崩れ行く世界
プラントインレベル=薬の耐久性でない事に気付いたのは、つい最近の事だった。
レベルから言えば、僕よりもシャニの方が上で、僕よりもオルガの方が下だ。
禁断症状に陥った時、レベルの低いオルガから僕、シャニの順で薬が効いていくと思っていた。
それなのに、なぜかこの三人の中で薬の効きが一番悪いのは僕だった。

ゆっくりじわりじわりと浸透していく薬。
まだ霧がかかっているかのように、意識が回復した事を感じた。
瞼を閉じていても、突き刺さるように鋭い光を感じる。
照明用のライトを顔面に浴びせられているようでもある。
でも実際はいつもどおりの照明でしかない。
僕は目を慣らす為に、何度か瞬きをした。
左右を見渡したが、オルガやシャニの姿はもう無い。
今日もまた、僕が一番最後だったようだ。

白衣に身を包んだ男が近づいてくる。
いくつか点検のような事をされると、部屋に戻れと言われた。
ここのやつらは僕らを"物"としてしか見ていない。
僕は早々この部屋を立ち去ろうと、今まで横になっていたベッドに手をついた。
しかしまだ薬が体に馴染んでいないのか、物凄く嫌な感じがした。
それは薬が切れる時の感覚に似ており、世界がぐにゃりと歪む感じだ。
頭の中で警告音でも鳴っているかのように、ガンガンと響く。
それでもこの部屋から早く出たいと思うのは当然の事で、僕は文字通り体を引きずるようにして、部屋を出た。



部屋を出てなんとか20mぐらいだろうか。
そこまで歩くのがやっとで、僕は体を壁に預けてしばし立ち止まった。
ぜいぜいという声が聞こえる。
まぎれもなく、それは僕の呼吸で、自分でも情けないくらい弱っている事はわかっていた。

どうして僕ばかり。

今までに何度、そう思った事だろうか。
なぜここに来たのかは、既に忘れてしまった。
もしかしたら、僕がここに来るような事をしでかしたのかもしれない。
人間として扱われないような事だ。
でも逆に、なんの理由も無く、ここに送り込まれたのかもしれない。
今の僕ではそれを知る事は難しく、かと言ってそれを知りたいと思う事でもない。
ただ僕はここにいて、生きる為に頑張っている。
誰だって、そう易々と死にたくはないだろう。

少し休んで体力が回復したところで、再び歩き出そうとした僕の前に、見慣れたヤツが現れた。
そいつは僕の事を見ると、眉をひそめて怪訝そうな顔をした。

「お前、今頃、出てきたのか?」

オルガが今頃というあたり、僕は目が覚めるまで相当時間をかけたらしい。
確かに実験用の簡易的な服の僕に対し、いつもの勝手に改造された服に身をつつむオルガ。
取り合えず、オルガが自由に歩き回れ、服を着替える時間分ぐらいの間はあった事になる。

「今頃で悪かったね。僕はお前と違って、デリケートに出来ているんですよ」

皮肉った笑みと共にそう返せば、いつものオルガなら、そのまま切れてどこかへ行ってしまうはずだった。
僕はそうなる事を望んでいたし、それ以外、起こりうるはずは無かった。
しかしオルガは僕の言葉に切れる事もせず、ただため息を吐いた。

「お前さ、もう少し自分の状態を判断してから物を言えような」
「はぁ?何言ってるわけ」
「顔色。最悪だぞ、今のお前」

気付いてないのか?という様に、顔を覗き込まれたが、それ位、僕にだって予想は付いていた。
これだけ気分が悪いのだ、これで顔色の一つを悪くない方がどうかしている。

「わかってるよ。だから早く部屋に戻ろうとしてるんだろ」

だからどけと言う代わりに、オルガの事を押しのけようとしたが、僕の予想に反して力が全く入らない。
それどころか、オルガに寄りかかるような形になっていた。

「お前、本当に大丈夫かよ」

まるでお芝居をしているように、オルガが心配そうな声を掛けてきた。
こんなのは異常だ。
こんな事を望んだ事は一度だってありはしないというのに。

「放せよ!お前なんかに心配される義理なんて、ないんだからな」

そう言ってオルガの手を振り払うが、まだ本調子でない体は直ぐに崩れ、オルガの腕に支えられた。

「意地を張ってる場合じゃないだろ。少しは大人しくしてろ」
「誰が意地をはってるものか…」

そう悪態をついてみるが、実際はもう反抗するのも億劫だったりする。
すっと力の抜けた隙をついて、オルガは僕の事を抱え上げた。

「てめぇ、なにすんだよ」

予想外の事態に声を上げるが、オルガはそれを気にするでもなく歩みを進める。
正直言って、僕はかなりキレかけていた。
女みたいに扱われて、嬉しい男などいるはずがない。
例えどんなに小柄であろうと、僕だって男だ。
それを意図も簡単に抱えられたら、男の面目丸つぶれではないか。
それでもオルガに抵抗する力などはもう無く、仕方なく僕はオルガの腕の中に納まった。



ほどなくして、僕はいつも自分が使っているベッドの上に下ろされた。
ここは僕、オルガ、シャニの三人に与えられた部屋。
所詮、物として扱われている僕らに、わざわざ個人の部屋を用意する必要はないという事なのだろう。

僕達三人は、数少ない成功体だ。
別に僕自身、自分が特別だとは思っていない。
ただ他の奴らは弱くて、僕が強かっただけだ。
他の二人がどう思っているかなんて知らないけど、僕はそう思っている。
だからもしかしたら、こうして同じ空間にいるのがこいつらじゃなかった可能性だってあったはずだ。
僕はそれでもかまわないと思う。
別に仲間だと思った事はない。
それに関しては、オルガやシャニも一緒だろう。
お互い傷の舐めあいなんてしても、空しいだけだ。

それなのに、なぜか今日のオルガはいつもと違った。
薬の効き目が遅い僕を部屋まで運び、ベッドに横にしてくれた。
これを天変地異の前触れと言わず、なんと言い表せばいいのだろうか。

「お前、何か変な物でも食ったんじゃないの」
「あぁ?何、言ってるんだ?」

怪訝そうに言うオルガの顔を見て、こっちの方がらしいと思った。
自分の事が第一で、周囲の事はただ邪魔だと思っている。
僕の知っているオルガ・サブナックは、そういうヤツだった。

「そっちの方が、お前らしいって言ってんだよ」

そう言葉を付け足せば、オルガは今だ理解できないといった感じに、眉間に皺を寄せた。

「お前はらしくないな」

オルガにしては珍しいくらい、静かな声だった。

「仕方ないだろ。薬の効きが遅いんだからさ」
「いや、そうじゃなくて…」

歯切れの悪い言葉で話すのをやめると、オルガは乱暴に自分のベッドに腰掛けて本に手を伸ばした。
僕はそれを横目で見ながら、深い眠りに落ちることにした。
今日はいつも以上に薬の効きが悪い。
だから変な事ばかり起こるのだ。
そう結論付けると、外界を遮断するために目を閉じた。

どこかで、何かが崩れる音がした。
それが何を意味しているのか、この時の僕はわからなかった。
でも、きっとこれから僕の世界が大きく変わることだけは、なんとなく予想できた。
それが吉と出るか、凶と出るか、今の僕にはわからない。
だけどそれでもいいんじゃないかと思う僕がいるのも、事実だった。



END





モドル