ずぶ濡れの子猫 |
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自室へと続く長い廊下。 そこに残る不自然な水溜り。 初めそれを見た時、僕は清掃員の不手際かと思いました。 しかし、その水溜りは真っ直ぐと僕の部屋に続いていたので、僕は別の仮説を立てました。 現在、この建物の外は雨が降っています。 それは昨日からずっと降り続いているもので、かなりの量です。 そんな中、外に出て雨にうたれた"誰か"が、濡れた体も拭かずに僕の部屋にいるとしたら、この水溜りの謎はすぐに解けます。 そしてその"誰か"が十中八九、僕の想像している人物である事は間違いないでしょう。 「クロト、いるのでしょう?出てきたらどうです?」 部屋のドアを開けてそう言うと、ソファの影からクロトが顔を出した。 僕の予想通りクロトは頭から見事に濡れていて、いつもならふわふわとした髪からはぽたぽたと水が滴り落ちている。 「そんな格好でいると風邪をひきますよ?」 「わかってるよ。だからここにいるんじゃんかよ」 すねたように言うクロトに、僕は思ったままの事を言ってみる事にした。 「クロト、もしかして誘ってるんですか?」 「なっ、何言ってんだよ!!」 そう言って顔を真っ赤にして、否定してくるところを見ると、残念ながらそうでは無いようですネ。でもクロト、君は自分の格好がどんなのかわかっているのですか? 雨に濡れて、燃えるように赤い髪の毛は更に深みを増し、赤のタンクトップは肌に張り付くほど濡れている。 なぜか上着は羽織らずに、両手で胸の辺りに抱えいます。 これはどこからどう見たって、誘っているようにしか見えませんよ。 そう心の中で思っていると、外の雨音に混じって、猫の鳴き声が聞こえた。 「ニャー?もしかしてクロト、ネコミミプレイがお望みですか?」 そうでしたら早くそう言ってくれればよかったのに。 クロトの為に、素敵な猫耳があるんですよ。 革製の耳に、黒いリボンでヘッドドレスのようにつけるのが。 そう続けようと思ったものの、クロトは先ほど同様に否定の意を示してきた。 「ばっ、ヴァーカ!!オッサンの変態!撃・滅!!」 顔を真っ赤にして言うと、クロトはすたすたとドアに向って歩き出した。 どうやら、本気で怒らせてしまったようですね。 腕でを掴んで動きを止めると、少しだけバランスを崩したのか、クロトの腕から上着が落ちた。 「あーっ!」 なぜかそれに対して敏感に反応したクロトに違和感を覚え、その上着を持ち上げてみると、その下からはクロト同様に毛をしっとりと濡らした猫が出てきた。 大きさから考えるに、まだ子猫のようですね。 ぶるぶると体を震わせたかと思うと、子猫はとぼとぼと歩き出し、クロトの足元に擦り寄った。 クロトはと言うと、どこか気まずそうに視線を明後日の方向に向けています。 本当に、この子は分かりやすい子ですね。 「クロト、この子猫はどうしたんです?」 「A館に続く道を歩いていたらいたんです。一人ぼっちで…」 視線を僕と合わせないまま、クロトはぼそぼそと答えた。 わかりますよ、優しい君の事ですからね。 雨の中、子猫が一匹ぽつんといたのを見て、可愛そうに思ったのでしょう。 だから自分が濡れるのも構わずに、子猫のところまで行った。 そう考えれば、今目の前にいるクロトがずぶ濡れなのも納得がいきます。 「それで、どうしてここに来たんです?」 仮にも、三人一部屋とは言え、きちんと自分の部屋を持っているというのに。 まぁそこよりはここの方が、環境的に良い場所なのはわかりますが。 「オルガとシャニが、きっと反対する」 「オルガとシャニがですか?」 そう問えば、クロトはこくんと頷いた。 意外ですね。 僕的に文句はいいつつも、オルガは結構面倒見がいいですから、子猫の世話もしてくれると思ったのですが。 それにシャニも、自分のテリトリーに入らなければ、文句はいわないと思ったんですけどね。 「オルガのヤツ、猫アレルギーなんだってさ。毛に弱いんだって」 「オルガが猫アレルギー?人は見かけによらないものですね。それでシャニは?」 「シャニは自分と似てるから、なんか嫌なんだって」 「どういう事ですか、それ?」 「…わかりません」 まぁ、確かにシャニは猫っぽい所はありますよね。自由気ままですから。 ちょっと艶っぽいところがありますから、品種的にはシャムネコって所でしょうか…。って、話がそれてますね。 「つまりオルガとシャニが猫があまり得意でないから、僕のところに来たという事ですね?」 「はい」 こくりと頷くと、クロトはちらっと僕を盗み見すように目を合わせてきた。 「一晩でいいから、ここにいちゃダメですか?」 もともとある身長差の為、下から見上げられておねだりされて、簡単に断るほど僕は冷酷じゃないですけどね。 それをわかっていて、やっているのですかね、この子は。 「わかりました。クロトの好きなようにしなさい」 「本当に!?」 「えぇ」 僕がクロトの願いを断る事など無いに決まっていると言うのに、クロトは本当に嬉しそうに足元にいた子猫を抱き上げて、にっこりと笑った。 本当に素直な子ですね、クロトは。 まぁ、そこが気に入っているところでもあるんですが。 「ですが、まずはシャワーを浴びてくださいね。そのままでは風邪をひきますよ。その猫は僕が預かりますから」 「あっ、はい。お願いします」 クロトは抱えていた子猫をそっと僕に差し出すと、ぺこりとお辞儀をして奥のシャワー室に消えていった。 「では、君も体を乾かしますかね」 そう話しかければ、お願いしますと言うように子猫はニャーと、一鳴きした。 「アズラエルさん、シャワーありがとう」 ちょうど子猫の毛を乾かし、ブラッシングを終えたところにクロトが戻ってきた。 肩にかけてあるタオルに手を伸ばし、クロトを自分の前に座らせて髪の毛を拭く。 「あっ、すみません」 「気にしなくてもいいですよ」 タオルで水気を飛ばし、ドライヤーで乾かし始めると、体も温まり眠気が襲ってきたのか、クロトの体がかくんと揺れた。 「クロト?」 声を掛けてみるが、クロトからの反応は一向に無く、僕はクロトを奥の寝室へと運ぶ為に抱え上げた。 クロトをベッドに下ろすと、後ろを付いて来た子猫もぴょんとベッドに飛び乗った。 「君も寝ますか?」 しわになったシーツを綺麗に伸ばしてスペースを作ると、子猫はそこに治まった。 クロトに寄り添うように横になれば、僕の胸に頬をよせ、クロトは幸せそうな顔(これは決してのろけではありませんよ?本当に幸せそうにしているんですからね)をした。その脇には体を丸めた猫が、同じく幸せそうな顔で眠りについていた。 まるで子猫が2匹寝ているようですね。 クロトの髪の毛をきつつ、軽くおでこにキスを落とす。 「もっと我が侭を言ってくれて良いんですよ。君はまだ子供なんですから」 本人に面と向って言えば、子ども扱いするなと言われそうですが、僕と比べればクロトはまだ子供で、僕が守るべき存在に変わりない。 それは母親が子供を守るのに少し似ていますが、僕の中にはそれ以上の感情がある。 「愛しい君の願いであれば、なんでも聞く事が出来るんですからね」 決して届かない言葉を呟き、僕は照明を一つ落とした。 傍に感じる体温を抱きしめるように、僕も眠りにつく事にした。 |
END |