時計の音 |
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俺、神尾アキラは1年半ぶりに風邪をひいた。 原因は髪の毛を乾かさずに、薄着のままコタツで寝た事。 まずいとは思っていたが、疲れてた体は言う事を聞かず、そのまま休息にはいってしまったのだから仕方が無い。 学校には母さんが連絡を入れてくれて、朝からずっと布団の中だ。 おでこには冷却シートを貼って、ベッド脇には水の入ったペットボトルと薬、そして体温計が並んでいる。 さっき体温を測ったら、朝より少し上がっていた。まだ熱が完全に上がりきってないから、まだまだ上がるだろう。 肩まですっぽりと毛布でくるんで寝ていると、カチャッという音がした。 「じゃあ、母さん仕事に行くけど、無理しないで寝てるのよ」 ドアを開けてそう言う母さんは、出勤前の為にきちんと身支度を整えていた。 父さんは出張中だし、母さんは夜間勤務の日だから、これからこの家には俺1人になる。 そんなのはもう慣れっこだが、やはり風邪をひいた時なんかは結構辛いものがある。 「それで、夕飯はどうする?一応、おかゆは作ってあるけど」 いくら温めなおすだけだと言っても、熱でふらつく俺が、1階のキッチンまで行ってそれを行うのは一苦労だ。 少し考えて、とある友人の顔が浮かんだ。 「あぁ、深司に頼むから心配しなくていいよ」 多分、ちょっとぼやきは言われるかもしれないが、頼めば来てくれると思う。なんだかんだで優しいからな、深司は。 それにうちの合鍵の場所を知っている深司なら、例え俺が眠っていてチャイムに気付かなかったとしても、勝手に入ってこれるだろう。 俺と深司は長い付き合いだから、母さんからの信用もある。 俺の言葉に、母さんは安心したように頷いた。 「わかったわ。じゃあ、行ってくるわね」 「いってらっしゃい」 母さんが出て行ったのを確認し、俺は枕元においてある携帯電話に手を伸ばした。 金属のボディーはひんやりとしていて気持ちがいい。 携帯電話を開いて新規メールを作成していると、カチカチと爪がボタンに当たる音がした。 「よし」 送信した事を確認し、携帯電話を閉じる。 今はちょうど昼休みの時間帯だから、きっと深司もメールに気付くだろう。 案の定、直ぐに深司から返信が来た。 部活後に寄ってくれる事。合鍵で入るから、俺は寝ててかまわないと言われた。 そして最後に「神尾がいないと静か過ぎて不自然だから、早く良くなってよね」と書いてあった。なんとも、深司らしい一文だと思った。 だけどその一言が嬉しくて、俺は早く風邪を治す為に眠りに付く事にした。 だが、なぜか寝ようと思う俺の意思に反し、中々眠気は襲ってこない。 逆に、目が覚めてきた気さえする。 普段、寝つきの悪い時は好きな音楽を聴いて寝るのが定番だが、さすがに風邪を引いていて頭が痛い今の状況では、それも逆効果だ。 生憎、俺は跡部のようにクラシックなんて持っていない。 リズム感の良い音楽ばかりだ。 ふと、跡部の事が頭を過ぎった。 次に会う約束をしているのは、確か来週の日曜日。 久しぶりにテニスの相手をしてくれると言っていた。 それまでに風邪は治したいと思う。 病み上がりの状態でやろうものなら、跡部に怒られる事は目に見えているからだ。 「はぁ、それにしても暇だ…」 友人である深司みたいだと思いながらぼそっと呟いた言葉は、風邪の所為で少しかすれていて、自分の声じゃないように聞こえる。 喉を潤すために、ベッドの脇にあるペットボトルに手を伸ばした。 お世辞にも冷たいとは言えない温度だ。 そんな水を飲み込み、再びベッドに潜り込んだ。 先ほどから部屋に響くのは、自分の好きな音楽とは程遠い、規則正しい時計の音。 規則正しく鳴り響く時計のその音が耳障りに聞こえてくる。 いつもなら大して気にならないはずなのに、今日はいやに大きく聞こえる気がする。 これなら、音がしない時計を買ってくるんだった。 今更後悔しても遅いが、そう思わずにはいられなかった。 「つまらねぇ…」 時計の音を誤魔化したくて、声を発してみるが、それも一時的なものに過ぎない。 視界に入る携帯電話は、先ほど深司からのメールが届いただけで、静かにそこにいる。 どうも風邪をひくと、普段は感じない寂しさなどを強く感じる気がする。 どうせ、跡部からもメールなんて来ないだろうけどな…。 来ない事は分かっているのに、ついついセンターに問い合わせをしてしまう。 何か用が無い限り、跡部からメールが来る事なんてないのにな。 まるで恋する乙女のような思考に、俺は思わず苦笑した。 「アホらしい。寝よう…」 携帯電話をベッドサイドに置いて、肩まで掛けていた毛布をもっと上まで引き上げて、俺は目を閉じた。 最初は、なかなか眠れないかもと思っていたが、俺の予想に反して、風邪をひいて弱っている体はあっさりと、俺を夢の中に引き込んだ。 どれ位だったのだろうか…。 遠くでドアが閉まる音が聞こえた気がした。 時計を見ようと思ったが、思っていたより辺りは暗く、部屋の中も薄暗い。 携帯電話で時間を確認しようと開いて見たら、メールが1通届いていた。 寝ている間に届いたらしく、気が付かなかった。 開いてみると深司からで「託したから」と書いてあった。 託したって、誰に?何を? いまいちメールの内容が理解できないでいると、俺の部屋のドアがゆっくりと開いた。 「深司?メールの託したって、どういう事だよ」 そういい終わると同時に入って来たのは深司じゃなかった。 「跡部?」 ぱっと明るくなった部屋の入り口には跡部が立っていた。 「他に誰に見えるんだ?」 さも当然のように答える跡部に、俺は返す言葉が見つからなかった。 メールを出すのを間違えたのかと思い携帯電話を開いてみるが、そこにはまぎれも無く"伊武深司"の名があった。 なら、なぜ跡部がここにいるのだろうか? 跡部には合鍵の場所は教えていない。 信用していないというわけではないが、跡部がうちに来る時は俺と一緒だから、その必要がなかったからだ。 それなのに、跡部は鍵がかかっていたはずの玄関を通って、ここにいるのだ。 さすがに跡部の事だから、他の場所から入った事は無いだろう。 じゃあなぜ、跡部はここにいるのだろうか? 何も言わず、不思議だと思いつつ跡部の事を見ていたら、跡部はそれを気にするでもなく、俺が寝ているベッドまで真っ直ぐに近づいてきた。 ベッド脇にテニスバッグを置くと、再び俺に視線をあわせた。 「風邪、ひいたんだってな」 そう言って、跡部の手が火照った俺の頬に触れた。 跡部の手はひんやりとしていて、それが凄く心地よかった。 「なんで?」 俺の口から出たのは、跡部の問いとはかけ離れた言葉だった。 でも跡部は、少し意外そうな顔をしたものの、素直に俺の問いに答えてくれた。 「伊武って奴が氷帝に来たんだよ。お前が風邪をひいたってな。だから見舞いに行ってやれって言われた」 跡部の言葉で、深司のメールの意味が分かった気がした。 つまり跡部に俺の事を託したって事か。 跡部が家の中に入れたのも、深司が鍵のある場所を教えた所為か。 "聞いてなかったのか?"と首を傾げて聞いてくる跡部に、俺は先ほどのメールを開いて見せながら答えた。 「いや、メールは来てたけど、"託したから"の一文だけなんだぜ?」 いくら深司との付き合いが長いとは言え、それで全てを悟れるほど、俺の頭はよく出来ていない。 跡部は俺が突き出した携帯電話の画面を見ると、苦笑した。 「凄いメールだな」 「だろ?」 普通に声を発したはずなのに、喉に異物感を感じて、ペットボトルに手を伸ばした。 しかし、掴もうと思ったペットボトルは跡部の手に捕まり、俺の手は空掴んだ。 「何すんだよぅ」 人が折角水分を取ろうと思ったのに、それをわざと妨害する跡部を睨みつけると、跡部は小さくため息をついて、ベッド脇に腰を下ろした。 「こんなぬるいのじゃ美味くないだろ。ほらよ」 そう言って跡部は差し出されたのは、新しいペットボトルだった。 受け取ったペットボトルはまだ冷たくて、つい先ほど買ってきたことがうかがい知れた。 「サンキュー」 ごくごくと喉を降下する液体は冷たくて、すぅっと体内に浸透していくような感じだ。 ペットボトルにキャップをしたところで、今度は体温計を差し出された。 「熱、どれ位になったか測っとけ」 「おう」 ケースから体温計を取り出し、わきの下に挟む。 さっき体温を測ったのはお昼だったから、もうそろそろ熱は上がりきってるはずなんだよな。 そう思いつつ、待つ事数分。 やっと測定終了のアラームがピピピッと鳴った。 「どうだ?」 デジタル表記された数字は、昼間に測った時より、0.5℃下がっていた。 「うん。熱は上がりきったみたいだ」 そう答えると、跡部はほっとしたように笑った。 「そうか。よかったな」 「あぁ」 その後しばらく雑談をした後、跡部はお粥を温める為に、キッチンへ降りていった。 そして俺はもう少し熱を下げる為に、再び布団に潜り込んだ。 ただ、跡部が傍に居るだけなのに…。 もう、時計の音は気にならなくなっていた。 |
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