楽園の築き方 |
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世界を二分化していた戦争が停戦協定を結ばれて、世界に偽りの平和が戻ってきた。正直それは、とてもあっけないものだった。 当時、兵器の部品として扱われていた僕らは、除籍される事無く、軍に身を隠す日々を送っている。外部にこの事が漏れる事を恐れた上層部は、軍という籠の中で、僕達を生かす道を選んだのだ。 それは艦長だったナタル・バジルールを含む、ドミニオンに乗艦していたクルー達という証言者がいるからに他ならなかった。 僕達の体を蝕んできてγグリフェプタンの中和剤の開発。 脳内に組み込まれたインプラントの摘出手術。 それらを受けている間に、数ヶ月の日々が過ぎていた。 目の前を歩く男の後に続き、殺風景な廊下を進んで、どれくらいの時間が経っただろうか。あまりに無機質なこの建物は、過去の嫌な記憶を呼び覚ますには十分すぎるくらいで、少し前から僕の気分は最悪だった。 それでも僕はただ1つの目的の為に、歩みを進めた。 突然、男が歩みを止めて、こちらに向き直った。 どうやらこの部屋の中に、あの人がいるようだ。 「ではブエルさん、あなたが面会出来る時間は2時間です」 そう言って、腕時計に視線を移す。 正直、その時間が短いのか長いのか、今の僕には判断する事は難しい。 それでも、ゼロよりは何十倍もマシだと思う。 「面会はお二人だけでしていただきますが、その間、過去の記憶に関わる会話は避けて下さい。わかりましたね」 「はい、わかってます」 気持ちが焦る。 もう何度も説明された事なのだから、そんな事は止めて欲しい。 時間が勿体無いじゃないか。 そうは思うものの、僕はなんとか気持ちを落ち着かせようとした。 「では、ごゆっくりどうぞ」 「ありがとう御座います」 白い白衣に包まれた男に軽くお辞儀をすると、僕は目の前にある部屋のノブに手を掛けた。 ドアを開けた瞬間、正面から包み込むような風を受けた。 どうやら窓が開いているらしい。 ドアを閉め、部屋の奥へと向う。 部屋はとてもシンプルなものだった。 白い壁に寄り添うように、ベッドが1つ。 その反対側にはテーブルがあり、いくつかの本が置かれている。 白いカーテンがかかった窓のすぐ脇、そこにはテーブルとセットだったと思われる椅子に、一人の男が座っていた。 少し前まで、毎日顔を合わせ、時に憎まれ口をたたき、時に愛の言葉を囁いた愛しい人。本当なら思いっきり抱きつきたいのにそれは出来なくて、僕は手をぐっと握り締めた。 「こんにちは、アズラエルさん」 僕は出来るだけ平静を装って、声を掛けた。 ムルタさんがゆっくりとした動作で僕の方を向く。そして僕の顔を見ると、少し困惑したような顔で、口を開いた。 「君は、誰ですか?」 僕が我侭を言った時にするような顔で言われた言葉は、とても残酷なものだった。 勿論、それは想定内だった。 それなのに、こんなにもショックを受けるとは思ってもいなかった。 やはりあなたは、僕の事も全て忘れてしまったのですね。 僕達の艦だったドミニオンがアークエンジェルに抑えられ以降、僕達の上司だったムルタさんの情報は一切降りてこなかった。 コーディネーターの大量虐殺、核の使用など立派なA級戦犯である彼がマスコミにも名前が挙がらないのは不思議だと思っていたが、それよりもムルタさんの安否が気がかりだった。 体を兵器にされ、人以下の扱いをされていた僕だけど、僕はあの人が好きだった。 何よりも大切で、全てを投げ捨てても力になりたいと思っていた。 僕は死すら恐れなかった。 いや、ちょっと違うかな。 あの人を守れずに死ぬ事は怖かったし、何よりも恐れていた。 だから停戦条約が結ばれて以来、まるで行方知れずになったような状態に痺れを切らし始めていた。 そんな時、黒いスーツに身を包んだやつの一人にこう言われた。 「ムルタ・アズラエルとの面会を認める」 面会という言葉から、やはり捕まっていたのかという気持ちになったが、この先ずっと会えないよりもマシだと思ったし、何より生きていた事に安堵した。 しかしなぜ、ただの兵器だった僕達にそんな事を言うのかという疑問も生まれた。 「ムルタさんに会えるって本当かよ!?」 「あぁ。ただし、お前らのうち一人だけだ。」 「どういう事だ、それ」 オルガも目の前の得体の知れない男の言葉に不信感を抱いていたらしく、鋭く聞き返す。男達は小さな声で何かを相談しているようだったが、すぐに意見がまとまったらしく口を開いた。 「アズラエル氏は現在、過去の記憶を全て失っている」 「なっ…」 言葉が出なかった。 それはまるで作られた話のようで、俄かには信じがたい事だった。 「その確認として、彼と関わりのあった君達の誰かと面会させ、私達は彼の反応を確かめたい。もっとも、彼には全ての記憶を忘れててもらった方がこちらとしても都合がいいのだがな」 「なぜだ」 「色々と公にしてもらいたくない事実があるのでね」 男の言葉は今までの僕であれば飛び掛るのに十分すぎるくらいだった。 つまり今のムルタさんは軍にとっても、ブルーコスモスにとっても邪魔者を意味したからだ。でも僕はその言葉を静かに聞いていた。 今はその事よりも、実際に会いたいという気持ちで一杯だったからだ。 記憶をなくしたって、体の外傷はどうなのか。元気なのか。 安堵したと共に押し寄せてくる不安に押しつぶされそうだった。 その事に気付いたのか、シャニが僕の服をひっぱってきた。 「大丈夫?クロト」 「うっ、うん」 本当は大丈夫なんかじゃない。 それでも僕は声を振り絞って返した。 すぐ脇で、オルガが誰にでもわかるようなため息をついた。 「クロト、お前が会いに行って来い」 「いいの?」 「俺らが行っても、何も変わらないからな」 そう言ってオルガは僕の頭に手を置いた。 「ずっと会いたかったんだろ?」 「行っておいでよ、クロト」 二人に背中を押され、僕は男達の申し出を受けたのだった。 そして今、目の前には何よりも大切だったムルタさんの姿がある。 もっとも、僕の知っているあの頃とは違い、穏やかだけど不安に満ちた目で僕を見ている。僕は視線をそらすことなく更に近づき、優しく答えた。 「あなたの部下ですよ、アズラエルさん。クロト・ブエルと言います」 「僕の部下?一緒に、仕事をしていたのですか?君と僕は」 信じられないと言う顔をしたムルタさんの目を見つめ、僕は頷き返す。 「えぇ。あなたの為に、一生懸命尽くしてきたんですよ」 でも、結局あなたを守る事は出来なかった。 それの代償がコレだ。 記憶には手続き記憶、プライミング記憶、意味記憶、短期記憶、エピソード記憶というのがある。前者は生命の維持に関わるもので、後者になるほど高度な記憶になるそうだ。 そしてムルタさんの中で欠けてしまったのはエピソード記憶。 欠けたと言っても、それは記憶が削除されたわけではなく、脳がムルタさんの過去の記憶を再生するのを拒んでいるだけだ。 今のこの体の中には昔の記憶が眠っている。 それが再び眠りから覚めるかどうかはわからないと、ここに案内をしてくれた奴が言っていた。 ムルタさんは僕の言葉を聞いてしばらく黙っていたが、何か決心したように僕の事を見た。 「質問があるんですが、いいですか?」 「えぇ、どうぞ」 「君は、ずっと僕の事をファミリーネームで呼んでましたか?」 ムルタさんのその一言に、心臓が飛び跳ねそうだった。 僕がこの人をファミリーネームで呼んでいたのは始めの頃だけだ。 自分にとってどれだけ大切か気付き、それを認めてもらった時から僕は"ムルタさん"とファーストネームで呼んでいた。 今回は過去の記憶を思い出すかどうかわからないから、昔みたいにファミリーネームで呼んだのに、どうしてこの人はそんな事を聞くのか。 小さな可能性に期待したが、僕は嘘でそれを返した。 「……。えぇ、そうですよ」 「そうですか…」 納得したように言葉を返しつつ、どこかすっきりしないと訴えている。 当たり前だよね、嘘をついてるんだからさ。 でもこの嘘に気付いて欲しくない。 いや、気付いて欲しい。 そんな相反する思いが心の中でぶつかり合う。 「どうか…しましたか?」 「すみませんが、"ムルタ"と呼んでくれませんか?」 「いいんですか?そう呼んでも…」 昔みたいに、そう呼んでもいいんですか? そう言いそうになって、僕は口を閉じた。 「えぇ、僕がそうしてほしいんです」 僕の事を見つめる瞳は、吸い込まれそうなほど綺麗だった。 心臓の音が、いやに大きく聞こえる。 ここで全てをさらしてしまいたい。僕とあなたは大切な関係だったのだと。 でも理性がブレーキをかける。 ファーストネームで呼ぶ事だって、かなりギリギリだ。 壁にかかったミラー越しに監視されている事は知っている。 それでも僕は悪魔の囁きに勝てなかった。 「ム、ムルタさん…」 「なんですか?ブエル君」 優しい声で紡がれたのは悪魔と同じ名前。 それが悲しくて、僕はぎゅっとムルタさんに抱きついた。 ムルタさんが困惑しているのは気配でわかった。 それでもこの気持ちをやり過ごす術を僕は持っていなかった。 「ブエル君?」 「僕の事もクロトって呼んで下さい。ムルタさん」 例えこれが僕の我が侭だと言われても、それでもいいと思った。 あなたが思い出したくないのであれば、全てを忘れたままでいい。 でもうぬぼれだとしても、僕は特別だと思わせてほしい。 その思いが通じたかどうかは分からなかったけど、ムルタさんはとても穏やかな声でその言葉を発した。 「クロト君」 「はい」 その瞬間、少しだけ過去に戻れたような気がした。 勿論、間違ったピースを隙間に当てはめるようではあったが。 『クロト・ブエル少尉。元ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルの身のまわりの世話、及び監視の任を命じます。もし、過去の事を思い出すようであれば、その際は速やかに消すように』 「はぁーい、了解しました」 僕は勤めて無邪気な声を出した。 結局、僕と再会してもアズラエルさんの記憶は戻ることなく、上の奴らはムルタさんを世間から遮断された空間に閉じ込める道を選んだ。 その方が記憶も戻り難いと考えたからだ。 そして僕は先ほどの通信で言われたように、ムルタさんのお世話と監視という名目で一緒に住む事になった。 この事は軍に残っているオルガやシャニにも伝えてある。二人は僕が選んだ道ならと反対する事無く送り出してくれた。 もしかしたらもう二人と会う事もないかもしれないが、僕は後悔はしていない。 なぜならこれでもう、僕達を邪魔するものは何も無いからだ。 お湯が沸いたポットから白い陶磁のポットに注ぎいれ、それをティーコゼーで覆いテーブルにセットする。 以前ムルタさんが僕にいれてくれたように、僕はムルタさんにお茶をいれる。 こんな日が来るとは思っていなかったけど、これでも幸せだと思えるのは僕の傍にムルタさんがいるからだ。 「ムルタさん、お茶が入りましたよ」 「ありがとう御座います、クロト」 始めはぎこちなかったこの関係も全て月日が解決してくれる。 事実、ムルタさんは僕の事を信頼してくれているし、不安そうな顔を見る機会も減った。時々、過去を思い出せず寂しそうな顔をするが、それ以外は問題ない。 過去なんて過ぎ去ったものは振り返らない。 それは僕が出した答えだ。 だからムルタさん、僕とあなた二人っきりの楽園を築きましょう。 誰にも邪魔される事のない楽園を。 そう遠くない未来、死が僕達を別つその日まで…。 |
END |