限りなく続く
俺達は、制限された空間で、制限された生活を送る。
それはこんな身体になった時から、決まっていた事-必然-だった。
この生活に、特に不満があるわけではない、と思う。
まぁ、ウザイ奴が2名ほどいるけど、そこそこ快適じゃない?
好きな音楽も聞けるし、緊急時以外は、好きなだけ眠っていられる。
だけど、どうしてだろうね。
たまにだけど、無性にここから出たいと思ってしまう。
きっとこれは、我侭じゃないよね?




「ヤダ。飲みたくない」

目の前に出された薬を拒否した。
別に、飲めない薬ではない。
今までにも何度か飲んでるし、格別に不味いわけでもない。
でも、飲みたくなかった。
オルガやクロトは既に飲み終わっていて、なんかデータらしきものを取られている。

何度か拒否してたら、困り顔のアズラエルが近寄ってきた。

「シャニ、どうして薬を飲まないんです?」
「飲みたくないから」

ちょっと面倒だったけど、一言そう答えた。

「それでは理由になりませんよ」

そう言って、アズラエルは"はぁ~"と、大げさに大きなため息をついた。
でもしょうがないだろ?
飲みたくないんだから。
そう思って、アズラエルの顔を見ていると、1つの考えが浮かんだ。

「飲んでも良いよ」
「えっ?」
「だから、その薬を飲んでも良いって言ったの」
「そうですか。そりゃ良かった」

一安心だという顔をしたアズラエルに、俺は言葉を続ける。

「空を見せてくれたらね」
「はい?」

アズラエルだけじゃなくて、少し離れたところにいるオルガとクロトも、同じに不思議そうな顔をした。

「空が見たい」

もう一度、はっきりと言うと、アズラエルが眉間にしわを寄せて、口を開いた。

「空なら、いつでも見てるじゃないですか」

確かに、ここは地上だから、いつでも天然の空が見れる。
いくら生活に制限の掛かっている俺らでも、この施設内なら大抵の所へは行ける。
でも、俺の望む空は、こんなのじゃない。

「海」

そう、一言呟く。

「海がどうかしたんですか?」
「海に行きたい。それで空を見たい」

俺の要求に、アズラエルが少し笑った。

「今更どうしたんです?そんなに、ここから逃げたいんですか?」

アズラエルが、嫌味ったらしく言う。

「別に」

別にここから逃げたいわけじゃない。
ただ、空がみたいだけだ。
そう思ったけど、言葉に出すのは止めた。
だって、面倒だから。

「ダメ?」

もう一度、聞きなおす。

「きちんと、ここに戻ってきますか?」
「どうせ、外じゃ生きられないだろ」

俺達の身体に染み渡ったγグリフェプタン。
その薬無しに、俺達が生きる事など無理なのは、百も承知だろ?
そう思いつつ、アズラエルの顔を見返す。

「わかりました。許可しましょう」

アズラエルの声に、周りの奴らがどよめく。
"ですが、アズラエル様"とか"それでは研究が…"とか、なんか色々言ってたけど、ここで一番の権力を持っているのは、ここにいるアズラエルだ。
アズラエルが一度決めた事を、覆す事は出来ない。

「オルガとクロトも一緒だからね」

思い出して付け加えると

「どうぞ」

と言って、アズラエルは笑った。
俺は先ほどまで強要されてた薬を、無表情のまま飲み込んだ。




「気持ちいい~」

"う~ん"と言って、クロトが猫のように背伸びをする。
確かに潮風が頬に当たり、気持ちがいい。
目の前に広がるのは、水平線を見せる海と白い砂浜、そして青い空だけだ。

「しっかし、お前も結構、大胆な事を言うんだな」

呆れたような、感心しているような、どっちつかずの声でオルガが俺に話しかけてきた。

「まーね」

空を見たいと思ったのは、事実だ。
あんな狭い空間に、閉じ込められている所為かもしれないけど、どこかに行きたかった。
全てから解放されたい。
あの施設からも、この薬を必要とする身体からも…。
もちろん、そんな事が叶うなんて思っているほど、子供でもない。
だから、これは小さな悪あがきでしかない。

「ひゃっ!冷たーい」

不意に、クロトのそんな声が聞こえた。
視線をクロトに移すと、クロトはズボンを捲くり、靴を脱いで、海の水に触れていた。
ばしゃばしゃと、足で水を蹴り上げる。

「おい、こっちに掛けるんじゃねーよ」

クロトに水を掛けられそうになっているオルガが、制止の声をあげる。

「やっだねー」

尚も攻撃を続けるクロト。
次の瞬間、バシャッと派手な音が響いた。
綺麗に整えられているオルガの髪が、情けなく濡れていた。
あーぁ、びしょびしょでやんの。
さすがのオルガも怒ったらしく、拳を握る。

「てめぇ…。クロト、待ちやがれ!!」
「うわっ、ちょっとタンマ!」

逃げるクロトと、それを追うオルガ。
まるで猫と鼠だね。
そんな事を思っていたら、くるっとオルガがこっちを向いた。

「っうか、シャニ。てめぇも高見の見物してんじゃねぇーよ」
「えっ?」

ぐいっと引っ張られ、バランスを崩した俺は、見事に海に身体を沈めた。

「冷たい」

オルガ以上に濡れてしまって、全身びしょびしょだ。
服が肌に張り付いて、気持ち悪い。
それなのに、その原因を作ったオルガとクロトは、俺の事を指差して笑っている。
最悪…。
二人を睨みつけようと、顔を上げた。
そうしたら、限りなく続く空が目に入った。
遮るものさえなく、どこまでも続く空。
誰にも汚される事の無い、無垢な青。
そんな空を、2羽の鳥達が飛んでいく。

綺麗だと思った。

「ねぇ、二人とも」

文句を言おうと思っていた事など、どこかに抜け落ちてしまったみたいに、落ち着いた声を発した。

「どうかした?シャニ」

不思議そうに、クロトが俺を見てきた。

「俺達、生きてるんだよね」

例え、これが人の道から外れているとしても。
呼吸だってしてる。
眠くもなるし、お腹も空く。
空を見れば、綺麗だと思う。
海の水に触れれば、気持ちいいと思う。
これって、生きてるって事だろ?
例え、この思考がどんどん削られていっても。
例え、俺達の命が、残り僅かだとしても。
今の俺達は、確かにここに存在している。

「何、馬鹿な事言ってんの?」

クロトの呆れた声が、上から降ってきた。

「俺らが生きてるのは当たり前だろ?」

クロトの言葉に続いて、オルガが言った。

「生きてなかったら、どうしてこうやって動けるんだよ。何、僕達ゾンビ?
 うわっ、最悪~」
「だな。っうか、お前大丈夫か?暑さで、頭やられたか?」

あまりも普通の対応すぎて、なんか笑えた。

「あははっ。ゾンビか~。それもいいかもしんない」

ケタケタと笑ってたら、クロトが凄く嫌そうな顔をした。

「別に、シャニやオルガがゾンビな分には良いけど、僕は嫌だからね」
「あぁ?俺だって、んなもん嫌に決まってるだろ!?」

"シャニと一緒にすんな"って、オルガが言葉を続けた。
別に、そんなに俺もゾンビがいいと思った訳じゃない。
ただ、三人一緒なら、それでも面白いと思ったんだ。

「っうか、もうそろそろ時間だな」
「うん。そうだね」

別に時計を見て、言ったのではない。
俺達の中にある、時計がそう告げている。

「帰ろうか?」
「だな」

そう言うと、二人は俺の手を引っ張って立ち上がらせてくれた。

「っうか、こんなびしょびしょで帰るの?」

結局、クロトもオルガに追いかけられて、濡れてるし、オルガはクロトに水を掛けられたし、俺はばっちり海に使ったし、三人とも濡鼠って奴だ。

「仕方ないだろ。着替えなんて、持ってきてないしな」

小さくため息をついて、オルガが言う。

「えー、気持ち悪いじゃん」

クロトの意見に、俺も頷いて同意した。
っうか、クロトはまだマシじゃん。
俺みたいに、全身濡れてないし。

「誰の所為だと思ってんだよ」

オルガの問いに、クロトは"知らなーい"と言って、走り出した。

「でもいいじゃん?楽しかったんだからさ」

そう言って、クロトが笑う。

「まぁ、それは否定しねぇけどな」

オルガも楽しかったらしく、少し苦笑しながら言う。
不意に、施設に戻った時のアズラエルの顔が頭に浮かんだけど、今回はそれを無視した。
だって、今は楽しいと言う気持ちで一杯だから。




見上げれば、限りなく続く空。
遮るものさえなく、どこまでも続く空。
誰にも汚される事の無い、無垢な青。
そして目の前を見れば、見慣れた二人の顔。
ウザイ時もあるけど、今はそれが心地よかった。
きっとそれは、この空が見せた幻。



END





モドル