あなたがいない時間
吹奏楽部の指導を終え、生徒会室へ足を運んだら、その日はいつもと違い、広い室内にガマ君しかいなかった。

「あら、ガマ君お一人?」
「蛇崩か。先ほど、皐月様も帰られたところだ」
「あら、残念」

そう言って、お気に入りのソファー前まで移動すると、上に置かれたぬいぐるみを1つ手に取り、抱えてから身を沈める。
上等なソファーのクッション部分は私の体重をほぼないものとし、軽く弾む程度だ。
どうせなら皐月ちゃんの顔を見たかったが、仕方がない。
何かと忙しい身の上だ。
また明日の総会時に会えるだろうと、軽く割り切る。

「おサルさんやイヌ君はどうしたのよ」

他の四天王メンバーの名前を口にすれば、ガマ君は書類に判を押す手を止め、彼らの自席に視線を送った。

「あぁ、猿投山は運動部の巡視に行っている。犬牟田は伊織のところに、解析したデータを届けに行っている。しばらくは戻ってこないと思うぞ」
「そう。雑音がしなくて、それはそれでいいんじゃないかしら」

自分から振っておいて、なんて反応だと思うものの、それが正直な感想なのだから仕方がない。
別に馴れ合いをする為に彼らといるわけではない。
皐月ちゃんの野望の為、集まったメンバーだ。
学校内での活動による協力関係はともかく、普段の行動まで連携する必要はない。
まぁ、当然皐月ちゃんの邪魔になるようなら別の話だが、普段についてはあまり口出しをするつもりはない。
ガマ君も異論が無いのか、再び書類に目を通し、作業を再開している。
少し手持ち無沙汰だと思いつつ、テーブルの上に置かれたポップキャンディーに手を伸ばす。
セロハンの包装をはがし、ミルキーピンクのキャンディーを口に運ぶ。
ちょっと甘ったるい苺ミルクの香りが口内に広がる。
ゆっくりと口の中でもてあそぶように舐めつつ、同じくテーブルの上に積んでいた楽譜を手に取った。

「ふむ。蛇崩、すまんが、俺も少し席を外すぞ。もし帰るならば、鍵を閉めてから帰宅してくれ」

楽譜のメロディーを脳内で再生し、指で軽く指揮をとっていると、ガマ君が大量の書類を持って脇に立っていた。
どうやら処理の済んだ書類を各部へ配りに行くのだろう。
真面目な彼のことだ、合わせて風紀委員の仕事として学内の見回りもするのかもしれない。

「気が向いたら、そうさせてもらうわ」

そう言って軽く手を振り、ガマ君が生徒会室を後にする背中を見送った。

誰もいなくなった室内で、ぐーっと背伸びをし、体をほぐす。
そして珍しく自分ひとりになった生徒会室を見渡した。
ここには普段の活動用に各自が持ち込んだ様々な物が存在している。
私の場合、このソファーとぬいぐるみたちがそうだ。
無機質な学校用の椅子では可愛くないと、お気に入りのソファーとコレクションのぬいぐるみをいくつか持ち込んだのだ。
ぬいぐるみは可愛いだけじゃなく、クッション代わりにもなり、優秀な子達だ。

皐月ちゃんが座る椅子もティーカップを置くテーブルも上等な一品だ。
彼女の品性を象徴するようで、例え彼女がいなくともそこは聖域だ。
他のものが触れるのさえ汚らわしいと思ってしまう。
ガマ君は書類整理が多いからか、広いテーブルと彼の巨体を受け止められる大きな椅子。
脳みそ筋肉馬鹿のおサルさんは、ここをジムと勘違いしているのか、トレーニンググッズを山積みにしている。
本当に何考えているのかしらと呆れてしまう。
そして本当に味気ないのがイヌ君だ。
彼の商売道具なのは分かるが、訳の分からない機械が並ぶ机は、人間味が感じられないというか、彼の人間味そのものというか表現するのが難しい。主のいない殺風景なテーブルを眺め、足でキャスター付きの椅子を軽くひと蹴りする。お行儀よく片付けられた椅子に、人が一人、入り込める程度にスペースが開く。

「まぁ、悪くはないわね」

勝手に椅子に腰掛け、テーブルに足をかける。
この椅子の主がいようものなら、君の事は一応女性だと思っていたのが、レディーがする態度とは思えないと非難の声があがりそうだと客観的に思う。
だが、今はいないのだから問題ないだろうと一人結論付ける。

これが彼の見ている世界なのかしらと、テーブルから足をおろし、くるりと椅子を1回転させる。
そしてふと気付く。イヌ君がいつも分析などで使う端末は持ち歩いているが、作業時に見づらいからと表示するのに使うディスプレイ。
実はそこに画像が表示されていないと、ほぼ後ろにある自分のソファーが映しだされることを。

「偶然かしら」

そう言えばと、ここのレイアウトを決めた時のことを思い出す。
サイズが大きいからと、私がソファーの場所を決めた後、イヌ君がここがいいと場所を決めた気がする。
そう考えると、この偶然と思われることも、彼の計算のうちという事になる。

「あぁ、もう。なんてこと」

イヌ君の椅子から降り、自分のソファーへと向かうと、ぬいぐるみに顔をうずめるように横になる。
彼と恋人という関係になったのは、ほんの少し前のことだ。
あの時の彼は、明日の天気を話すように、さらりと愛の言葉を言った。
だからこそ、彼の思いの重さなどさして気になどしていなかった。
まさかイヌ君がそんな前から自分の事を気にしていたとは思ってもいなかった。
彼のいない時間に、彼の心のうちを聞いたようで、妙に顔が熱い。

「次にどんな顔して会えばいいのよ」

誰に聞かれるでもなく呟いた言葉は、静かな生徒会室に、ゆっくりと消えていった。



END





モドル