繋がれた手
休日の朝、いつもより少し遅めに目覚ましをセットし、外が明るくなった時間に目を覚ました。
久しぶりの休日に、ベッドからおこしたての体を、ぐーっとの伸ばす。
ミントブルーのカーテンを開けると、窓の外には綺麗な青空が広がっていた。
空気は澄み、とても良い一日が始まりそうな風景だ。
本当はもう少しゆっくりしていたいのだが、この後の予定を思い出し、バスルームへと向かう。
洗顔、歯磨き、身支度を済まし、部屋に戻ると、規則正しいドアをノックする音が聞こえ、ハウスメイドの声が続いた。

「お嬢様、犬牟田様がいらっしゃいました」
「ありがとう。すぐ行くわ」

待ち人であるイヌ君の到着を聞き、ゲストルームへ向かう。
いくつか持っているゲストルームのうち、彼が暇を持て余さないように本が多く並んでいる部屋を好んで使っている。
いつのまにか、彼専用になってしまった部屋に顔を出すと、案の定、イヌ君は本棚の本を物色していた。

「待たせたかしら」
「もう少しかかるかと思ったんだけど、早かったね」

手にしていた本を少しだけ名残おしそうに見て、本棚に戻す。
本当はイヌ君が好きなようにしていいのだが、私の事を優先してくれたことに、心は弾む。
普段はあまりしないのだが、気を良くして、そのまま応接用のソファ脇に移動し、エスコートする。
しばらくして、色とりどりのマカロンと香りの良い紅茶が運ばれてきた。
最初の一杯をサーブし、一口つける。
アールグレイの華やかな香りに、ほっと一息つくと、目の前の恋人へ言葉を投げる。

「どう、学校の方は」
「相変わらず、実験やレポートの毎日だよ」

そう言うと、イヌ君は持ってきたパソコンを広げる。
映し出された画面には、小難しいレポートが並んでいる。
今、考察をしている課題について一通り話す姿に、マカロンを口へ運びながら頷く。
イヌ君は自分の興味がある分野については饒舌になりやすい。
そこが可愛いなと思うものの、それを口にする事はあまりない。
時々、その他の学校の様子を聞けば、その都度、答えてくれる。

「蛇崩こそ、仕事はどう」
「まぁ、やっと慣れてきたところかしら。最近、プロジェクトのサブリーダーになったの。仕事的には小さい方なんだけど、やりがいがあるわよ」

サブというように、あくまでもメインリーダーの補助ではあるが、サブはサブで重要な役割だと言える。
個々の力の把握、全体のプロジェクトの掌握、進捗度確認等やる事は多い。

「君は向上心があるから、すぐクリアしてしまいそうだね」
「どうかしら。でも学校と違って、100点満点なんてないのよね。いつも他に何か出来たんじゃないかしらって、振り返っちゃうわ」
「音楽のリハーサルみたいだね。やっぱり根っからの音楽家なのかな、君は」
「やーね、よしてよ。プロじゃないのよ、私」

イヌ君の言葉に卒業式の際、後輩たちに言われた言葉を思いだす。

「蛇崩先輩、なんで音大へ進学されないんですか」

確かに音楽は好きだ。
時に優雅で、荒々しくて、寂しげで、楽しくて、喜怒哀楽を豊かに表現する方法だと思う。

だが、私にはそれ以上にやりたい事があった。
幼馴染で、昔から大好きな皐月のよきパートナーになりたいと言うものだ。
彼女のそばにずっと付き添うつもりは毛頭ない。
そんな腰ぎんちゃくを彼女は求めていないのは百も承知だ。
だからこそ、対等にビジネスを出来る人間になりたいと思っていた。
その為には自分が持っているものを最大限に使おうと考えた。

ありがたいことに、父は女が後を継ぐべきじゃないなんて、古い考えはしない人だった。
むしろ一人娘の私が継ぐと言ったことを、とても喜んでくれた。
だから卒業式後の進路として、就職を決めたのだ。
音楽の道に進まなかったことに未練がないかと言われれば、ほんの少しだけあると思う。
だが、今はこの選択がベストだと思うし、音楽を選んでいたら、きっと後悔をしていただろう。
そう答えが出てしまっている以上、少しの未練なんて可愛いものだ。

そんな事を考えていると、目の前のイヌ君がゴソゴソとカバンの中をあさっていた。
しばらくして、彼の手に片手で収まるサイズの箱が握られていた。
そしていきなり私の手を掴むと、その箱を手の上に置いた。

「はい、これ」
「いきなり、何よ」
「何って、プレゼント以外の何に見えるって言うんだい」
「突然どうしたのよって、言ってるの」

私の誕生日はまだ先でしょと言葉を繋げれば、恋人にプレゼントを贈るのにいちいち理由なんて必要ないだろうと返されてしまった。

「多分、気に入ってもらえると思うよ」

私の手のひらに乗った小箱をテーブルの上に移し、パステルピンクのリボンに手をかける。
光沢のあるサテンリボンが解かれると、白い箱のふたを持ち上げて箱を開封する。
中には、ピンクゴールドのチェーンが光る腕時計が入っていた。
ラウンド型でパールホワイト文字盤。
3の場所にはカレンダーの数字。
6,9,12の場所には、数字の代わりにルビーみたいな赤い石が配置されている。
クロノグラフがついているのでサイズは少し大き目だろう。
だが仕事で身に着けているにはいいサイズだと思う。

「あら、腕時計じゃない」
「今はまだ学生という身分だから、恰好はつかないけど、これからも君と同じ時を歩んでいきたいと思ってね。もらってくれるかい」
「まるでプロポーズみたいね」

くすりと笑ってみせれば、イヌ君も満更ではないと頷き返してきた。

「まぁ、意思表明には違いないよ。自分で言うのもなんだけど、将来有望なお得物件だと思うんだよね」
「あら、ワンちゃんのくせに生意気」
「犬は自分で順位を決められる生き物だからね」
「もちろん、私が上なのよね」
「さぁ、それは秘密ってことで」

いたずらっぽく笑ったイヌ君だったが、おもむろに立ち上がり、私が座るソファーの前に片膝をついて座った。
そしておとぎ話に出てくる王子様みたいに、手の平を上にして差し出してきた。
私を見上げる瞳はいつもより少し優しくも、真っ直ぐで、ちょっとだけドキっとした。

「ねぇ、乃音。俺の手を取って、一緒に歩んでくれますか」

めったに口にしないファーストネームを、わざわざ口にしたということは、本当にそいういう意味なのだろう。
彼の意図がわかったからこそ、私もそれに応えなければ女がすたるというものだ。

「勿論よ、宝火」

極上の笑顔を浮かべ、差し出された手に、自分の手を重ねる。
男性らしい少し骨っぽい手だ。
また少し背でも伸びたのだろうか。
少しだけ手が大きくなった気がする。
次第にイヌ君の顔が近づき、手の甲に口づけをされた。
満足そうな笑みを浮かべながら、手を取ったまま私の隣に座る。

「ちなみに社会人になったら、指輪はもらえるのよね」
「お姫様がお望みの奴を買えるように、頑張るよ」
「それまで待っててあげるんだから、せいぜい頑張んなさい」

絡ませて繋いだ手に力を込めて、いつか自分の左手に光る指輪を思い描く。
砂糖菓子の様に甘くて、くすぐったいほどの幸せを感じ、誤魔化すように彼の唇に口づけを贈った。



END





モドル