長い影 |
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オレンジのような太陽が、西の空へと沈んでいく。 それはほんの僅かな時間だが、その儚さにも似た光景が結構好きだったりする。 いつもなリズムよく歩く足も、少しだけ緩め、その時間を楽しむ。 すると、隣で歩いていた跡部の歩調も少し緩まった。 そんな些細や事が少し嬉しくて、俺はさらにゆっくりと歩いた。 ふと脇にいる人物に視線を移す。 俺より10cm背の高い跡部はその背筋をぴんと伸ばし、何者も寄せ付けないオーラを漂わせている。 それなのに俺は跡部を肩を並べて歩いている。 一見矛盾しているけど、それは俺が跡部にとって特別だと言われているようで嬉しかった。 学年が違う。 通っている学校が違う。 育った環境が違う。 唯一の共通点はテニスが好きだという事。 ただそれだけなのに、こうして一緒にいられる事はかなり凄い事だと思う。 視線を跡部から目の前の地面に移すと、自分の影が目に付いた。 俺達が歩いている方向は東だから、太陽は自然と俺達の背にある。 昼間であればそんなに大きくない影も、この時ばかりはのっぽな木みたいにひょろりとしている。 俺が歩くたびに影も前進し、俺が止まれば影も止まる。 当然の事だけど、それが面白いとも思う。 「そう言えば昔、よく影送りやったな」 伸びる影を見ながら、ふと子供の頃の事を思い出した。 懐かしくてそう呟くように言うと、跡部が不思議そうな声を上げた。 「影送り?なんだ、それ」 「あれ、知らねぇの?自分の影を10秒間瞬きをせずに見つめてから空を見ると、自分の影が空に映るんだぜ」 小学生の時、国語の時間にならった話。 戦争に行く前に、影送りで家族全員の記念撮影をするという話だ。 今でも鮮明に覚えているのは、その話があまりにも悲しい話だった所為なのだろうか? 「あぁ、陰性残像の事か」 「陰性残像?」 聞きなれない言葉に復唱して聞き返せば、跡部は"そんな事も知らないのか"と呆れたように呟くと、説明を始めた。 「普通、色や明るさなんかは目から網膜、視神経、脳の順に信号が送られて認識できるんだ。だが、それが長時間同じものを見たりして、同じ信号が送り続けられると、その信号が弱くなったり正確に認識できなくなるんだ」 「へぇー。で?」 「その結果、黒だったら白の残像が残り、他の色ならその補色が見れるんだ」 跡部の分かりやすい解説に、思わず"なるほどな"と頷いてしまう。 何気なくやっていた事なのに、きちんと原理があるんだな。 「お前、そんな事も知らずにやってたのか?」 「仕方ないだろう。それ知ったのは小学生の時なんだからよう」 それにあの悲しい話を、ただ科学的に分析するなんて、なんか興ざめするだけだ。 まぁ、こいつだからなのかもしれないけど、跡部があの話を知らないのにはちょっと驚いた。 「昔さ、深司とよく学校帰りにやったんだ。だけど、どうしても俺、10秒間目を開けてられなくて、途中で瞬きしちゃうんだよな」 「お前らしいな。辛抱が足らないんだよ」 「悪かったな、辛抱強くなくてよ!」 そもそも瞬きとは目が乾かないようにするのだから、当然といえば当然じゃないか。 でも小学生だった俺は、それが物凄く悔しくて何度も挑戦したんだよな。 そして失敗するたびに、深司に呆れられたっけ。 だけど青い空に、自分の姿が映った時の感動が忘れられなくて、何度も何度もやったんだ。 ちょっと懐かしい子供の頃を思い出しているうちに、俺はどうしても影送りをしたくなった。 「なぁ、跡部。2人で影送りしねぇ?」 そう言って隣を歩く跡部に誘えば、跡部はあからさまに迷惑そうな顔をした。 やっぱり跡部にとっては、それはガキのする事なのだろう。 「こんな街中でやるつもりか?」 「そっか、ここじゃ邪魔になるよな。じゃあ、そこの角を曲がったところにある公園とか?」 この時間なら遊んでいる子供も少ないはずだし、日が落ちてきた所為でそんなに目立つ事はないと思う。 ダメもとでもう一度跡部に聞くと、跡部は"仕方ねぇな"と呟いて角を曲がった。 少し呆れられたけど、俺の意思を尊重してくれる跡部が嬉しくて、俺は緩めていた歩調を少し速めた。 思ったとおり、公園で遊んでいる子供の姿は殆ど無く、公園を照らす西日が寂しさを演出していた。 俺と跡部は公園の中ほどにある広場まで行くと歩みを止めた。 目の前に広がるのは茶色い地面と空。 それらを遮るものはなく、影送りをするにはベストポジションだと思った。 「じゃあ10数えたら顔上げろよ」 そう跡部に言うと"分かったから、早く数えろよ"と言う催促の言葉が返ってきた。 きっと跡部としては、さっさと俺の我が侭を終わらせたいのだろう。 そんなのはいつもの事だから、大して気にすることでも無いと、俺は自分のペースで数を数える事にした。 「いーち、にー、さーん…」 ゆっくりと声に出して数を数えていく。 俺は一生懸命瞬きをしないように、よく目を見開いた。 だがそれも限界があり、5を過ぎた辺りで目がしゅぱしゅぱしてきた。 「ろーく、しーち、は…あっー!」 「あぁ?なんだよ」 8を数えようとした時、俺は思わず声を上げていた。 跡部は迷惑そうに俺の事を見てきた。 「悪い。瞬きしちまった」 俺が声を上げた所為で、跡部も思わず瞬きをしてしまったらしく、小さく舌打ちをしたのが分かった。もともと乗り気じゃなかった跡部の事だから、このまま"帰るぞ"とか言い出すんじゃないかと心配していたら、跡部は俺の事をちらっと見ると、俺が予想もしていなかった言葉を言った。 「おい、もう一度やるぞ」 「へっ?」 思わず口をついた言葉に、跡部の眉間にしわがよった。 「聞こえなかったのか?もう一度、最初からやるぞって言ったんだぞ」 "ほうけてないで、数数えろよ"と言って、跡部は俺のおでこにデコピンを食らわせた。 しかも本気でやったらしく、かなり痛かった。 「いってぇ…。もうちっと手加減しろよな」 「てめぇが、人の話を聞いていないのが悪い」 全く反省の色が見えない跡部に、俺は不満を言いつつも、結局は俺の我が侭に付き合ってくれてる事が嬉しくて、跡部にばれないようにこっそりと笑った。 「よし!じゃあもう一度数えるぜ!」 「わかったらから、早くしろ」 再び跡部に促されて、先ほど同様に、ゆっくりと数を数えだす。 「いーち、にー、さーん…」 今度は瞬きをして失敗しないように、じっと自分の影を見つめつつ目を見開く。 まるで自分が影に吸い込まれていくような錯覚を感じたが、それでも瞬きだけはしないように注意をはらう。 「はーち、きゅう、じゅう!!」 ばっと顔を上げて茜色に染まった空を見上げると、ぼーっとだが白い自分達の影が空に映し出されて。 久しぶりにやったけど、昔みたいになんだか嬉しくて、俺は隣に立つ跡部に話しかけた。 「跡部、見れたか!?」 「あぁ」 興奮冷めやらぬ俺に対して、跡部は相槌を打つだけの返事だったが、跡部も空に見入っているらしく、動く気配は無かった。 空に映る白い影に、俺達はしばらく見入っていた。 そして今日という日が俺の心に強く残るように、俺は金色の空に映る白い俺達の姿をこの目に焼き付けた。 |
END |