好きなのに、好きなのに。
それでも叶う事の無いこの想いをどうする事も出来ず、僕はその場にたたずんだ。
赤い痕も消えた。
僕を見る、あの人の目は冷たいまま。
それでも僕は、あの人を憎む事も出来ず、こうして今も尚想いを寄せている。
なんて、愚かなんだろう。
零れ落ちる
地球上で生活しているんだから当たり前だけど、ここでは何の予告も無しに雨が降る。
梅雨なら、しとしとと、しとしとと降るうっとおしいだけの雨。
夏の夕方なら、サァーと降って、ピタッと止む夕立。
雷に引き連れられて、空を暗黒に染めて降る雨。
晴れているのに、何故か雨が降り、止んだ後には虹を見せる雨。
その時によって、雨の見せる表情はさまざまで、雨によって、その日の気分が変わると言う事がよくある。
でも、今日はそれとは逆なのかもしれない。
僕の心が、この雨を誘ったのではないかという位、冷たく寂しい雨が降り続いている。
上を見上げれば、直に雨粒が顔に当たる。
自然のシャワーのような雨が、どんどん洋服に吸収されていく。
僕は大きなコンテナに背を預け、その場に座り込んだ。
服がどんどん濡れて行くけど、気にもならない。
むしろ、このままこの雨に溶けてしまえたら、どれだけ楽だろうか。
何も考える事も無く、流れに身を任せたら。
決して、現実にならない事に思いを馳せつつ、僕はゆっくりと目を閉じた。
周囲には、雨の音だけが響いている。




「何やってんの?クロト」

突如、頭上から降ってきた声に、僕はゆっくりと顔を上げた。
そこには、傘もささずにシャニが立っていた。
若草色の髪をしっとりと濡らし、白い肌の上を、雨が滑り落ちていく。

「シャニこそ。どうして、ここにいるんだよ」
「クロトが、ここにいるの見つけたから」
「濡れるよ」
「知ってる」
「早く、戻れば?」
「クロトは?」

真っ直ぐに見つめ返してくるシャニから顔をそらした。

「戻らない」

どうせ、今ここで戻ろうが戻らなかろうが、何も変わらない。
薬が切れれば、戻らなきゃいけなくなるし。
だから今の僕には、ここから動く理由が無い。
そう思っていると、なぜかシャニが僕の脇に座り込んだ。
僕にもたれ掛かるようにしながら。

「何してんだよ」
「俺も、ここにいる」

シャニはいつもの気だるそうな声で答えた。

「風邪ひくかもしんないよ」
「それはクロトも一緒じゃん」
「僕はいいんだよ。好きでこうしてんだから」
「じゃあ、俺も好きでしてるから平気」

シャニの言葉に、僕は大きくため息を吐いた。

「なら、勝手にすれば」
「うん、そうしてる」

そう言うと、シャニは口を閉じた。
もともと僕が話しかけなかったら、シャニの事だから、何も言わずにこうしていただろう。
雨は容赦なく降り続いている。
冷たくして、心地がよい。
だけど、なんか寂しい。
そんな雨だ。

「クロトってさ、アズラエルの事、好きなの?」

突如、シャニは僕が思いもしなかった事を聞いてきた。

「なんだよ、急に」
「別に。ただ、そう思っただけ」

まさか、シャニにこんな事を聞かれるとは思ってもいなかった。
シャニだけじゃない。オルガにも同じ事が言える。
僕達は同じ生体CPU同士だけど、これと言って仲間意識があるわけじゃない。
なぜなら僕達は、他の人間達よりもテリトリーに関しては厳しいからだ。
他人からの干渉を嫌うし、相手に干渉するのも嫌いだ。
だから意外だった。
シャニがそんな事を聞いてくる事が。
そして、僕がそれについて語ろうとしている事が。

「好きだよ。アズラエルさんが、好き」

こうやって、言葉にしてしまえば簡単な事。
だけど、多分一生伝わらない思い。
どうして、こんな気持ちに気付いてしまったんだろう。
気付かなければ、もっと楽だったかもしれない。
こんな思いをせずにすんだのかもしれない。
あの人の事を恨んで、人を殺して、欲望のままに生きて。
そして僕という人間が崩壊して、それで終わり。
凄く簡単な方程式だ。
なのに、そうはならなかった。
あの人が好きだと思った。
あの人に認められたいと思った。
あの人の役に立ちたいと思った。
あの人に愛されたいと思ってしまった。
それは僕を繋ぎ止めている、鎖のような物で、僕を縛り付けている。
決して切れる事の無い、硬い鎖。

「ねぇ、苦しい?」
「うん」
「なら、諦めれば?」

シャニの言葉に、僕は首を振った。
確かに、シャニの言葉は正論だと思う。
どうせ叶わぬ想いを持ちつづけるより、諦めた方が何倍も楽だ。
でも、それは所詮表面的な物でしかない。

「苦しいけど、諦めたくないんだ」
「何で?」
「僕が、僕である為…かな」

例え、あの人の目に部品として映っていても、薬の影響で記憶が失われていっても、今のこの気持ちは僕の唯一の真実だと思いたい。
僕が僕である為に、この気持ちは存在しているのだと。
だから、何があってもこの気持ちだけは失いたくないんだ。
例え、叶わぬ恋だとしても。

「辛い恋だね」

シャニの言葉に、こくん頷く。

「クロト。辛かったら、泣いていいんだよ」

僕の顔を覗き込みながら、シャニが言う。
しかし僕は、首を横に振った。

「いい」

薬の影響か、どうやって泣くのか思い出せない。
どうして悲しい時に涙が出るのか、それすらも分からなくなっていた。

「そっか。じゃあ、変わりに空が泣いてくれてるんだね」
「えっ?」
「空知らぬ雨って、知ってる?」

オルガのような事を言い出したシャニに、僕は再び首を振る。

「涙の事を言うんだって。だから、空が落とす雨は、誰かの涙なのかと思ってさ」

シャニにそう言われ、再び見上げた空は、さっきとは別物のように感じられた。
雨が僕を慰めているように、凄く優しく感じる。
冷たかったはずの雨が、温かく感じて、凄く心地良い。

「戻ろうか」

いつのまにか立ち上がっていたシャニが、僕に手を差し出していた。
僕はその手を無言で掴み、立ち上がった。
ふと、シャニが空を見上げた。

「雨、上がるといいね」

それは天気の事ではなく、僕の事を言っているのだと、なんとなく分かった。
だから僕は心の声を無視して、こう答えた。

「そうだね」

この願いが、叶う事は一生無いと思う。
それでも僕は、そう答えたかったのだ。
ほんの気休めのような言葉でも、それが真実になるようにと。
どうか、悲しい雨が二度と降らないでいいように。
今だけは、この願いに縋りつかせて欲しいと、僕は心の底から思ったのだった。



END





モドル