涙の分だけ
「ねぇ、あんたにとってボクの存在って、何?」

昼間、訓練も実験も無く、空調の整った部屋で時間を持て余していた時だった。
何気なく、そんな言葉がもれた。
それは常に僕が抱えていた疑問だった。
ただの物?それともただの部品?大切な兵器?それとも…。
そんな昼メロみたいなセリフは続かなかったが、その小さな質問にそれらは含まれていた。
だが、それを口にした瞬間、ボクが後悔したのは言うまでも無い。

「突然どうしたんですか?」

案の定、アズラエルは意外そうに目を丸くして、ボクの事を見た。
きっとアズラエルの事だから、目の前のガキが、また変な事を言いだしたとか思っているのだろう。
それがわかっているからこそ、ボクは意味深な言葉を、大して意味の無い言葉に変えてしまうのだ。

「別に、言ってみただけですよ」

そう言ってしまえば、目の前の男はこれ以上追求してこないはずだ。
わざわざ、ガキの相手をする必要なんてないのだから。
どの道、答えが返ってこないくらい知っている。
それが分からないほど、ボクだってバカじゃない。
あぁ、でもこんな事を言うくらいだから、本当はバカなのかもしれない。

飼い主に恋をするなんて、分が悪すぎる。

多分、誰に言っても同じ答えが返ってくるだろう。そんな事は百も承知だ。
ムルタ・アズラエル。どこかの理事様で、コーディネーターが大っ嫌いなブルーコスモスの盟主様。そんでもって、ボク達のご主人様。
別にボクは『ご主人様』なんて呼ぶ趣味ないんだけどね。その言葉が一番適当なんだ。
あとは所有者って言葉もありかも。ボク達は『人』じゃなくて、『物』らしいからね。
まぁ、結局のところ、ボクはこの人に逆らえないし、そう易々と触れていい立場でもないわけ。
そうは言っても、結構この部屋には出入りしている。別に追い出される事は無いし、居ても相手をしてもらっていないからね。
それなら追い出してしまえばいいのに、なぜか目の前の男はそれをしない。
いつもみたいに冷たい口調で「もう2度と来ないで下さい」と言われたら、ボクは従うしかないのに。
だってボクはそういう風に作られているからね。
でもなんか、このセリフって親に反対されている恋人へのセリフみたいだなって、思ってしまった。
勿論、ボク達の場合はそれには当てはまらないけどね。
そんなくだらない考えを強制終了させるべく、また新たな問をアズラエルに投げかける事にした。

「なんでさ、ボクの事を追い出さないわけ?」
「追い出して欲しいんですか?」

"それには気付きませんでしたね。"
そう言いつつ、視線はデスク上の書類に向けられていた。

「別にそう言うわけじゃないですよ。でも、邪魔じゃないの?」
「まぁ、僕の仕事を妨害するようでしたら邪魔ですけど、君は静かにしているんで、追い出す必要がない。ただそれだけの事ですよ」

事務的に返ってくる言葉の数々。
ボクに向けられている言葉のはずなのに、それがボクの胸に響かないのは、彼がボクの事を見てくれていないからだ。
仕事に嫉妬するなんて馬鹿げてると思われるかもしれないけど、正直いい気分はしない。

「忙しいみたいですね」
「まぁ、暇をもてあましていないのは確かですね」
「たまにはゆっくりしたいとか思わないの?」
「思わなくはないですが、そうそう休んでいられる身分でもありませんからね」

苦笑してボクの問いに答えたかと思うと、ふと書類にペンを走らせる手を止め、ボクの持っている瞳に近いアズラエルの瞳が、ボクの事を捕らえた。

「今日はやたらと質問事項が多いですね」

呆れているとはまた違う、落ち着いた声。
どうせなら、突き放してくれればいいのにと思うけど、実際に突き放されたら立ち直れないのかもしれない。
だからこそ、ボクは相手の出方を見ているのだろう。

「もしかして、さっきの質問の答えが欲しいんですか?」

結構昔の話を持ち出してくるあたり、本当にたちが悪い。
昔って言っても、ほんの少し前の事だけど。
ここでその事を認めたら何かが変わるというのだろうか?
多分、どんな天変地異が起ころうと、今のボク達の関係は変わりっこない。
コーディネーターがいなくなっても、ボクが人間に戻る事はないし、その時はきっと廃棄処分にされるのが関の山だろう。
ジ・エンドだ。

「そんなわけないじゃん。ただボクは、あんただったらどう答えるか聞いてみたかっただけですよ」

自分でも苦しい言い逃れだと思う。
正直、今のボクはかなり滑稽だ。まるでサーカスにいるピエロのように。
だからこそ、全て無かった事にしてほしかった。
でもボクの気持ちとは裏腹に、目の前の男はあまりにも優しい嘘の言葉を口にする。

「『君なしには生きられないくらい、大切な存在です』とでも言えば、満足ですか?」

真剣な目をして、アズラエルは恋人同士のような言葉を口にした。
それはきっとボクがずっと求めていた言葉だ。
でもそれを素直に認める事など、今のボクには出来なかった。

「なっ、何本気にしてんだよ。バッカじゃないの?」
「なら、今強がりを言いながら泣いている君はもっと大バカですね」

呆れ顔でボクに近づいてきたかと思うと、ふいにひんやりと大きな手が頬に触れた。その手は何かを拭うように目の下を滑り、ボクは自分が泣いていた事を初めて悟った。

「最悪」

どうして、こうもボクの気持ちとは裏腹な事ばかり起こるのだろうか。
自分の事なのに、誰かの所為にして逃げ出したいくらい最悪の状況だ。
それなのに、目の前の男は普段は見せない優しい笑みを浮かべている。

「そうですか?僕はそう思いませんけど」
「心の中は空っぽになるし、わけ分からないし」

全て空っぽなら良かったと思う。
そうすれば、何かに期待を抱く事なく終らせる事が出来たはずだ。
でもそうする事が出来ないのは、良くも悪くもまだボクに人間らしい感情が残っているからだろう。
でもボクはこの空っぽになった心を埋める術を知らない。

「なら、君の隙間を僕の愛で満たしてあげますよ?」

"涙の分だけ、君を愛してあげますよ"
そう言って、そっと口付けを交わした。

優しい言葉を吐く悪魔ほど、厄介な者はいない。
そしてそれがわかっていながら、その言葉に頷いてしまう大バカモノも。
盲目なまでにあなたを愛してしまったボクは、愚か者ですか?



END





モドル