ワインとケーキ |
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日も暮れ、店内の片づけも済んだ夕刻時。 今日は朝から女の子たちが代わる代わるやってきて、とても良い時間を過ごせたと思う。 何人かは先日のお礼にと、手土産を持ってきてくれて、報告だけでよかったのにと思いつつも、これも一つの気持ちだろうと快く受け取った。 それに比例して、仕事的にも忙しかったのだが、明日はお店も休みの為、気分的にはとても充実している。 自分へのご褒美として、今日は家でお酒を飲もうかなと脳内で段取りをし、冷蔵庫内を覗き込む。 以前はお酒のつまみになるものが殆どだったが、桃タロー君が住み込むようになり、食材は随分と増えたと思う。 合わせて、お新香や煮物とかの常備食が、必ず一つは冷蔵庫に入っている。 これはお店が忙しい時にも、さっさと食べれて重宝している。 今日も桃タロー君が作り置きしてくれた大根とホタルイカの煮物があり、これをつまみにしようと手を伸ばす。 そういえば、ふき味噌もあるから、あれもちびちび食べよう。 春の時期にしか食べられない旬のものだ。 それをつまみに出来るなんて、贅沢なことだと思う。 そんな事を思っていると、裏の倉庫兼自室から桃タロー君が出てきた。 「白澤様、じゃあ俺、出かけてきますね」 「いってらっしゃい」 今日はシロちゃん達に誘われ、飲み会なのだという桃タロー君に手を振り、送り出す。 昼間と打って変わり、静かになった店内で、たまにはこういう日も悪くないと近くにあった椅子に座る。 「あと一品、何か作ろうかな」 割と味の濃いものが並んでいるから、少しさっぱりしたものが食べたいなと思い、ある食材で出来る献立を考える。 他に人がいれば、それなりに手をかけるのだが、一人だとどうもそういう気が起きにくい。 どうしようかと悩んでいると、店先でガタガタと物音がするのに気づく。 桃タロー君が忘れものでもしたかなと思い、戸を開けようと手を伸ばした時だった。 ガタリっと、大きな音を立て、戸が僕めがけて倒れてくるではないか。 突然の事に、当然ながら対応できなかった僕は、巻き込まれる形で戸の下敷きになる。 目を白黒させ、何が起きたのか考えようとするが、追い打ちをかけられるように、上から圧がかけられる。 「おや、白豚がいませんね」 涼しい顔してそう言い放つのは、黒い着物に身をまとった地獄の鬼で、戸を踏む足に更に力を入れてくる。 僕が挟まれているのをわかっていてやるあたり、これが本当の確信犯と言うやつだろう。 マンガみたいにぺしゃんこになる事はないが、ずっとこうしているわけにもいかず、床を叩いて抗議の声を上げる。 「おい、朴念仁。人の事を足ふきマットみたいに扱っておいて、しらばっくれるな」 「おや、そんなところにいましたか」 「あぁ、いたさ。っうか、さっさとどけ。わざわざ戸を壊して入ってくるな」 やっとこさ僕の上、もとい戸の上からどいた文字通り鬼を睨みつける。 毎日掃除しているとはいえ、床と戸に挟まれた身体の埃を払う。 なんでこうも、タイミングが悪いのだろうか。 きっとこうなる事も計算のうちでやっているんだろうが、出来れば今日は会いたくなかった。 どういったわけだか、僕はこの通り魔的に暴力を振るうこの鬼に恋をしている。 それも随分と長い片想いだ。 一度は想いを告げようとあれこれ頑張ってみたのだが、あまりにも実る気配がなく、諦めた。 そうは言っても、想いを昇華することも出来ず、開き直って片思いを続けているのだが、たまに期待したくなる。 今日はそういう日だ。 だからこそ、会えるのは嬉しいが、会いたくなかったというのが本音だったりする。 「お前はもう少し静かに入ってこい。で、こんな時間になんだよ」 いくら僕に手を出すのが習慣のように身についていたとしても、わざわざこの時間に桃源郷までやってくるのだから、何かすら用事があっての事だろう。 気持ちを切り替えて問えば、"失礼します"と言って、手にしていた風呂敷包みをテーブルの上に置いた。 シルエットを見るに、瓶が包まっているものと、長方形の箱のようだ。 「先日のお礼です」 「先日って?」 「さすが爺。耄碌してますね。先月、来賓用に中国茶を分けてもらったじゃないですか」 その言葉に、ひと月前の事を思い出す。 中華天国まで足を延ばす日程が取れなかったから、おもてなしとして工芸茶を出したいと言われたのだった。 見た目にも鮮やかなジャスミン茶を少し譲ったのだが、それよりもホットショコラを出したことの方が印象に残っており、言われるまで忘れていても仕方のない事だろう。 「私も失念していましたが、代金を払っていなかったですよね」 「あぁ、あれは売り物じゃないからな。僕のコレクションっていうか、お店に来た娘とかに出す用だから良いよ」 漢方と同じく、お茶にも色々な効果がある。 特に中国のお茶は基本の緑茶、烏龍茶に代表される青茶、紅茶、プーアルなどの黒茶、日本では珍しい白茶や黄茶の六大分類の他に花茶もあり、種類も多い。 女の子達には、漢方の面から花茶を勧める事も多く、それゆえにストックは欠かせない。 女性特有の症状には、手軽に取れてお勧めだからと、花茶を求める子もいるが、今回のはそれとは違う。 お湯の中で花開くのが美しく、目にも楽しめる工芸茶はゲストに振る舞うように準備したお茶だ。 あくまでもおもてなし用の物だから、お金を取るわけにはいかない。 まぁ、お茶としてはそこそこ値もするものだが、ホストがもてなすために出すお茶に、お金を取ろうという者はいないだろう。 代金の受け取りを辞退すると、意外にもすんなりと頷き返し、心得たという顔で、テーブルの上に置かれた荷を前に出された。 「そう言われると思っていました。ですが、こちらは受け取ってください」 差し出された荷に手を伸ばす。 一枚の布で立体の物を包めるのは、手先が器用な日本人らしい発想だと思う。 バック代わりにもなるし、贈答用の包みとして使う事も出来る便利な品だ。 現代では、昔の泥棒が使うイメージと言えば、思い浮かべやすい緑地に唐草模様の入った王道の風呂敷包みを解くと、小柄なボトルが出てきた。 「先方が、あの工芸茶をいたくお気に召したようで、お礼にとこちらが届きました」 「ワイン?」 「ポートワインだそうです。先方お勧めの一品だそうです」 「そっか。それならこっちは受け取るよ。謝謝」 ここで、このワインまで断ってしまったら、相手の気持ちを踏みにじるみたいで忍びない。 現金だったら、さすがに断るけど、物である以上、プレゼントとして受け取っておくほうがスマートだと思う。 それにお酒を貰うのは、純粋に嬉しい。 せっかくだから、このまま今晩飲むのもいいだろう。 テーブルの上に並べたつまみをみて、少し趣向が違う気がするから、あと一品作ろうと思っていたものを、ワインにあう品にしても良い。 そんな事を思っていると、まだ何かあるのか、じっとこちらを見ている事に気づく。 手にしていたワインのボトルをテーブルに置き、向き直る。 正面からじっと相手の事を見るのは少し珍しく、少しだけ緊張する。 平常心、平常心と心の中で、自分へ言い聞かせる。 人の気も知らない目の前の鬼は、涼しい顔をしていて、惚れた弱みとはいえ、なんとなく悔しくと思ってしまう。 「それで、これは私からのお礼です」 そういって出されたのは長方形の箱。 ふたを開けると、中にはこんがりとした焼き目が綺麗なケーキが鎮座していた。 「残念だけど、僕、甘いものは好きじゃないんだけど」 「えぇ、知ってます。ですが、これはケークサレなので、大丈夫だと思いますよ」 確か、フランスの塩ケーキだったろうか。 少し前にブームがあったらしく、花街で女の子たちが話していたのを聞いたことがある。 日本的に言うとお総菜パンみたいなケーキで、食事の代わりやお酒のおつまみにも良いはずだ。 「ふぅん。でもこれだと貰いすぎだろ。お茶のお礼なら、この酒だけで十分だよ」 「貴方に借りを作るのが嫌なんですよ。どうしてもと言うなら、先日いただいたホットショコラのお礼ということにしておいて下さい」 思いがけない言葉に、一瞬、思考が持っていかれる。 この発言に、他意が無いのはわかっている。 だが、バレンタインの意味を持って出したホットショコラのお礼ということは、バレンタインのお礼とも受け取れなくはないと思う。 何の因果か、今日はホワイトデーと呼ばれる日なだけに、妙に意識をしてしまう。 出来るだけ変に思われないように、大したことないという風を装い、手を伸ばす。 「じゃあ、こっちも貰っとく」 「えぇ。では、私はこれで失礼します」 あっさりと帰ってしまおうとする鬼に、急いで着物のたもとに手を伸ばす。 怪訝な顔をして振り向く鬼灯に、内心しまったと思うが、引き留めた以上仕方がない。 ここは開き直るしかないと心に決める。 「なんです、いきなり」 「このあと暇か」 「暇と言えば暇ですけど。いきなり、なんですか」 「ちょっと付き合えよ。お酒と一緒に食べても、さすがに僕一人じゃ余る。今日は桃タロー君もいないんだ」 引き留めるという行為に、もっともらしい理由をつける。 実際、貰ったケークサレは一人で食べるには多すぎるのは事実だ。 僕は小食の方だし、こういうのは、あまり長く日持ちするわけではない。 バターケーキそのものはリキュールとかの影響で日持ちするのだが、ケークサレの場合、一緒に焼きこんでいる具があるので、早く食べた方がいいと思う。 僕の提案に、しばらく思案したかと思うと、結論が出たのか、ぽつりと告げられる。 「養老の瀧の酒が飲めるのなら、いいですよ」 「飲んでもいいけど、自分で汲んで来いよ。お前、かなり飲むだろ」 「それ位はいいですけど。あと私、しっかり食事もとりますよ」 「分かった。準備、少しは手伝えよ」 「えぇ」 苦し紛れと思った提案だったが、意外と悪くはなかったらしい。 色よい返事に気分を良くし、再度、冷蔵庫の中を覗き込む。 先ほどまでの適当な気分はどこかへ消し飛び、何を作ったら喜ぶだろうと手持ちのレシピで思案する。 いくら実らないとわかっていても、やはりこの気持ちはしまっておけないらしい。 現金なものだと思いつつ、どうせなら満足してもらいたいと思うのも本心なのだから仕方がない。 アイツの胃袋をがっちり掴むべく、僕は野菜に手を伸ばした。 |
END |