噴水の水は重力に逆らい、天に昇る
しかし完全に重力から解き放たれたわけではない
それもほんの一瞬の事
すぐ重力に捕まり、地面に叩きつけられる
その姿は、まるで俺のようだ
重力
初夏の太陽が神尾を照らす。しかしいつものようにテニスをしている訳ではない。
神尾はある人物との待ち合わせの為、公園にいるのだ。
一時間ほど前から腰を下ろしている噴水前で、神尾は時折周りを見渡す。
そして神尾は本日十何回目かの携帯チェックをする。
着信も無く、メールも来ていない。
なのに携帯電話の画面の時計だけが、時を刻んでいく。
その事実に、神尾は不機嫌な顔で携帯電話を再びポケットに仕舞った。

何やってんだよ…。

神尾はまだ来ない待ち人の事を思いつつ、空を見上げた。
空には雲がいくつか浮かんでいるだけで、見事なほど晴れている。

こんな天気のいい日に、俺は何してるんだろう…。

そう思うと自然と溜息が漏れる。



突如、ポケットの中の携帯電話が鳴り出した。
その音は今、自分が待ち合わせをしてる人物の指定音。
画面にはその者の名前がはっきりと表示されている。
やっとかよ…と言う思いで、神尾はボタンを押した。

「もしもし…」

せめてもの意思表示に、神尾は明らかに不機嫌な声で出た。

『お前、電話に出るのにどうして、こんなに時間がかかってんだよ』

神尾よりも機嫌の悪そうな跡部の声。
神尾は一瞬、本当に自分が悪いのではないかと言う不安に襲われた。
しかし自分は何も悪い事をしていないので、すぐさま反論した。

「お前が悪いんだろ!」
『はぁ?どうして、お前が電話に出るのがおせぇのに、俺様が関係あんだよ』
「おっ、お前が約束の時間を一時間過ぎても、来ないからだろ!」
『……』

何故か、少し間が空いた。
嫌な予感がして、胸がざわつく。

『お前、まだ待ってやがったのか?』
「まっ、まだって、どこにいんだよ!?」
『家に決まってんだろ。普通、一時間も待たされたら、帰るだろ。バカか?お前』

折角、この日差しの差す中、一時間も待っていた神尾に対して、跡部からのこの仕打ちはあまりにも酷い。
この瞬間、神尾の中で1本の糸がぷつりと音をたてて切れた。

「ふざけるなよ!お前の所為だろ。バカヤロー!!」

ありったけの声で叫ぶと、神尾は跡部との電話を切った。
家の中であればクッションに向って携帯電話を投げ捨てているところだ。
だが外でそれを実行する事は理性がブレーキをかけた。
しかし肩で息をするほど、神尾の怒りは頂点に達していた。



神尾は幾分"跡部景吾"と言う人物を理解してるはずだった。
だから時間に間に合わないと思うと、跡部が簡単に諦めてしまう事も知っている。
しかし自分から誘っておいて、この結末はあんまり過ぎるだろう。

久しぶりに会おうって言ってきやがったくせに…。

神尾は再び噴水前に座り、溜め息をついた。
跡部の我が侭な性格に、いくら振りまわされたか分からない。
その度に何度、跡部から離れようと思った事か…。
ただの友人同士なら立場も対等だと思う。
ただ、あの跡部と対等などありえるのだろうか?いや、ありえない。
しかし俺は跡部に惚れている。
そして跡部は、その俺の気持ちを知っていて遊んでいる。

たぶん今一番のおもちゃ。

この事に気付かないほど、俺だってバカではない。
だから逃げようとした。こんな自分が惨めで、悔しくって、苦しくて…。
だけど逃げられなかった。跡部の長い腕が、俺に絡みつく。
それはまるで重力のように、俺を離さない。
あの腕に抱かれ、甘い声で囁かれた日には、逃げる気も失せてしまう。

情けない、たかがあいつから離れるだけなのに…。

神尾はそんな自分自身を呪った。

どうして俺は、あんな奴を好きになってしまったのだろう。
初めての出会いは最悪で、決して良い思い出などではない。むしろ悪い思い出。
それなのに好きになってしまった。
"いつ" "どうして"と言う事が言えないほど、好きなのだ。
それなのに俺は、跡部にその気持ちを遊ばれている。
あいつに俺の思いが届く事など、絶対ありはしない。それも分かっていた事。
それでも俺は、気付いた時にはあいつに告白していた。
あの色素の薄い髪も、あの魔性のような瞳も、あの声も。
全て、全て、手に入れたかった…。
それだけは隠しようのない真実。



「まだ居やがったのか」

吐き捨てるような台詞。しかしそれは間違い無く自分に向けられている。
それが神尾を現実へと引き戻した。
神尾はゆっくりの振り向き、その声の主を見た。

やっぱり跡部だ。

自分の為に来てくれた跡部に一瞬、心が揺らいだ。しかし先程の事もあり、神尾は無理やり顔の筋肉を引き締めた。

「何だよ」
「何だよじゃねーだろ。わざわざ俺様が来てやったんだぞ」

そう言って神尾の脇に腰を下ろした。
その瞬間、神尾は胸の鼓動が早くなったように感じた。

どこの乙女だよ…。

そう思いつつ、神尾は口を開く。

「お前が約束を破ったからだろ」
「お前、まだこだわってやがったのか?」

"まだ"と言う言葉が引っかかる。
しかしそんな事を跡部は気にせず、神尾の顎に手をかける。
そして伏せ目がちだった神尾の顔を自分へと向かせた。
神尾の長い前髪が、さらっと揺れる。

「そんな顔ばっかしてっと、本当にそんな顔になるぞ」

と、鼻で笑った。
神尾は、そんな跡部の態度に顔をしかめる。
右手で跡部の手を払いのけ、帰る為に立ち上がろうとした。
だが、急に強い力に引き寄せられ、気が付けば神尾は跡部の腕の中にいた。

「はっ、離せよ」

跡部の突然の行動への驚きに、神尾は抗議の声を上げる。

どうして、こんな時に限って、こんな卑怯な手に出るんだよ。

心の中でも悪態をつくが、跡部は以前と神尾を掴んだ手を放す様子は無い。
仕方なく神尾は、跡部から離れようと手のついた跡部の胸を押し返す。
しかし、神尾の力では跡部から離れる事は出来そうも無い。
それどころか跡部の胸は、成長期のため程好い筋肉が付き、神尾の力がとても小さな物に感じられる。
跡部はその事に気付いたのか、優越感に浸るように機嫌がいい顔をしている。
そして自らの顔を神尾の耳元に寄せた。
神尾の体が大きく跳ねた。

うわっ…。

びくびくしている神尾の事などお構いなしに、跡部は一息つくように瞳を閉じ、神尾の香りを嗅ぐように大きく息を吸った。
時々見せる跡部のこう言った表情に、神尾はいつも翻弄されっぱなしだ。
そしてそんな跡部に、神尾は身をゆだねた。

あぁ、まただ…。

今回もダメだ。偉大な重力は、俺を離さない。
そして俺は、その居心地の良さに逃げる気を失ってしまうんだ。
これでは、いつもと変わらない。


俺は いつ 自由に なれるの だろう。
俺ハ イツ 自由ニ ナレルノ ダロウ。


跡部とのやり取りに溺れながら、神尾はそんな事を思っていた。



END





モドル