たった一人の君へ
カーテンの隙間から日の光がさし込み、俺の顔を照らす。
もう少しだけ寝ていたくて寝返りを打つが、今度は目覚し時計のアラームが、それを邪魔する。だから顔は枕に突っ伏したまま手を伸ばして、時計叩く。
そのまま時計を引き寄せて、顔を上げる。時計の針は7時10分を示している。
あっ、でもこの時計、5分位遅れてるんだっけ…。じゃあ15分か。
そんな事を思いながら、もぞもぞとベッドから這い出した。
ボサボサの髪のまま、机の脇に立ててある鏡を覗き込む。

「おはよう、14歳の俺!」

そう、今日は8月26日。俺の14回目の誕生日だ。
夏休みだから会う人は限られちゃうけど、部活があるからまだマシな方だ。



玄関を飛び出すと、昨日の俺とは違う気がして(でも実際は、大した差なんてないんだけど)少しだけ、リズムを上げる事にした。皆と会えるのが嬉しくて…。
去年は色々あって大変だったけど、今年は違う。
橘さんが来て以来、調子も良いし。

ただ一つだけ気がかりな事がある。それは部活の後、跡部に会いに行くかどうか。
あいつ、今日が俺の誕生日だって事、知ってんのかな?
以前、あいつの誕生日を聞いた時に言った気がしないでもないけど、あの跡部の事だしな…。
だからって、俺がわざわざ「今日、俺の誕生日なんだ」って言ったら
「それで俺様に会いに来たのか?」ってニヤニヤしながら言いそうだよな。
いや、あいつの事だから絶対言うに違いない。
これだけは自信を持っていえる。
それでも会いたいなんて思ってしまうのは、やっぱり好きな奴に“おめでとう”って言って欲しいからなんだよな…。どうせ素直に言ってくれねーだろうけど…。



そんな悩みを抱えたまま部活に臨み、その部活もあっという間に終ってしまった。

「神尾と深司は残ってコートの整備。他の者は、俺について来てくれ」

そう言うと、コートには俺と深司だけが残った。深司はこの暑さでいつもよりぼやき五割増だし、こりゃ早く終わらせた方がいいよな。

「そう言えばさ…」

ふと思い出したかのように深司が口を開く。

「何?」
「今日って確か…神尾の誕生日だったよね。どうでもいいけど…」
「えっ!?深司覚えててくれたの?」

マジ?家族以外の人に言われるの、深司が初めてなんだけど。
どうしよう、凄く嬉しいかも。

「なんか俺のことバカにしてる?少なくとも、神尾よりは頭はいいよ」

やべぇ、機嫌損ねた?

「してねぇ、してねぇ。ただ嬉しくってよ」

そう言いつつも、改めて人に言われるとなんか恥ずかしいな。

「何笑ってんの?キモイよ?」

深司の毒舌発言もぼやきも全て受け止めれそうで、いつのまにか俺は顔の筋肉が弛んでいた。



所々錆付いた部室のドアに深司が手を掛けようとしたが、何故かぴたっと止まり、こちらを振り向いた。

「神尾が開けてよ」

深司の突飛いた発言に俺は首を傾げたが、言われた通り扉を開けた。

パン パン パン

「お誕生日おめでとう、神尾」

目の前を色とりどりのペパーリボンが流れていく。

「えっ?えっ!?」
「ビックリした?神尾君」

私服姿の杏ちゃんがにっこりと聞いてくる。
セーラー服姿も可愛いけど、ワンピース姿もいいなと思わず見とれてしまう。
って、そうじゃないよな。

「なんで、杏ちゃんがここにいるの?」
「なんでって神尾君の誕生日を祝う為じゃない」

そう言って手を引かれて部室の中に入ると、中央に置かれた机の上には丸いケーキが置いてあった。

「伊武君から神尾君の誕生日を聞いてね、皆でお祝いしようって事になったんだ。
 あっ、ケーキは私のお手製ね」

えっ!?俺の為?
しかも杏ちゃんの手作り。

声にならなくて皆の顔を見回すと、皆が笑顔で答えてくれた。

「14歳、おめでとう。神尾」

橘さんがぽんぽんっと頭を撫でてくれた。嬉しくて、涙が出るかと思った。

「ねぇ、早く火を消してくんない?ケーキが食べれないじゃん」

人が折角、感動していると言うのに、深司に水をさされて気分半減。
でも、あまり待たせると後が怖そうだったから、俺は一気に火を吹き消した。
白い煙がふわっと舞った。

パチパチパチ

「お誕生日おめでとう」

皆から拍手を貰い、祝いの言葉を述べられ俺は顔を染めながら

「ありがとう」

とお礼を言った。
その後は杏ちゃんがケーキを切り分けてくれて、皆で一緒に食べた。
俺って幸せ者だなと思いつつ食べたケーキの味は、最高に美味しかった。
そしてケーキを食べ終えると、俺達は街に出かけた。
映画を見て、ウインドウショッピングをしていると、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
しかしどこか見慣れた奴の姿を見つけ、思わず声を上げてしまった。

「あっ!」

急に俺の心臓が高鳴った。
それと同時にマズイと思った。

「どうしたの?神尾」
「よぉ、橘じゃねーか」

次の瞬間、2つの声が重なった。
前者は間違いなく深司の声で、後者は…。

「跡部か。久しぶりだな」

そう言う橘さんの視線の先には、跡部と樺地さんが立っていた。
跡部はいつもの様に樺地さんにカバンを持たせて偉そうにしている。

「仲良く買い物か?」

にやりと嫌味を込めて言ってくる。
そう、こう言う嫌な奴なんだよな、跡部って。

「あぁ、神尾の誕生日祝いなんだ」

それなのに橘さんは丁寧に言葉を返すし。
しかも俺が散々悩んでた事まで言っちゃうし。
微妙に気まずいなとおもっていると、橘さんの言葉に跡部は明らかに反応を示した。眉を細め、後ろに立っている樺地さんに一言、二言言うと、樺地さんはカバンを跡部に渡し、帰って行った。
そして跡部はこっちに近付いてきた。

「橘、こいつの事貰って行くぞ」

橘さんが答えるより早く、跡部は俺の腕を掴んで歩き出した。
俺は跡部に引っ張られながら、遠くなって行く皆に

「今日はありがとうございました。また明日…」

と言う事ぐらいしか出来なかった。



「おい、好きなの選べ」
「えっ、何を?」

考えるより先に出てきた言葉に、跡部は小さく溜め息をついた。

「お前、本当にバカだな。ここで選べるのはケーキぐらいだろが」

あっ、そうか…。ここケーキ屋なんだっけ…。

跡部に言われてから気付くなんて、俺ってバカ?
でも普段、こんな洒落たケーキ屋何て利用しないから、身構えてしまう。
しかしいつまでもこうしていると、跡部にマジで怒られそうだから俺は急いでケーキを選ぶ事にした。
ガラスの中のケーキは、苺が乗っかったショートケーキから、口に出して言うと舌を噛みそうな物まで様々だ。三段になっているショーケースを俺は、右往左往しながら見つめた。

「跡部!俺、これが食いたい」

そう言って俺が指差したのは、茶色の生地(多分、ココアだと思うんだけど)に紫色のムースみたいのが乗ったケーキだった。後で気付いたんだけど、それはカシスのムースで、上に木苺がちょこんと乗っている物だった。

「チョコレートとかじゃなくていいのか?」
「はぁっ?」

何でチョコレートなんだ?安いから?でも、ここのはどれも高いよな…。
絶対、ベルギー産とかの高級チョコ使ってそうだし…。

俺が不思議そうに考えていると、跡部は

「お前はお子様だからな」

と言って、軽く笑った。
今は、お前と同じ年なんだぞ!って言ってやりたかったけど、ここで跡部の機嫌を損ねるのも嫌だったので、俺は言葉を飲み込んだ。
結局、跡部は俺が指差したケーキを2つ買い、俺達は店を出た。



跡部の家に着くと、跡部はお湯を沸かす為キッチンに向かったので、俺は先に跡部の部屋に入った。
しかしあの跡部が自分でお湯を沸かして紅茶とかを入れちゃうんだよなぁ。
なんていうか少し意外だ。
しかもティーカップはなんか結構高いやつだし、紅茶も確かフランスの有名ブランドのだとか言ってたよな。
俺、家とかじゃティーバック以外で紅茶なんて飲まないしな…。
そんな事を考えながら、俺は近くにあった雑誌を手にとって、時間を潰した。

「待たせたな」

紅茶の入ったポットとティーカップ、そしてケーキを持って、跡部が入って来た。
目の前のテーブルに一つ一つ置き、カップに紅茶を注いでくれた。アップルティの香りが部屋いっぱいに広がる。

「食って良いぞ」

跡部に促がされて、俺はケーキにフォークを入れた。
ぱくっと口に運ぶと、カシスの酸味が広がる。

「う~ん、酸っぱい」

フルーツ独自の酸味を噛み締めていると、跡部がそんな俺の事を見ているのに気づいた。

「じゃあ何で、それにしたんだよ」

跡部も口に運ぶが、特にリアクションを示さない。大人の余裕って奴?(違うか)

「だって昼にも杏ちゃんが作ったケーキ食べたから、他の味が食べたかったんだよ」

だって、いくら嬉しいと言っても、一日にショートケーキを2つも食べるのは、つまらないと思うもんだろ?

「それに…」

俺が言葉を切ると、跡部は飲んでいた紅茶をソーサーの上に戻した。

「甘いショートケーキより、少し酸味のあるこのケーキの方が、俺達らしい気が…しない?」

ちょっと上目使いに跡部の顔を見ると、不意討ちを食らったみたいに、ぽかんとした顔をしていた。

「バカ言ってんじゃねぇーよ」

そう言うと、紅茶を一口飲んだ。
いつもの悪態をつきながらも、少し優しそうな目で、俺の事を見ていた。
そんな跡部の顔を見ていて、俺は重大な事に気がついた。

「そう言えばさ、俺まだ跡部に"おめでとう"って言われて無い」
「言って欲しいのか?」
「うん、言って欲しい!」

やっぱり皆に言われるのと、跡部に言われるのって違うから…。

跡部は少し考えていた後、ちっと小さな舌打ちをした。

「しょーがねぇーな。今回だけだぞ」
「うん!!」

俺が嬉しそうに答えると、なぜか跡部は立ち上がった。
そして俺の後ろに腰を下ろすと、後ろから抱き締められたような形になった。
それだけで、俺の心臓は早くなってしまう。
跡部の息が耳元にかかって、くすぐったい。軽く深呼吸したのがわかった。
そして……

「ありがとな」
「はぁ?」

ありがとうって、お礼の言葉じゃなかったっけ?俺が言うはずの言葉だよな?
少し考えて、跡部に騙された事に気付いた。

「跡部の嘘吐き!」
「俺がお前の言う事を、聞くとでも思ってたのか?」

いつもの嫌味ったらしい笑顔で言われ、俺は今更ながら跡部の性格を知った気がした。

「くっそー。俺、お前の誕生日の時、おめでとうってぜってぇ言わねぇーからな!」

悔しくてそう言う俺を見ながら、跡部は再び笑ったのだった。



『生まれてきてくれて、ありがとう』

柄にも無く、跡部景吾はそんな事を思っていたのだった。



END





モドル