独占禁止法
それはうららかな休日のことだった。朝早くからパソコンで作業をしていると、家のドアフォンが来訪者の到着を告げた。
複数のタスクを表示する画面に、新たに映し出されたウィンドウには、ピンク色の髪の少女が映っていた。
彼女は声をかけるよりも早く、手元のスペアキーで、玄関のドアを開けると、勝手知ったる他人の家に、その身を滑り込ませた。

「勝手にお邪魔するわよ」

そう言って、ほぼ彼女の指定席と化したソファーまで一直線に進むと、クッションを抱えるようにして腰を下ろした。
今日は彼女の買い物に付き合うという約束をさせられたのが、一昨日の放課後だ。
画面下のデジタル時計に目をやり、予定時間より早く彼女が訪れた事を確認した。

「随分と早かったね」
「ちょっと早く目が覚めちゃったのよ」
「悪いんだけど、これが終わるまで少し待っててもらえるかな」
「じゃあ、それまで勝手に過ごさせてもらうわ」

そう言って、いつだかに彼女自身が持ち込んだ雑誌を手にしたのを、視界の端でとらえた。
これがひと段落したら、甘いココアでも入れてあげようと心に決め、再び作業を再開したのだった。




作業の合間、目の疲れを取るために、メガネをテーブルの上に置き、冷蔵庫まで飲み物を取って戻ってくると、なぜかメガネが所定の位置から無くなっていた。
なぜかとは言ったものの、この部屋には、僕と蛇崩の二人しかいないわけで、メガネから勝手に足が生えない限り、無くなった理由ははっきりとしている。
だからこそ、はじめはそれに触れず、彼女に甘いココアが入ったグラスを渡し、少し会話を交わしたのだ。
しかし、一向にメガネの話題をしない蛇崩に、こちらから話題を投げかけた。

「蛇崩、いい加減、返してくれないか」
「何のこと」

僕のことを一瞥し、ココアをちびちびと飲む姿は、素直に可愛いと思う。
だが知らんぷりを決め込んだ彼女に、軽くため息をつく。
どうやら、きちんと言葉にしないと許してくれないらしい。

「僕のメガネ、隠しただろ」
「あらあら、ワンちゃんは、自分で隠したメガネの場所の忘れちゃうの。とんだ駄犬ね」

何かにつけて、彼女は僕の名字である「犬」をもじり、人を貶める。
だが、人のことをからかうだけからかって、文句を言わない彼女に、僕はさらに言葉を続けるしかない事を悟った。

「悪かった」
「何のこと」

間髪を入れずに発しられた言葉には、かなりの棘を含んでいる。
そしてギロリという効果音がぴったりな感じに睨まれた気がする。
蛇ににらまれた蛙というのは、こういう気分なのだろう。
ぼんやりとした視界でも、明らかに自分に向けられた不機嫌さに、手のひらを軽く上げ、降参のポーズをとって見せる。

「少しと言っておいて、2時間も作業に没頭してたことだよ。君との約束があったのに、ルール破りだった」

僕は彼女と付き合い始めてから、いくつかの約束を結んでいた。
そのうちの一つが、二人でいるときに自分を放置し、一人で作業などに没頭しないというものだ。
彼女曰く、自分の時間が自分の意志とは別のもので占領されるのが嫌なのだとか。
僕はこれを「蛇崩の独占禁止法」と心の中で呼んでいる。
実際に口にしてみたら、それこそ何をされるかわかったもんじゃないからだ。

「あら、駄犬だと思っていたけど、少しは考える頭もあるのね」

そういって、彼女はくすりと笑った気がする。
気がすると曖昧なのは、未だ彼女の表情を正確に把握する事が出来ないからだ。

「で、そろそろ本当にメガネを返してくれないか」
「どうして?」

さも不思議だと言わんばかりに、蛇崩は首をかしげる。きっとこれが効果的である事を十分に理解してやっているのだろう。

「君の顔をちゃんと見たい」
「見える場所まで近づいたらいいんじゃないの?」

楽しそうな声で、蛇崩はわざと挑発するように言う。分かりやすい挑発だと少し躊躇したが、ここは大人しく彼女の挑発に乗ることにしておこう。
なぜならばこの少女は、どんな我儘なお願いだって叶うものだと思っているお姫様だからだ。
それが姫の性分だと言われたら、それに納得するしかない。

「姫様の仰せのままに」

そういって、彼女が身を預けているソファーに、片膝と片手をつき、覆いかぶさるほど近くまで顔を寄せる。
やっと彼女の表情をこの目で確かめることが出来る位置まで来ると、蛇崩はとても満足そうに笑みを浮かべていた。
珍しくまとめていないピンク色の髪の毛をひとふさ掴み、誠意の表れを表現するように、キスをする。

「まぁ、ワンちゃんにしては、頑張った方じゃないかしら」

そういって、彼女の細い手首が僕の首に回される。
ぐっと引き寄せられたかと思うと、ちゅっとリップ音を立てて、耳にキスをされた。

「買い物はいいのかい?」
「頑張ったワンちゃんのご褒美をあげないとね。飴も大切でしょ」

そう言って不敵に笑う蛇崩の唇にキスを一つ落とし、要望に応えた。



END



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補足:キスと場所の意味

髪:思慕
耳:誘惑
唇:愛情





モドル