溺れる
疲れていると、死んだように眠る人がいるけど(シャニは、いつも死んだように寝てるけどさ)僕はその逆らしい。
一旦は眠りにつくけど、それもよくて3時間。短い時は30分ほどで、目が覚める。
今日は、40分弱って、ところか…。
デジタル表示された時計で時間を確認して、最近どんどん睡眠時間が短くなっている事に気が付いた。

どうしてだろう?

そんな疑問が頭を過ぎったが、今はそれを考える事を止めた。
隣りで眠っているアズラエルを起こさないように、そっとベッドから抜け出した。
床に散らばった服をかき集め、バスルームへと向うのはいつもの事だ。
バスルームに入ると、僕はコックをひねり、頭の上から少し熱めにセットしたお湯を浴びた。
それによって寝ぼけていた頭が覚醒していく、この瞬間が僕は好きだ。
いつまでも夢の中にいられるほど、盲目ではいられない。
なぜなら、あれは短い夜が見せる幻想なんだから…。

シャワーを浴びていると、時々、鈍い痛みが体中に走る。
今日は少し荒れてたからな。
もともと、あの行為に愛とか優しさなんてものはない。
所詮は八つ当たりと性処理の為の行為。それは僕も十分理解している。
あの人は子供みたいな大人だから、立場の弱い僕に、こうやって当たる事しか知らない。
そして僕には、それを拒む権利なんて無いから、それを無言で受け止める。
どうしてこんな関係になってしまったのか、今じゃ覚えてないけど、それが自然となってしまっているのは事実だった。
密かに呼ばれて、散々暴言を吐かれ、殴られて、気まぐれに抱かれて…そして朝になる前に部屋から出る。
それが今では、暗黙のルールとなっていた。
多分、あの人が飽きるその日まで続くであろう、この行為。
僕に拒否権なんてものはないのだから、仕方ないんだけどね。
頭の中でぐるぐると回る果ての無い考えに、僕は頭を横に振った。
飛び散る水しぶきと共に、それが抜ける事はないだろうが、そうせずにはいられなかった。

火照った体の表面に散らばる水を拭き取り、しわの寄った服を着込んだ。
体は温まったはずなのに、なぜか心だけが冷たい気がする。
最近はよくそう思う時がある。
初めの頃は、そんな事などなかったはずなのに…。
明確にならない気持ちは嫌いだった。
これもそれによく似ている。
煩わしいくて、うざい。
どうして、僕がこんなものに振り回されなくてはならないのか。
それが凄く不満だった。



グラス一杯の水を飲み干し、決して長くない髪から滴り落ちる水をタオルで拭きつつ、部屋に戻った。ベッド脇のルームライトはつけっぱなしだから、物につまずくことなく、ベッドまで行く事が出来る。
僕がベッドから抜け出した時と同じように、アズラエルは寝たままだった。

「じゃあ、僕は戻りますから」

夢の住人であるアズラエルには聞こえないだろうが、そっと声をかけた。
いつも、朝が来る前にこの部屋から出て行くようにしている。
それはオルガじゃシャニに知られたくないって気持ちがあるからだ。
どんな形であれ、"僕"だけが特別だと思われたくない。
だからこの呼び出しも、二人に知られないように、こっそり行われる。
ここに来るのも24時を過ぎてからだから、二人とばったり遭遇する事も無い。
まぁ、偶然遭遇したとしても、平静を装う事ぐらいなんて事ないんだけどね。
そう思いつつ、ライトを消そうと手を伸ばしたところで、アズラエルが身じろいだ。

「クロ…ト?」

まぶしそうに、目を細めて僕を見た。
僕と同じアイスブルーの瞳。
昼間のような鋭さは無く、小さな子供のようだ。

「すみません、起こしちゃいましたか?」

そう言うと、アズラエルは首を横に振った。
その動作がいつもより幼く見える。

「帰るんですか?」
「えぇ」

アズラエルの言葉に頷き返すと、アズラエルの手が伸びてきて、僕の事を包み込んだ。

「アズラエルさん?」
「もう少し、ここにいてもらえませんか?」

それは予想していた言葉とは正反対のものだった。
いつもなら、機嫌の悪い時などはとっとと出て行けと言われるのに…。
こうして呼び止められるのは初めてだった。
だから、僕はどう反応していいのか分からなかった。

「でも…」
「駄目ですか?」

なぜか、そう聞いてくるアズラエルに強く言い返せなくて、僕は適当な言い訳を口にした。

「僕、髪が濡れてますよ」
「君に濡れて、溺れられたら本望ですよ」

そう言って、アズラエルはライトを落とすと、僕を引き寄せてベッドに沈んだ。

「おやすみ、クロト」

そしてすぐに、アズラエルの健やかな寝息が聞こえてきた。
どうやら、アズラエルは寝ぼけていたようだ。
でなかったら、あんな台詞を言うはずがない。

「僕に濡れて、溺れられたらか…」

今さっき、アズラエルが口にした言葉を呟いてみた。
その言葉に、先ほどまで冷たいと思っていた心が、熱くなるのを感じた。

「もしかして僕は、既にあなたに溺れてるのかな?」

この言葉が届くことはないけど、言葉にせずにはいられなかった。
あなたにではなく、あなたに与えられる快楽に溺れればよかった。
そうすれば、全てを割り切っていられるのに。

「あなたはズルイ人ですね、アズラエルさん」

あなたの権力に僕が逆らえるはずが無いのを知っていて、僕を支配していくのですから。
薬が僕達の脳を侵食していくように、あなたも僕を侵食していくんですよ。
深みにはまってはいけないと、どこかで警告をあげているのに、それを無視する事しかできないのだ。

「だから僕はあなたから逃げられないんですよ」

それはきっと、永遠に等しいだろう。
いや、もしかしたらそれよりもずっと短い時間かもしれない。
戦いの中に生きる僕達の命は、自分が考えているよりものよりずっと短いはずだ。
でもどのみち、僕の命が続く限り、あなたからは逃げられないのだろう。
なら、小さな我が侭をしても罰はあたらないだろうか?
そう思うと、僕の体は頭で考えるより早く行動に移していた。
自分より大きな体に腕を回し、胸元に顔を埋めた。

「お休みなさい。ムルタさん」

普段なら絶対口にしない名を紡ぎ、僕は眠りに付いた。



END





モドル