Voice |
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シャニのイヤホンから流れ出る不規則なリズム。クロトが手にしているゲームの音。かすかに響く、オルガが本のページをめくる音。そしてクロトの「撃・滅」「抹・殺」と言う声。その四つがこの部屋を満たす音であるはずだった。 しかし今日は検査でシャニは席を外しており、この部屋にいるのはオルガとクロトの二人だけ。そして珍しくも、クロトは先ほどから一言も声を発していない。 理由はとても簡単だ。先ほどから、クロトは飴を舐めているのだ。しかも大粒の飴を。 それをクロトに与えたのはオルガで、もともと甘い物が好きなクロトは、嬉々としてそれを口に放り込んだ。もっとも、やや生意気な言葉も言われたのだが、オルガは大して気にしておらず、今に至る。 これなら当分の間、クロトは静かなままだ。 クロトが、飴を口に入れた事を確認すると、オルガは安心して手にしている本に視線を落とした。 別に、クロトの声がうるさいと思っているわけではない。確かに、やや読書には不向きな環境ではあるが、普通ならそれは、集中力があればどうにかなる。 問題はオルガがクロトに惚れている事だ。 読書に集中していなければ、ずっとクロトの事を目で追っているだろう。実際、クロトがゲームをしており、何か声を上げるたび、オルガの視線はクロトへと移る。 それではまずいと、オルガが考えたのはクロトの口を開かせない事であった。 とは言ったものの、オルガが「もう少し静かにしていろ」と注意をすれば、クロトは逆に反発してくるだろう。それは好ましくない。結果、大きな飴を配給で頼み、それをクロトに与えたのだ。 かくして、オルガの思惑通り、クロトの口は塞がれたのだった。現時点までは。 ガリッ 静かな部屋に嫌な音が響いた。それは何かを噛み砕くような音だった。 まさか…。 嫌な予感にかられ、オルガは恐る恐る顔を上げると、クロトの事を見た。先ほどまでころころと飴を口内で転がしていたクロトの口は、何かを噛むように上下に動いている。 あいつ、飴を噛んだのか? 信じられない。いや、信じたくないという思いで、オルガはクロトの事を見つづけていた。しかし次の瞬間、運悪くもクロトと目があってしまった。 急いで視線をそらすが、それで誤魔化せるものではなかった。 「何?さっきから、僕の顔をじろじろと見て。何か用でもあるの」 この言葉で、オルガの頭は真っ白になりかけていた。自分がずっとクロトを見ていた事がばれ、はずかしいという思いと、その裏に隠れた気持ちの後ろめたさから、オルガはどうにかいつも通りの口調で言葉を返した。 「別に用って程の事じゃない。ただお前、今、飴を噛んだろ」 「うん。それがどうかした?」 案の定、飴を噛んだ事をあっさりと認めるクロト。そんなクロトに、オルガは言葉を続ける。 「飴は食べる物じゃなくて、舐めるものだろ。クッキーみたいに噛むなよ」 「別に飴を舐めようと噛もうと、僕の勝手だろ。オルガにとやかく言われる筋合いはない!」 クロトの言っている事は正論で、付け入る隙はない。 しかしそもそも飴とは舐めるお菓子である。そうでなければ、オルガがわざわざクロトの口を塞ぐ為に選んだ理由にならない。 そう思うと、ここで引き下がるわけにはいかないと、意味不明な結論がオルガの中ではじき出された。 「そりゃ、お前の勝手かもしれないが、その飴をやったのは俺だろ」 「だから何だって言うんだよ」 もともと気の強いクロトは、オルガの言葉に引き下がる事無く、むしろそれに噛み付いてくるように言葉を返してくる。この時点で、オルガが一番初めに回避したかったものは、あっさりと崩れてしまったわけだが、当のオルガはそれに気付くほど、余裕が残っていなかった。 「少しは味わって食えって言うんだよ」 「はっ、偉そうに。大体、オルガが僕に飴をくれた時点で、飴は僕の物なんだから、オルガには関係ないだろ」 「そうかもしれないが、少しは感謝しろよな!」 『お前の為に、飴を頼んだんだからな』 さすがにややパニック気味のオルガでも、最後のその一言だけはぐっと堪えた。実際、クロトがオルガから飴をもらい、喜ぶ顔を見てみたかったという下心もあった。 しかしもし、ここでその言葉を言おうものなら、クロトから鋭い追及がくるに決まっている。正直、オルガにはそれを回避する自信はなかった。 何気に、頭の回る奴だからな、こいつは。 ちらっと横目で見ると、クロトは注意された事が不服らしく、不満そうな顔をしている。 「感謝ねぇ。なんかオルガに感謝するだけ、無駄な気がしますけどね」 「無駄ってなんだよ、無駄って」 クロトの雰囲気に飲まれ、オルガも段々いつもと同じ口調になっていく。 「そのままの意味ですよ。大体、オルガはいつも口やかましいんだよ。ほっといてよね」 「あぁ、そうかよ。じゃあ、もうかまわないからな!」 そう言って、オルガは手にしていた本に、視線を落とした。いつものように眉間に皺を寄せた顔をしながら、頭の中では、またやってしまったという後悔の念がぐるぐると渦巻いていた。 そんなオルガを、クロトはちらっと横目で見た。 「なんだよ、こっちの気も知らないで」 ぼそりとクロトが呟くと、それをわずかに聞き取ったオルガが、再び顔を上げる。 「何か言ったか?」 「別にー。ただオルガはうるさいよなーって言っただけですよ」 自分の言葉を誤魔化すように、クロトはわざと生意気な口調で言った。 「あぁ?なんだと」 「本当の事だろ!」 それに乗せられたオルガを見て、これでもう、今、自分が言った言葉の事は忘れただろうと、クロトは結論付けた。 そして無理やり会話を切り上げると、自分はゲームの世界に没頭した。その脇で、小さくため息をつくオルガの事には、気付かずに。 好きな人の声をずっと聞いていると、理性が無くなりそうになるのが怖くて、飴を贈ったオルガ。 自分の事を見てもらいたくて、一緒に話をしたくて、飴を噛み砕いたクロト。 両者の思いは繋がっているにも関わらず、それが結ばれるのは、まだまだ先のようだ。 |
END |