聖夜の囁き |
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時計の針が真上を指そうという時刻。 ブルーコスモスの盟主であるムルタ・アズラエルは、現在関わっているプロジェクトの研究施設内にある自室にいた。 デスクの上に広げられているのは、彼がサインしなければいけない書類たち。 それにアズラエルは万年筆でさらさらと自分の名前を記していく。 全くもって面白みの無い単純作業。 だからこそ、早く終わらせてしまいたいアズラエルは休む事を忘れたかようにもくもくとペンを走らせていた。 コンコン 静かな部屋にドアをノックする音が響いた。 アズラエルはサインしていた手を止めて、ドアに視線を移した。 「誰です?」 そう問うが、ドアの向こう側にいる者からの反応は全く無い。 一瞬、空耳かとも思ったが、それはないだろうと思い、アズラエルはしぶしぶドアに向った。 アズラエルの注文でアンティーク調に作られたドアを開くと、夜の闇に映える赤髪の少年が立っていた。 「クロト?」 そう、ドアの所に立っていたのは両手で枕を抱え、体に毛布を巻いているクロトだった。 どこを見ているのか分からない、焦点の定まらない目は、眠いのか少しとろんとしている。 アズラエルの言葉には反応せずに、一度だけアズラエルの顔を見た。 しかしその視線も直ぐに外され、クロトは室内を見渡すと、ゆっくりとした歩みで部屋の中央まで来た。 そして再びアズラエルに視線を移した。 「ここ、借りるよ」 それだけを言うと、クロトは手に持っていた枕をセッティングして、大きめのソファーに横になった。体が小さめのクロトは難無くそこに収まり、肩まですっぽり毛布で覆っている。 それはどこからどう見ても寝る体勢だ。 「えーと、どうしたんです?クロト」 突然のクロトの行動の意味が分からないアズラエルが声を掛けると、クロトは面倒そうに、しかし愚痴をこぼす様に答えた。 「隣がうるさくて眠れないんだよ。あれ、どうにかならないの?」 「"あれ"と言いますと?」 「食堂の宴会」 その一言で、アズラエルはクロトが何を言いたいのか察した。 今日はクリスマスだと言うのに、家に帰ることの出来ない者たちが食堂を使ってパーティーをしているのだ。それは大分前から決定していた事で、アズラエルも了承はしていた。 だが、どうして自分の部屋を与えられているクロトが迷惑を被るというのだろうか。 そもそも、食堂とクロト達の部屋は階が違う。いくら食堂で騒ごうと、彼らの部屋まで音が届くはずは無いのだ。 「彼らが騒いでいるのは分かりましたが、君には何の影響もないと思うんですがネ」 そう言うと、クロトは睨み付ける様にアズラエルの事を見た。 「空調が壊れてて、変わりに使ってる部屋が食堂の脇なんですけどね。これでも関係ないですか?」 「あぁ、そうでしたね」 3日前、空調の調子が悪いからどうにかしてほしいとクロトがアズラエルに訴えた。いつもであれば少しぐらい我慢しなしいというアズラエルだったが、ちょうど季節は冬。もしここでクロトが体調を崩すようでは、プロジェクトにも影響が出るだろうと、他の部屋を与えるように指示していたのだ。 どうやらそれが、食堂の隣だったようだ。 「それで僕の部屋に来たわけですか?でもそれなら、オルガやシャニの部屋でもいいんじゃないですか?」 仮にも"仲間"という関係の彼らだ。 良い顔はしないだろうが、無理に追い返すと言う事もないであろう。 「こっちの方が暖かいもん」 しかしクロトは、さも当然と言うように答えた。 確かに生体CPUである彼らより、確実に地位の高いアズラエルの部屋は空調設備も整っている。だからクロトの選択もある意味、理にかなっているといえるだろう。 アズラエルの質問に答えのだからもう良いだろうと、クロトは再び眠りにつこうとしたが、それを阻止するようにアズラエルがクロトに近づいてきた。 「じゃあ一杯だけ、僕に付き合ってもらえますか?」 そう言って、アズラエルはワインボトルと小さなグラスを出してきた。 クロトが寝ている正面の席に腰を下ろし、グラスを置いてボトルを開ける。 そしてこぽこぽっと言う音をたてて、深いガーネット色の液体がグラスへと注いでいく。 クロトは面倒そうにグラスに手を伸ばすと、それを光にかざすようにして眺めた。 「何これ」 「ポートワインですよ。寝る前に飲むと、ぐっすり眠れるそうです」 アズラエルのその声に、クロトは納得したように頷くとグラスに口をつけた。 「甘っ…。こんな甘いものなの?ポートワインって」 「えぇ。ポートワインと言うのは、発酵中ににブランデーを加えて発酵を止めて作るんです。ですからワインよりもぶどう本来のフルーティーな甘さが残るんですよ」 「ふぅーん」 アズラエルの説明を軽く流すクロトは、もう一口ワインを口に含む。 先ほど同様、甘いぶどうの味が口内に広がる。 普通のワインよりもねっとりとしたポートワインは、むしろブランデーの方が近いのではないかとクロトは思った。 ワインを口の中で転がし、クロトはふと口を開いた。 「あれが欲しくなるね。ブランデーがよくきいてるドライフルーツのケーキ」 いつだか、アズラエルがお土産だといって買ってきたケーキの味を思い出す。 バターをふんだんに使っていたのか、生地自体はしっとりとしており、絹のような滑らかな口当たり。それでいてドライフルーツの個々の味がしっかりと残りつつも、どこか統一性のあるケーキだった。 「そうですね。デザートワインだけじゃなくて、ポートワインにも合いそうですね。あのケーキでしたら」 アズラエルもクロトの言っているケーキの事を思い出したように頷いた。 普段は何かとうるさいこの少年も、こうやって静かにしていれば嫌いではないとアズラエルは思う。もっとも、彼がこうして静かにしてるのは本当に限られた時間なのだが。 しばらく、二人の間に静寂が訪れた。 ゆっくりと味わうようにワインを口に運び、そしてその雰囲気を楽しむように。 「そう言えばおっさんは、誰かと一緒にクリスマスを過ごさないの?」 ぼそっと呟くように、クロトは言った。 アズラエルはクロトの突然の問いに一瞬驚いたものの、すぐにいつもの何を考えているか悟れない表情で聞き返した。 「なぜです?」 「だって、皆そうしてんじゃん」 今、施設に残っているものを除く者たちは、皆自宅に帰っている。 それは年に一度のこの特別な日を、大切な家族や恋人達と過ごすためだ。 生憎、生体CPUとなったクロト達にそんな存在はいない。それでなくとも生活空間を限られている彼らには、いつもの変わらない日でしかない。 しかし目の前にいる男は、自分達より絶対的な権力を持っている。 例え仕事があろうと、少しの融通はきくはずだ。 それなのに目の前の男は家にも帰らず、自分の第二の家と化したこの部屋で、一人仕事をしている。 それがクロトには不思議でならなかった。 「別にクリスマスだからと言って、皆が皆大切な人と過ごすとは限りませんよ」 「ふぅ~ん。やっぱあんたみないな人でも、大切な人…いるんだ」 かみ合っているようで、一部かみ合っていない会話。 クロトは"誰かと一緒にクリスマスを過ごさないのか"と言った。 そしてアズラエルは"全ての者が、大切な人と過ごすとは限らない"と答えた。 しかしそれに対してクロトは"アズラエルにも大切な人がいるんだ"と呟いた。 それは自分には絶対手に入らないもの。例えクロトが望もうと、望まなかろうと…。 別にそれが羨ましいと思ったわけではない。 しかしそれに埋まらない心の空洞を感じたのは事実だ。 そんなクロトの本心を悟ったのか、アズラエルは手にしていたグラスをテーブルに置いた。 「もし…」 そこで言葉を切ると席を立ち、正面のソファに座っているクロトの脇に移動した。 右手をクロトの顎に掛けると、くいっと上を向かせ、クロトの眼に自分を映るようにさせた。 「僕の目の前にいる君が、大切な人だと言ったらどうします?」 人を試しているのか、それとも騙そうとしているのか。 常に本心を映さないアズラエルの表情に、クロトは左手でその手をはらった。 「ご冗談を。なぜあんたみたいな人が、こんなガキを相手にするんです?世間の良い笑いものですよ」 そう言ってクロトは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。 しかしその眼は笑っておらず、冷たい氷のような色を映している。 「そうですね。忘れてください。ちょっと酔ってるみたいですので」 そう言うと、アズラエルは自分のグラスを空にして、先ほどまで作業をしていたデスクへと戻っていた。 クロトはそんなアズラエルの姿を確認すると、再びソファーに横になった。 数分後、静かな部屋に規則正しい小さな寝息が響いた。 アズラエルはサインしていた手を止め、ソファーで眠るクロトの元に再び近づいた。 少しずれ落ちている毛布をキチンとかけ、クロトが寒くないようにしてやる。 そしてそっとクロトの髪を撫でた。 「それでも僕は、君の事を愛してるんですよ」 眠りについた少年に届く事の無い告白を、アズラエルはそっと言ってルームライトを一段階落とした。 |
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