開いた窓
いつものように、氷帝と不動峰の中間地点にある駅で神尾を待っていた時の事だった。
ズボンのポケットにしまった携帯電話が鳴った。
それは神尾が自分で設定した神尾専用着信音で、俺はポケットから取り出す頃には着信音は鳴り止んでいて、メールだった事が分かった。
カチカチと弄ってメールを開く。

【 12:38 神尾アキラ】
no subject
悪い!!
掃除当番になっちまった。
少し…、いや、結構遅れる。

用件だけのメールを読み、きっとじゃんけんか何かに負けて当番になったのだろうと俺は予想した。いつだったかも、同じような事があったから間違いないだろう。
携帯電話をポケットにしまい、どこかの店に入ってあいつを待つべきかどうか考えた。
今、このようなメールを送ってきたのだから神尾はまだ学校だろう。
となると、これから掃除をしてダッシュでここに向っても、かなりの時間を要するわけだ。
つまり、ここで神尾が来るのを待つというのは効率が悪いという事だ。
ここでの待ち合わせは、大体同じ時間に学校を出た際に有効なわけであって、片方が遅れてくるのであれば意味をなさない。

仕方ない、迎えに行くか。

そう思うと、俺は先ほど抜けた改札に再び舞い戻った。



不動峰に向って歩いている途中、神尾を迎えに行くという行為を今まであまりしていなかった事に気付いた。
女ならともかく、男である神尾にそれはあまり必要ないと思っていたからだ。
別に女みたいに付き合うのであれば神尾と付き合う必要もないし、神尾もそんな風に扱って欲しいとは思っていないだろう。
まぁ、たまに"少しは優しくしろ!"と言ってくる時もあるが、それも"イコール女みたいに扱え"では無い。
その所為なのかもしれないが、少し違和感があった。

不動峰までは今までにも何度か行った事はある。
日が落ちた頃、神尾が学校に侵入するんだと言って連れて行かれたからだ。
まぁ侵入といっても校舎自体に入るのではなく、テニスコートや部室付近をぶらつくと言うものだった。
この間、体育でサッカーをやって1点入れたとか、ここでテニス部の奴らと100mダッシュをしたとか、どうでもいい事を話しながら神尾が説明していくのだ。
お陰で大分不動峰について詳しくなった気がする。
少し錆びた門をくぐり、校舎へと近づいていく。

確か神尾のクラスは2階の左端から3つ目教室だったよな。

神尾の教室を知っているのも、不動峰に"侵入"した時にあいつが言っていたからだ。
窓際の一番後ろの席が一番快適らしく、とても気に入っているとも言っていた。
掃除をしている所為か、どの窓も開いている。
全開に開かれた窓からは、白いカーテンがひらひらと見え隠れしている。
そして空気を伝い、教室に残っている者の会話がかすかに聞こえてきた。
はっきりとした会話は聞こえないが、神尾が何やら騒いでいるのだけは分かった。
大方、掃除当番になってしまった愚痴を言っているのだろう。

ここに来て、この後どうするか考えていなかった事に気付いた。
いくら不動峰まで来ても、神尾が掃除が終らない事には意味がないのだ。
電話をかけて呼び出すという手もあるが、掃除中の神尾の事だ、きっと鞄の中にしまってあるだろう。
かといって、ここで大きな声を出して呼び出すなんて事はしたくはない。
ただでさえ明るいうちから他校に侵入しているのだ、わざわざ目立つような行動をする気はない。
マジでどうするか考えていると、べランダに繋がっているドアがいきなり開いた。

「神尾が負けたのがいけないんでしょ。つきあってやってる俺の身にもなってほしいよね」

ブツブツと呟きつつベランダに出てきたヤツを見ると、そいつは伊武だった。
実際に言葉を交わした事は無いが、神尾のヤツがよくあいつの話をするから嫌でも耳に入ってくる。
神尾の幼馴染の伊武深司。
テニスのセンスはいいが、あいつに本当の事をぼやかれるのは正直凹むと神尾が言っていたヤツだ。
どうやら、あいつと神尾の2人で掃除をしているようだ。
俺はそいつの事を何気なく見ていたが、相手も俺の事に気づいたらしく視線がぶつかった。
相手も俺の事がわかったらしく、しばらくじっと見つめていたが、くるりと教室の方を向くと神尾の事を呼んだ。

「神尾、ちょっとこっちに来て」
「え?何かあったか?」
「いいから、早く」

反論を許さない口調で言う伊武に、教室の中にいる神尾はしぶしぶといった声を上げた。

「なんだよ、いきなり…」

ひょこっと伊武の後ろから神尾が顔を出した。
そして伊武のヤツは何も言わずに俺を指差し、神尾の視線が俺へと移った。

「あっ、跡部!?何やってんだよ、お前!」
「あぁ?人が折角迎えに来てやったって言うのに、てめぇのその態度はなんだ?」

俺が不動峰に来た理由を言うと、神尾は"え?"と言って間抜けな顔で俺の事を見た。
まぁ俺自身も自分で珍しいと思ったのだから当然の反応だろう。

「で、てめぇはいつまで掃除してんだ?置いてくぞ」

自分から迎えに来ておいて、置いていくも何もないと思ったが、そういうと神尾は一瞬慌てたようだった。

「あと少しなんだって。だからもう少し待ってろよ」

そう言って神尾が教室に戻ろうとした時だった。
伊武のヤツが神尾の腕を掴んでそれに静止をかけたのだ。
俺も神尾も不思議そうに伊武の事を見たが、伊武のヤツはそれを気にするようでもなく、ゆっくりと口を開いた。

「神尾、行ったら?」
「えっ?だって、まだ終わってねぇじゃんかよ。掃除…」
「黒板を掃除したらもう終るし、それ位俺1人で事足りるよ」

神尾は突然の申し出に、じっと伊武の事を見返した。

「いいのかよ、深司は」
「神尾がどうしても掃除したいって言うのならいいけど」
「そうは言ってないけどよぅ…」

神尾のヤツも出来る事ならとっとと帰りたいのだろう。
俺がわざわざ不動峰まで来たのだから当然だ。
しかしだからと言って、自分の仕事を途中で放棄して帰れるようなやつではない。
一種のジレンマに陥りかけている神尾に、伊武のヤツは言葉を続けた。

「誰もタダとは言ってないでしょ。お昼の飲み物一本で手を打ってあげる」

"それならいいでしょ"と言って、神尾の返事を促す。
神尾は少し黙っていたが決心したように、伊武の手を掴んだ。

「わかった。今度絶対おごるから!」
「大丈夫、神尾が忘れても俺が忘れないから。ほら、早く行きなよ」
「おう、サンキューな。深司」

伊武にそう言って神尾は教室の中に消えていった。
きっと手に持っていたほうきをしまい、急いでここに来るだろう。
神尾の足なら、そんなに時間はかからないだろうと思い、俺は見上げていた視線を元にもどした。
ずっと上を見上げていた所為か、少し首に痛みが残った。

「跡部さん」

突如自分の名を呼ばれ、俺は再び上を見上げた。
伊武のヤツは何を考えているのか分からない顔で、じっと俺の事を見ていた。

「別に俺は、神尾が誰と付き合おうと文句はいいませんけど、一つだけ忠告しておきます」
「忠告だ?」
「えぇ」

こくりと頷くと、伊武のヤツは静かな声ではっきりと言った。

「神尾の事、泣かせたら許しませんからね」

静かな声の中に、伊武の本音が隠れているようだった。
ったく、神尾のヤツも厄介な友達持ちやがって…。
そう思うものの、逆を言えばそれが神尾の支えになっているのだから、それはそれでいいかとも思う。

「てめぇなんかに言われなくても、わかってる」
「そうですよね。跡部さんは神尾と違って大人ですからね。でもだから忠告なんですよ」

不敵な笑みを浮かべた伊武は、そのまま静かに教室の中に戻っていった。

神尾と違うか…。
俺だって、まだまだガキだけどな。

神尾には絶対言わない本音を心の中で呟き、俺は近づいてくる足音を聞いていた。



END





モドル