自分の部屋で、いつもの様に本を読んでいると、クロトが入って来た。
いつもの様に、五月蝿く絡んでくるのではなく、静かに俺が転がっているベッドの端に、クロトは腰掛けた。

「あのさ」

少し躊躇いがちに、それでもしっかりした口調で、クロトが声を掛けてきた。

「なんだよ」
「僕、オルガの事が好きなんだ」

突然、告げられたクロトの気持ち。
「で?」
俺は視線を本に落としたまま、次の言葉を促す。

「別に。ただ伝えておきたかっただけ」
「ふ~ん。そうか」

俺はどうって事も無いように、そっけなく答えた。ぺらっと音をたて、ページをめくる。

「ありがとうね」

少しはにかんだ笑顔で、クロトが言葉を続けた。

「何がだ?」
「僕の気持ち、聞いてくれて」
「お前が勝手に、言ったんだろ?」
「まぁ、そうだけどね。じゃ、それだけだから」

そう言って、クロトは部屋を出て行った。
俺は読んでいた本を閉じた。

「最悪だな」

誰に言うでもなく、呟いた。

なんで、明日も生きられるかわからない俺を好きになる。
俺なんかを好きになっても、俺がしてやれる事なんて、何もないだろ?
どうせなら、アズラエルにでも気に入られろよ。
その方が、まだ救いがあるだろ?
俺がどんなにお前を愛していても、この状況から、お前を救い出してやる事すら、出来ないんだから…。
愛しているのに、自分の無力さに腹が立つ。
愛とか恋とかそんな物で、今の現状が打破できると思えるほど、俺らは子供ではない。
だからきっと、クロトの気持ちも、本当なのかもしれない。
それでも俺はそれに応えてやる事が出来なかった。


小さな棘が刺さったように、俺は胸に痛みを感じた。

モドル


秘密
本当は凄く緊張したんだ。
心臓の音が、オルガに聞こえるんじゃないかと言うくらい、バックンバックン言ってた。
でも、それを悟られるの嫌で、なんでもないって風に装った。

「僕、オルガの事が好きなんだ」

そう言った時、オルガは顔色も変えず、次の言葉を促した。
僕の気持ちを否定するでもなく、受け止めるわけでもなく、ただ僕の言葉を聞いてくれた。
だけどそれは拒否される事よりも、辛かった。
だって、少なからず僕は、それに期待をしてしまったから。
どうせなら、もう2度と立ち直れないってくらい、きつく当たってくれればよかったのに。
なんで、オルガはそんなに優しいの?
心の中でいくら思っても、この声にならない気持ちが届くはずも無く、僕はこんな言葉を言う事しか出来なかった。

「ありがとうね」

あの時、僕はきちんと笑えてた?
オルガに心配掛けないように振舞えた?

オルガに泣き顔だけは見せたくなくて、僕はなるべく顔を合わせないで立ち去った。
部屋から出て、僕はのろのろと廊下を歩いた。
なんか、さっきまでの緊張が嘘みたいだった。
冷静に、事実を受け止めている自分がいた。
でもそれとは別に、凄く哀しくて切なくて、このままどこかに行ってしまいたかった。

「クロト?」

顔を上げれば、目の前にはシャニが立っていた。
いつものゆっくりとした動きで、僕の顔に手を伸ばしてきた。 頬から、シャニの体温が伝わってくる。

「どうか、した?」

紫の瞳が僕を映し出す。
真っ直ぐと見つめられるのが苦しくて、僕は思わず目をそらした。

「なんでもない。なんでも・・・」

シャニの言葉に、僕は首を横に振った。
首を振り続ける僕を、シャニはそれ以上は何も言わず、ぎゅっと抱きしめた。
凄く温かくて、ほっとする。
でもこの時だけは、人の温もりが酷く残酷なものに思えてならなかった。
この温もりに縋ってしまい、自分が何を言うか分からなかったから。

ごめんね、シャニ。
何も言う事が出来なくて。
それからありがとう。
こんな僕を心配してくれて。

オルガに僕の気持ちは打ち明けたから、もうこれ以上は何も言わないよ。
僕を好きになってとか、僕を愛してとか、僕から離れないでとか。
それらは全て僕の我侭だから、絶対言わない。
それは死ぬまで一生言えない、僕の秘密の気持ち。

モドル


人形
熱めのシャワーを浴び、バスローブを羽織って部屋に戻ると、その人形はまだ辛そうにベッドに横になっていた。
僕の視線に気が付いたのか、少しだけ顔をこちらに向けると、口を開いた。

「まだ、やる気なんですか?」

少しだるそうに、それでも艶のある声で、その人形は言う。

「何故です?」
「なんか、物足りなさそうな顔をしてますよ?」

そう言って、くすりと笑う。
その仕草を見ていると、物足りないのは僕ではなく、君なのではないかと思えるんですけどね。
僕は彼の脇に腰を下ろし、柔らかな癖のある髪を、指に絡めた。
時々、梳くように撫でてやると、気持ち良さそうに目を閉じる。

「ねぇ」

突如、こちらを見上げ、声を掛けてきました。

「なんです?」

視線を合わせて、優しく問いかける。
以前、あさっての方を見ながら問いかけたら、この人形に凄く怒られたんですよ。
そう言えば…。
あれ以来、きちんと視線を合わせるようになりましたね。
僕と目が合ったのが嬉しいのか、にこりと人形は笑い、そしてまたいつもの顔で口を開いた。

「あなたにとって、僕は都合の良い人形なんですよ?」
「えぇ、存じてますよ」

何故ならそれは、僕が常に君達に言っている言葉だからです。
君達は、人ではない。
僕の為に働く、動く部品でしかない。
感情など持たぬ、ただの人形なんですよってね。
毎日、毎日…。
それこそ、君達が嫌だって言うくらい、言い続けてきました。
なのにどうして、それを君が今更言うのです?

「なら、忘れないで下さいね」

そう言って、人形は掌の上に、そっと口付けをした。
見上げた顔には、少し潤んだ青い瞳。 どうして君は、そんな悲しそうな目で言うのですか?
でも、今の僕にはそんな事を言う資格も無いんですよ。

「えぇ、承知しました」

そう言うと、人形は少し悲しそうに、しかしほっとしたように笑った。

「おやすみなさい。アズラエルさん」

そう言って目を閉じると、すぐに規則正しい寝息が耳にはいった。
どうやら、僕にこの事を言う為に、頑張って起きていたようですね。
夢の住人になった人形の可愛らしい唇に、僕は口付けをしました。
きっと、君はこの意味に気付く事も無いでしょうね。
柔らかな髪を撫で、僕は部屋を後にした。

おやすみ、クロト。
僕だけの人形。

モドル


温度
「熱っ」

昼食時、カップに入ったスープに口をつけたオルガが、猫のようにびくっとして声を上げた。
しかし同じくクロトがスープに口をつけても、そんなに熱いと感じるほどの温度ではなかった。
"あれ?"と思いつつ、クロトはオルガに声をかけた。

「オルガって猫舌だっけ?」
「違う。けど、舌をやけどしててな」

と苦い顔でオルガが言う。
猫舌でなくても、舌を火傷したのならそれがひりひりと痛み、普段より熱に敏感になる。
しかし、そう言われてもクロトは何かすっきりしなかった。
自分と違って、オルガはゆっくりと落ち着いて食事を取っている。
まぁ、たまにどうしても本の続きが気になる時だけは、急いで食事を取っているようだが、それでも熱い物を一気にあおったりはしないだろう。
それに、ここで出される食事で、舌を火傷するほど熱々に熱されたものが出てきた事など、ここ最近ではなかったはずだ。
ならば何故、オルガは舌をやけどしたのだろうか。
クロトの中に、1つの疑問が生まれた。

「オルガさ、最近、僕に内緒で何か食べた?」

大概、3度の食事は一緒に取っているが、オルガが舌を火傷した場面など、クロトは目撃していない。
そうなると、自分がいない所で何か熱い物を食べた、もしくは飲んだと言う事になる。

「えっ?あぁ、まぁな…」

急に、よそよそしくなったオルガの態度に、クロトは眉間にしわをよせた。
「何、食べたわけ?僕に内緒で」

詰め寄るようにクロトは、オルガの事を見つめた。
オルガは、クロトにこうやって真っ直ぐに見つめられるのが弱かった。
まるで、心の中を見透かそうしているようだからだ。
もちろん本当に心を見透かす事など出来るはずが無いのだが、クロトの、子供のような純粋な心では出来るのでは無いかと思ってしまうのだ。
オルガはため息を吐くと、観念したように口を開いた。

「シャニの奴が…」
「シャニが?」

やっと口にした言葉が、もう1人のお仲間の名前でクロトも復唱した。

「珍しく、俺に中華スープを持ってきたんだよ」
「シャニが?ありえなーい」

クロトの知っているシャニと言えば、自由気ままな猫のような性格だ。
ところかまわず、寝たい時に寝て、うるさい音楽をイヤホンから流しているようなやつだ。
そのシャニがオルガの為にスープを持ってくるなんて、天変地異の前触れと言っても大げさではないだろう。

「まぁ、俺も変だと思ったんだけど、取り合えずそれに口をつけたんだよ。そうしたらシャニの野郎、わざと熱々に煮だったスープを持ってきたみたいで、やけどしたんだよ」

ぶすっとした顔で言うオルガに、クロトは一瞬きょとんとした。
しかし次の瞬間、高らかな笑い声が食堂に響いた。

「あははっ。オルガ、ヴァカじゃん。おかしーい。絶対、わざとじゃん。それ…」

クロトは腹を抱えて散々笑い続けた。
それを見て、オルガの機嫌は更に悪くなった。
しかし、ようやく笑うのを止めると、クロトはオルガのトレーの上に乗ったマグカップに手を伸ばした。

「おい」
「何?」

先ほどのような笑い顔とは違う、鋭いまなざしで睨まれて、オルガは思わず自分が悪い事をしているような気になったが、自分のマグカップが取られようとしているのに、自分に非は無いと思い、言葉を続ける。

「いや、それ俺のスープだぞ」
「そんな事、わかってるよ」

クロトは無愛想に答えると、オルガのスープが入ったマグカップを口元まで寄せて、ふーふーっと冷まし始めた。
無言でスープを冷ますクロトを見て、オルガは声をかけられなかった。
そうこうしてる間に、オルガの目の前にマグカップが差し出された。

「はい」
「なんだよ」
「飲まないの?折角、優しい僕が冷ましてやったのに」
「優しい?お前がか?」
「そうだよ。舌をやけどしたオルガの為に、わざわざスープを冷ましてやったんだ。優しいだろ?」

含みのある笑顔で言われ、オルガも自然と笑みがこぼれた。

「じゃあ、ありがたくいただいてやるよ」
「偉そうに」
「お前こそな」

そう言って口をつけたスープの味が、先ほどより優しい気がしたのは、オルガの気のせいではないだろう。

モドル


感触
世界が歪む。
どろどろに溶けていくようで、交じり合うようでもある。
段々と視界がぼやけていって、気持ちが悪い。
どこか非現実な印象を受ける。
でも実際に歪んでいるのは僕の顔で、視界が悪いのは無駄に流れる涙の所為。
それを理解する頭は、まだ残っていた。

失敗をした。
物凄く些細な事で。
それを僕の持ち主は気に入らなくて、当然の如く"お仕置き"を命じられた。
それはいつもの事だった。
僕だって、それ位予測する頭はある。
それでも何度受けても"お仕置き"は苦しくて、このまま死んでしまうのではないかという不安に陥る。
最も、僕の持ち主であるあの人がそんな"勿体無い事"をするはずはない。

生体CPU-それはγグリフェプタンという薬と、脳内に施されたインプラントによって、他者に制御されたMSの部品となった元人間の事だ。
現在、地球連合軍には、僕が知る限り3人の生体CPUがいる。
一人目は勿論この僕。
あとの二人はオルガとシャニ。
いわば、僕のお仲間といったところだ。
この生体CPUを作るにあたってパトロンをしているのが、僕達の持ち主であるムルタ・アズラエル。
つまり、自分が多額の資本金を提供している僕達を、あっさりと捨てる事はしないのだ。
ただ、限度ギリギリの事はしょっちゅうだ。
定期的に摂取しないとならないγグリフェプタン。
これを摂取せずに放置される事、それが"お仕置き"だ。

体中が悲鳴を上げている。
それをやり過ごそうと深呼吸を試みるが、それも無駄な抵抗で、ヒューヒューと空しい音がするだけで、まともな呼吸も出来ない。
体温が異常に上がったかと思うと、今度は急激に下がる。
その差に僕の体は痙攣を起こし、まともに立つ事は不可能になる。

無様に床に転がってからどれくらいの時間が立っただろうか。
僕一人放置された部屋にアズラエルさんが入ってきた。
彼は僕の事を見下して言った。

「苦しいですか?クロト」

僕はその言葉に言葉を返す事も出来ず、ただ目でアズラエルさんを見返した。

「でもキミがいけないんですよ。僕の期待を裏切るから」

僕のすぐ脇に腰を下ろし、少しだけ近くなった視線を見返すと、アズラエルさんはくすりと笑った。

「僕だって、こんな事はしたくないんですよ。でも仕方ありませんよね。ミスはミスですから」

"当然の処置ですよね?"と同意を求めてくる。
僕は"No"とも"Yes"とも言えず、僕はじっと青い瞳を見返した。
僕と同じ色をした瞳。
でもその色はどこか冷たい印象を受ける。

「僕は欠陥品はいらないんです。だから結果を残してくださいね」

それだけ言うと、アズラエルさんは僕に背を向けて歩き出した。
その姿を掴みたくて手を伸ばすが、それが届くはずもなく空を掴んだ手は、そのまま力なく床に落ちた。
冷たいリノリウムの床は、あの人の心のように感じられた。

"モノ"としてしか映っていない事は知っている。
それでも見捨てられたくなくて、僕は一生懸命だった。
でもそれが届かない現実を、今改めて突きつけられた。
行き場を失った気持ちが苦しくて切なくて、僕は苦痛とは別の涙を流した。

モドル


挨拶
朝、窓からこぼれる光に、僕は体に巻きつけていた毛布を引っ張った。
いつもであれば、簡単に顔を覆う事が出来るのに、なぜか今日はそうならなかった。
違和感を覚え、ゆっくりと目を開けたら、黄緑色の髪が飛び込んできた。
黄緑色の髪?

「シャニ!?」

一気に覚醒した頭。
ガバッと起き上がると、なぜか僕のベッドの中にいたシャニが、のろのろと顔を上げた。

「おはよー、クロト」
「おはようじゃないよ!なんで、シャニがここにいるんだよ」

思わず、自分の格好を確認する。
とりあえず、服は着ている。
その事実に、ほっとするのもつかの間、次に一つの疑問が浮んだ。
それにしてもなぜ、シャニが僕のベッドにいるのだろうか?
昨日、確かに僕は一人でベッドに入った。
生体CPUとはいえ、僕らには各個人に部屋が与えられていて、シャニが僕の部屋にいる理由は無い。

「クロト、覚えてないの?昨日の事」

昨日の事を整理している僕に、シャニがぼそりと言う。
生憎、僕にはシャニの言う"昨日の事"に該当する記憶はない。
だから、素直に聞き返した。

「何が?」
「クロトが誘ったんだよ。一人は寂しいからって」

シャニの服をひっぱるクロトの手。
少し上目遣いに覗き込む瞳。
そして甘い声…。

「って、勝手に捏造するなよ!」

ない事ばかり口にするシャニの頭を、容赦なく叩いた。
シャニは痛そうに頭を抑えて、僕の事を見た。

「何も、そんなに怒らなくても」
「普通だよ、これくらい。で、なんでここにいるの?」
「クロトがあまりにも無防備な顔で寝てるから」
「シャニ、それは答えになってない」

そもそも寝顔って皆、無防備なものだと思うけど。
眉間に皺を寄せてたら、逆に疲れそうだし。
それにシャニが僕のベッドで寝ていた理由にはならない。

「そんな事、どっちでもいいじゃん」
「よくない」

シャニの頭の痛い発言に、思わずため息がこぼれる。

「お前に聞いた僕がバカだったよ。とりあえず、そこどいて。僕、起きるから」
「クロト、もう起きるの?」
「当たり前だろ。朝食の時間もあるし」

そう言って、時計に目を配らせれば、あと10分で朝食の時間になるというところだった。
僕の言葉で、すぐに退くと思っていたのに、シャニは何も言わず、じっと僕の事を見返していた。

「何?」
「俺、朝食いらない」
「体調でも悪いの?」

もともと血色の良い方ではないが、とりあえず今日は元気そうに見える。
だから本当に体調が悪いとは思わなかったが、シャニがこんな事を言い出すのだから、もしかしたらと思い口にした。
しかしシャニは、僕の期待を裏切って、首を横に振った。

「クロトがいれば、いいから」

そう言って、いきなりシャニは僕にのしかかってきた。
起きようと思っていた僕は、押し倒される形で、ベッドに沈んだ。

「イタダキマス」

にやりと笑い、食事をする時の言葉を言うシャニに、僕は精一杯の抵抗をする。

「僕は朝食じゃなーい!」
偶然入った左フックにより、僕はこの後、一人静かな朝食をとる事に成功した。
そして僕は、これからは挨拶をするより先に、状況判断をしようと、心に決めたのだった。

モドル