呼ぶ声
いつも通り部活を終え、俺は鞄を担いで氷帝を後にする。
幼稚舎から高校までここに通い、俺の人生の半分くらいの時間を過ごしている場所だ。
よく親が月日の経つのは早いものだというが、確かにその通りだと思う。
しみじみとした気分で歩いていると、ポケットに入れておいた携帯電話が振動し、すぐに止まった。ポケットから取り出すと、神尾からのメールだった。

そう言えば、こいつとの付き合いも3年ちょっとになる。
中学3年生の時に最悪の出会いをし、しばらくしてそこから一転し友人となった。
時々昔を振り返っては、よくあれから交友関係を築けたものだと思う。
今思えば、あの頃の俺はまだ子供だった。
当時の自分はもう子供ではないと思っていたが、今ではよくわかる。
何度もすれ違いをし、口論をし、時には手も出た。
あいつももともと負けん気の強い奴だったから、お互いひかずにいる事もしばしば。
それでも3年、こうして一緒にいる。
いまだに口論は絶えないが、それもお互い楽しむ節がある気がする。

メールを開くと、そこには久しぶりに夕食でも一緒に食べようという神尾からの誘い文句が並べてあった。こっちの予定も聞かず、待ち合わせ場所まで書いてある。
まぁ俺が断る理由もなく、その誘いを受ける事はほぼ確実だと思ったのだろう。
俺は了解の言葉を打ち込むと、すかさず送信した。
待ち合わせの場所は氷帝近くの駅だ。
今日は他校との合同練習で、神尾は近くまで来ていたらしい。
勿論それは今届いたメールに書いてあった情報だ。



「おーい、跡部」

バス停の脇を歩いていると、テンポよい足取りで神尾が駆け寄って来た。
出会った頃の不動峰の黒いジャージではなく、去年の4月に入学した高校のジャージに身を包んだ神尾は、出会った時よりも背が伸びた。
あの時はちょうど10cmの身長差が、今では7cm弱。
そうは言っても俺もまだ成長期で身長は伸びているが、俺より一つ下の神尾にいつか追いつかれるかもしれない。ちょっと見下ろして話をしていたのが、いつのまにか見上げて話をするというのだけはごめんだと思いつついるのは、ここだけの話だ。
いまだに邪魔な前髪を伸ばし、髪形は変わっていないから学ランを着ていたら中学生を間違われるかもしれない。この事を指摘すれば神尾は怒り出すから絶対口にはしない。

「早かったな。もうちょっと時間かかるかと思ったぜ」
「そう思うなら、てめぇの都合で話を進めるな」

"いつもお前の都合に合わせられると思ったら大間違いだ"と言えば、神尾は全く悪びれたようすもなく"わりぃ、わりぃ"と言葉を返してくる。

「だけどよぅ、こうして来てくれたじゃん、跡部」
「たまたまだ」

そう言葉を返せば、"ちぇっ"と言って拗ねる様も3年前から変わっていない。
いや、あの頃はむきになって何かと噛み付いてきたからそれよりはマシか。

「で、夕飯はどうするんだ?」
「あぁ、そうだったな。湯豆腐なんかどうだ?」
「湯豆腐か」

確かに頬を掠める風も冷たさを増してきているし、悪くないな。
俺は二つ返事をすると、夕飯の食材を買いにスーパーに向かった。



「じゃあキッチン借りるからな」

既に我が家であるかのように俺の家を熟知した神尾は、スーパーのビニール袋を手にしてキッチンへと向かう。
いつもは自分で使う場所を別の者が使うというのはなんとも不思議な感じだが、それも神尾なら何の違和感がないところまできている。まるで家族のようだ。
夕飯の準備は神尾に任せて、俺は一旦自分の部屋に向かった。
制服から私服に着替えると、下に行きキッチンを覗く。

「何か手伝う事あるか」
「卵3つ溶いて、あともやしの根っこ取り除いといて」

まな板の上で鱈やしいたけを切っている為、視線をそらさずに神尾は答えた。
メニューは神尾のほぼ独断で湯豆腐、甘い玉子焼き、ほうれん草のおひたし、もやしと人参の温野菜サラダだ。
それらに使う材料は俺の家にある食材と、スーパーで購入してきたものを使う。
俺はテーブルの上においてあるもやしの袋を開け、ボールにもやしをいれると水道をひねった。すぐに一杯になるような水量ではないので、その間に卵をボールに割りいれて、菜箸で空気を入れないように一を書くように溶く。味付けは神尾好みになるからそれ以上は手をつけず、もやしの根っこをとりのぞいてはざるに入れる。
その間、脇で神尾は忙しそうになべを覗いたり、ほうれん草をゆでたりしている。

やっともやしの根っこ取りが終わると、今度は神尾から鍋を熱々の状態で食べる為にコンロか何かはないかと聞かれた。
確かに鍋あつあつの状態で食べた方が断然美味い。
俺はキッチンを離れ、以前母親が購入した電磁調理器を探す事にした。

片付けてあった電磁調理器をテーブルの上にセットしていると、キッチンから俺の事を呼ぶ神尾の声がする。きっと鍋が出来たら、運べというところだろう。
こちらも準備は整ったからちょうどいい。
鍋つかみを手に、鍋をキッチンからダイニングのテーブルへと運ぶ。
その後から神尾が出来上がった他のおかず、ご飯を持ってきてテーブルに置いた。
こうして帰宅後30分ちょっとで夕飯の準備は完了した。
お互い定位置となっている椅子に腰を下ろし、いただきますと言う。
鍋の中で熱々になっている豆腐と鱈、そしてしいたけを器によそい、神尾が作ったタレを上からかける。だし汁に醤油、そこに鰹節と刻んだねぎと三つ葉が入っている。
神尾の家ではいつもこうやって食べるのだと、以前聞いた事がる。
確かにこうやって食べれば豆腐だけではなく、色々な野菜も食べれる。
豆腐を口に運んでいると、神尾が口を開いた。

「なぁ跡部、それとって」

テーブルの反対側から手を伸ばす神尾に、醤油をとってやる。
神尾はよく物の名前を言わずに"それ"とか"あれ"などの指示語で済ませる事がある。
日本語の凄いところは主語がなくても、きちんと会話が成り立つ事だと言うが、神尾と話していると全くその通りだと思う。

「なんかこうして跡部と飯食ってると家族みたいだよな」
「あぁ、そうだな」

それは偶然にも俺が少し前に思っていた事だった。
まさか同じ日に同じ事を神尾まで感じているとは思わなかった。

「だけどよぅ、跡部と兄弟って感じでもないよな」

なぜか突然現実味を帯びた話をし始める神尾に、俺もつい話をあわせてしまった。

「親子もごめんだぞ。お前の頭は俺様似じゃないからな」
「なんで俺が子供なんだよ」
「お前にぴったりだろ」

"ガキっぽいところなんか、まさにそうじゃないか"と指摘すれば、神尾は悔しそうに豆腐を口に運んだ。反論しないところをみると、自分自身認めているのだろう。
3年前と比べると大きな変化だ。あの頃はすぐに反論してきがというのに。

「じゃあ夫婦とか?30年ぐらい連れ添ったおしどり夫婦」

じっと何を考えているのかと思えば、神尾の大して働いていないであろう頭は新たな結論を導き出した。
まだ続くのかという呆れから、前言撤回をしたくなったのは言うまでもない。
だがそんな神尾に付き合ってしまう俺も俺だと思う。

「バァーカ。いいところ新婚だろ」
「でも夫婦で苗字呼びはおかしいじゃん」

なぜそこまで話が流れるのかわからないが、思わず同意してしまう。

「そうだな。なら、アキラって呼んでやろうか」
「じゃあ俺は景吾さん?」

その場の空気とは恐ろしいもので、普段なら絶対のらないあろう戯言を口にした。
しばしの静寂の後、神尾がぽつりと言葉を漏らす。

「ありえね」
「だな」

どんな親しくなっても、お互いに下の名前で呼び合うのは柄じゃない気がする。
ある一線を越えるか越えないか、そんな関係なのかもしれない。
だがこんなバカらしい会話も楽しいと思えるのも事実だった。
鍋から湯気が立ち上る部屋の中、互いの笑い声だけが響いた。



END





モドル