人の事を考えた。 跡部さんも、もっと自分の気持ちに素直になれば良いんだけどね…。 「深司、俺…。会いに行ってくる」 「大丈夫?」 「うん…ありがとうな」 そう言って立ち上がると、神尾は自分の鞄を持って部室を後にした。 まぁ、頑張ってね…。 俺は鍵を返しに行くなんて面倒だなと思いつつ、返り支度を始めた。 本当は気付きたくなかった。 俺がどれだけあいつの事が好きだとか、俺が男であいつも男だと言う事とか、あいつが最初に「遊びだ」って言った事とか…。 世間一般的に言って、男と男が結ばれる事なんて、この日本ではありえない。 どっかの国では法律で許してる所もあるらしいけど、キリスト教的に言えば、同性愛は神が禁じた禁断の愛。 まぁ許されたとしても、男女の恋愛ですらいつかは終わってしまうのに、男の俺達が終わらないわけないじゃん。 だったら、俺に残されている選択肢って"友人"しか無いんだと思った。 遊びの恋人ごっともいつかは終わってしまう。なら自分で気持ちの整理をつけたかったんだ。あの時の跡部の言葉を信じよう。これからは友達として過ごそうって…。 だけどゴメン。俺…、やっぱり跡部が好きだ。 リズムを上げまくって、氷帝学園に急ぐ。 部活で散々動き回ったから体は辛かったが、それだけの事をする価値はあると思った。 そして俺が氷帝学園に着いたとき、校門からテニスバックを担いだ奴らが数名出てきた。 俺はその中の一人に向って叫んだ。 「跡部!!」 俺の声に反応して、ゆっくりと振り向いた。 「神…尾?」 「跡部、大事な話しがある」 そう言って跡部は後ろの樺地から鞄を受け取ると、俺の腕を掴んで歩き出した。 「で、今頃なんの用だよ」 跡部の視線が鋭い刃物のように、俺を貫く。 その威圧感に俺は一歩引きそうになる。 だが今回だけは何があっても引き下がれない。 「俺、お前の事が好きだ」 なんの躊躇いも無く、自然とその言葉が出た。 俺の予想外の言葉に、跡部は目を見開く。 「てめぇ、何言ってんだ?」 「好きだ。俺は跡部が好きだ」 以前の俺ならこんな言葉、恥ずかしいと言って言えなかったと思う。 それでも今の俺にはそんな事を考える余裕なんてなくて、自分の気持ちをストレートに打ち明けた。 「別れを言ったのは誰だ?俺はお前の気まぐれで、付き合ったりしてやるほど、優しくはねぇんだよ」 怒りにも似た跡部の低い声。 跡部の反応は、当たり前だと思う。 俺から別れを言っておきながらら、今度は"好きだ"と告白するなんて…。 跡部の言葉に反論出来ないでいる俺に、跡部は踵を返して歩き出す。 そんな跡部の制服を、俺は無我夢中で掴んだ。 「いい加減にしろよな、神尾!」 キレられるかもしれないと思った。 それでも俺は、掴んだ手を離すことは出来なかった。 そして心の奥に秘めた気持ちを、跡部にぶつけた。 「好きなんだ。俺はお前の事が好きなんだ。だから本気で付き合いたかったんだよ…。他の女みたいに、捨てられるのが怖かった。いつ、飽きられるか分からなくて、不安だった。男だからって、遊びだからって…。そう言われるのが、何よりも嫌だった…」 最後の方になるにしたがって、声が消えてしまいそうなほど小さくなる。 跡部の顔が、涙の所為で歪んで見える。 引き止めるために掴んだYシャツを握った手は、いつの間にか縋り付く様な形になってて、まるで女みたいだと思った。 どうせなら、女だったらよかったのに…。 そう思ってしまう自分は、かなり重症だと思う。この男に…。 「お前が初めに遊びだって言ったから…。だから俺は…」 次の言葉をつむぎ出そうとしたが、それははばかられた。 何故なら、強い力で跡部の胸に押さえ付けられたからだ。 「このバァーカ」 耳元で囁かれる跡部の声。 俺が好きな、跡部の声。 そんな気持ちを誤魔化したくて、俺は抗議の声を上げる。 「ばっ、バカってなんだよ!こっちは真剣に…」 顔を跡部へと向けると、跡部はふっっと笑った。 「こんな遠回りな事すんじゃねーよ。素直に言えってんだよ」 そう言う跡部の声が、以前のように凄く優しかった。 跡部の顔が近づいてきて、唇と唇が重なった。 瞼を閉じると、頬を熱い涙が伝う。 俺は、もう離れられないようにきつく抱きついた。 そして跡部もそれに答えてくれるように、抱きしめ返してくれた。 |
END |