ラクス・クライン。
その名は、プラントにいる者ならば、知らぬ者はいないと言うほどの知名度を持っていた。
澄んだ水のような透明感のある声。
ふわふわとして、花ようにかわいらしい容姿。
彼女がにっこりと微笑めば、その場が幸せの風に包まれる。
それがラクスの力でもあった。
それは遺伝子を操作して誕生したコーディネーターが持つ力というよりは、天性の才能といえよう。

そんな彼女が自分の婚約者。
それを聞いた時、アスランは自分の耳を疑った。
いくらプラントで婚姻制がひかれているとはいえ、14歳で結婚相手を決められるとは思ってもいなかったからだ。

実際に彼女と会った時の感想は、どこか掴み所の無い少女だった。
天然なのか、それとも純粋なのか、それすら悩むほどほわほわっとした性格。
そんな彼女がアスランは少し苦手だった。
と言っても、苦手という言葉は少し語弊があるだろう。
彼女が自分へと向けてくれている好意が、婚約者としてなのか、それともアスラン・ザラとしてなのか疑問だったのだ。
前者であれば、それは自分が婚約者でなくともよかったのではないかと思えてしまう。
しかし後者であれば、自分とラクスの関係がどうであれ、自分自身に向けられたものだと安心できる。
それが分からなかったから、アスランはラクスが苦手だったのだ。


そんな彼女とゆっくりとした"お付き合い"、正確には"お友達"として会いに行った時の事だった。いつもなら、自分が作ったハロをプレゼントに持っていくのだが、その日は趣向を換えて花束を持っていったのだ。
淡い色のレースペーパーで身を包み、白いサテンのリボンでまとめられた、ピンク色のスイートピーの花束。大して花に詳しくないアスランが、ラクスにぴったりだと思った花だった。
ふちがひらひらとしている様子は、ふんわりとしたラクスの雰囲気に合っていて、ラクスの髪に似たピンク色。それと店頭で見つけた時、どうしても贈りたいと思ったのだ。

アスランが差し出した花束を受け取ると、ラクスはそっと顔を近づけると花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
優しいその香りは春を象徴しているようで、自然と笑みがこぼれた。

「いつもありがとう御座います、アスラン。とても嬉しいですわ」
「いえ。喜んでいただけて、こちらとしても嬉しい限りです」

アスラン自身、ラクスが自分からのプレゼントを嬉しそうに受け取ってくれるのが嬉しかった。彼女が自分のした事に喜んでくれるのが。

「でもいつも私ばかりいただいていて、何か悪いですわね」

アスランがラクスを2度目に訪れた際、ピンク色のハロをプレゼントした。その次はネイビー色のハロ。そしてその次もハロだった。そして今回はスイートピーの花束。
いつもラクスはアスランからプレゼントを貰うばかりだった。
それはアスランがラクスの元を訪ねている以上、当然の事だった。

「そんな気にしないで下さい。俺が好きでしているんですから」

そういうアスランに、ラクスは少し納得いかないように"でも…"と言っている。
しかし実際、ラクスがアスランにプレゼント出来るものなど特にあるわけではない。
アスランのように元から用意をしていたわけではないのだから当然だ。
それでもラクスは諦められない様子で、少し黙り込んだ。
そして何か良い案が思いついたらしく、にっこりとアスランに笑って見せた。

「では、私からは歌を一曲プレゼントしますわ」

そう言って花束をオカピに渡すと、ラクスはアスランに向き直って軽く瞳を閉じた。
そして次の瞬間、澄んだ歌声が2人を包み込んだ。
アスランも、今までに何度もラクス・クラインの歌を聞いた事はあった。
それはモニターであったり、街中で流れていたり、様々な場所でだ。
でも今回のように、生でラクスの歌声を聞くのは初めてだった。
彼女の歌声を聞いていると不思議と心が癒される気がする。
きっとα波が大量に出ているのだろうと、アスランは頭の片隅で思っていた。

それからどれくらい経っただろうか。
ラクスの美しい歌声が終わりを告げた。
そして歌い終わったラクスが静かに言葉を続ける。

「あのですわね、アスラン。私、唄うことが大好きですの」
「えぇ、それは歌を唄うあなたの事を見ていればわかりますよ」

ラクスが唄う瞬間、彼女はとても穏やかな表情をしている。
歌が本当に愛しく、唄う事が大好きである事は少し鈍いアスランでさえ一目瞭然だった。
だからこそ、なぜいきなり彼女がそんな事を言い出したのか少し不思議でもあった。
そんなアスランの心情を知らないラクスは、更に言葉を続けた。

「音を発する事で"私"という存在が、その場にいる事を証明してくださるんですの。どんなに暗い闇に閉じ込められたとしても、音が響くのであれば、そこに私がいるという事になりますもの。ですから私は唄う事が好きなんです」

そう言って、目の前の少女は美しく笑った。
しかしその笑みが少し寂しげに見えたのは、自分の勘違いではないとアスランは思った。
だからアスランは意を決したように、ラクスの事を呼んだ。

「あのっ、ラクス」
「何です?アスラン」
「俺がラクスの名を呼ぶ事は、ラクスの存在を証明する事になりませんか?」

音で自分の存在を証明することになるのであれば、その音を別の者が発しても同じのはずである。それならば、自分がラクスの存在を証明したい。
なぜかアスランはそう強く思っていた。

「いいんですの?」
「えぇ。勿論、俺でよければの話ですが」

そう言うとラクスは突然、俺に抱きついてきた。

「アスランが私の名を呼んでくださるの、私は嬉しいですわ」

先ほどの少し寂しげに見えた笑みは消え、心からの美しい笑みがラクスの顔を彩っていた。それを確認すると、アスランはそっとラクスの事を抱き返した。





「アスラン、大丈夫ですか?」
「あぁ、ラクス。大丈夫ですよ」

アスランはそう答えると、彼女が差し出したコーヒーカップを受け取った。

あの幸せな時から3年が経過していた。
その間にナチュラルとコーディネーターは互いに傷つけあい、殺し合い、そしてその戦争は一時休戦となった、少し平和な時。
それでも第三勢力として動いていた彼らには、未だにやる事が多くある。
未だナチュラルの中にあるコーディネーターへの劣等感。それが肥大した組織"ブルーコスモス"。例え盟主であるアズラエルが死んだとしても、彼らの精神は未だ根強くナチュラルの世界に残っている。
それは"血のバレンタイン"で大切な人たちを失ったコーディネーターも同じ事と言えよう。
母を失った事での心の痛みは決して癒える事は無い。それでも両者が憎み合ってはいけないと思うようになったのは、キラやカガリ、そしてラクス達のお陰と言えよう。

中身が空になったコーヒーカップをラクスに渡し、アスランは再びデスクに向き直った。
デスクの上には数多くの資料と書類が散乱している。
これを全て片付けないと思うと、アスランは頭痛がしそうだった。

「あっ、ラクス」

思い出したように、部屋を出て行こうとしたラクスの名を呼ぶと、ラクスはくるりと振り向いて笑った。

「なんです?アスラン」
「いえ、ただ呼んだだけです」
「まぁ、子供みたいですわね」

そう言って可愛らしい笑みを浮べ、ラクスは静かに部屋を出て行った。





あの時はただ、目の前の少女を幸せにしたいと思った。
だけど今は…。
俺が彼女と幸せになりたいと思うようになった。
自分が彼女の名前を呼び、彼女の存在を証明するように、自分の名前を彼女が呼び、自分と言う存在を証明してもらいたい。
それが彼女と幸せになると言う事。
それに気付いた自分は、今日もこうして彼女の名前を呼ぶのだ。
他愛の無いことで、自分の名前を呼んでもらう為に。



END





モドル