ホットココアとホットショコラ |
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それは麗らかな午後の事だった。 店内でご要望の漢方薬を受け取り、甘くて温かい飲み物でぽかぽかになったご新規の娘が、手にしていたカップを置いた。 「今日はご馳走様でした。美味しかったです」 「謝謝。また、来てね~」 先ほどまで腰かけていた椅子を、きちんと元の位置に戻し、女性らしい柔らかなお辞儀をする姿に、やっぱり女の子って可愛いなと思う。 ひらひらと手を振って送り出しながら、彼女の背中が来た時よりもシャキッとしている気がし、心の中で"頑張っておいで"と投げかける。 くるりと店内に向きなおせば、桃タロー君が彼女に出していたカップを下げる準備をしていた。 「今日は朝から、随分と女性のお客さんが多いですね」 「うん。そうなるように、方々で宣伝しておいたからね」 「はぁ?」 僕の答えに、桃タロー君は"何言ってんの?"って顔をした。 そこまで露骨に顔に出されると、僕ってそんなに信用がないのかなと悲しくなる。 でも、まぁ女の子が一杯来てくれるのは嬉しいから、小さなことは気にしない。 「今年は恋する女の子を応援したい気分なんだよね」 僕は長い間、叶う事のない片想いをしている。 一応、僕なりに色々努力したが、その甲斐もない事を悟った。 その結果、少し前に開き直ることを決めた。 永遠とも言える僕の一生を、この恋心と添い遂げる事にしたのだ。 残念ながら、相手に伝えることも出来ないし、実らせることも出来ない。 ましてや、自分から終わらせるために、気持ちを捨てることも出来ない。 でも皆には何か変化をもたらしてあげたいと思う。 代理行為じゃないけど、やっぱり女の子達には笑っていてほしい。 もし泣くような事があったら、僕が話を聞いて、痛みを分かち合ってあげたい。 そんな思いから、2月に入ってから営業する先々で、バレンタインデーにうちのお店に来ると、良い事があるよって言ってまわった。 「それが、あのココアなんですか?」 「うん、そう」 普段は漢方薬の香りに満たされている店内だけど、今日はちょっと違う。 時間がある子には、ホットココアか、ミルクココアをいれてあげてるのだ。 おかげで、甘い香りが残っている。 ちなみに時間がない子には、あとでゆっくり飲めるようにお持ち帰りしてもらっている。 「カカオの成分には、惚れ薬の効果があるって昔から言われてるでしょ。やっぱりバレンタインデーに必要なのって、ちょっとした後押しだと思うんだよね」 だからちょっとしたおまじないみたいなもの。 実際に、成分を分析したりすると、そうでもないみたいだけど、甘いものを摂取すると体が幸福だと感じるのは本当らしい。 「だから桃タロー君も、お客さんが来たら、好みを聞いて出してあげてね。裏に、一杯準備してあるからさ」 「はぁ、分かりました」 少し呆れ顔になりつつも、その後、来てくれた娘達に温かいココアをいれてくれる姿を見て、本当に良い弟子が取れたものだと思う。 やっとひと段落したのは、夕方の一歩手前の頃だった。 「白澤様、俺、仙桃の畑見てきても良いですか」 「うん、ここまで来たら、大丈夫だよ。よろしくね、桃タロー君」 桃タロー君を見送り、自分も一息つこうと椅子に腰を下ろす。 テーブルの上にある生薬を整理しようと、箱を引き寄せる。 静かになった店内では、従業員である兎たちが、各々の仕事をこなしている。 本当に良い子たちだなと思っていると、近くにいた子が、ぴくぴくと耳を動かしている事に気づく。 どうやら、新たな来客のようだ。 立ち上がって出迎えようと思ったところ、ガタンっという音と共に、引戸のはずの扉が店内に倒れてきた。 「ご機嫌いかがー」 「げっ、お前かよ」 僕の記憶では、今日、コイツが受け取る商品はなかったはずだ。 ちょうど前後しそうな仕事は、先に終わらせて、事前に桃タロー君に納品を頼んで、調整していたんだから当然と言えば当然なのだが。 それなのに、わざわざこうやって来るなんて、最近、運があるのか、ないのかよくわからない。 はぁ、とため息をつき、広げていた生薬をまとめる。 店内に入ってくると、一度立ち止まり、周囲を見渡した。 「随分と甘い香りがしますね」 「あぁ、今日はちょっとしたイベントをしてたからね」 「また貴方の事ですから、性懲りもなく女性関係ですか」 「性懲りもなくってなんだよ」 実際、女性関係である事には違いない。 しかし、こいつが考えているような事は一切ないわけで、本当に僕の信用って低いのだなと、桃タロー君の時とは違い、少しだけ傷つく。 「で、今日は何しに来たんだよ」 「来週、来賓がいらっしゃるので、工芸茶を分けてもらいたいんですよ。どうやら、中華天国も行きたかったようなのですが、予定が合わなかったそうで」 「それで中国茶ってわけ?」 「えぇ。癪ですが、貴方が持っているお茶は美味しいですからね。だから、さっさと寄こせ」 「それが物を頼む態度かよ」 いつも通り悪態をつくものの、こうやって頼られることは、素直に嬉しく思う。 ストックの工芸茶を眺め、どのやつなら、喜んでくれるかなと考える。 王道の千日紅もいいが、どうせなら華やかなものがいいだろう。 ジャスミンの花がアーチに開く工芸茶を譲ることに決め、袋に詰める。 「5つ入れておくから、残ったらお土産に持って帰ってもらうといいよ」 「ありがとうございます」 目的を済ましたら、そのまま帰るのかと思ったのだが、目の前の鬼は勝手に椅子に腰かけ、近くにいた子をモフリ続けている。 「時間、あるの」 「えぇ、まぁ、あると言えばありますね」 「じゃあ、少し待ってろ」 追い出しにかからなかった事が珍しかったのか、明日は雪ですか?と嫌味を言われたが、それには反応せずに裏に下がる。 そして今日、大活躍しているミルクパンに牛乳を入れて、温める。 ココアを入れようと手を伸ばしたところで、ふと思いついて戸棚から、目的の物を探し出す。 そしてそれを加え、ミルクを沸騰しないように気を付けつつ温め、カップへ注ぎお店へと戻る。 「ほらよ」 コトリと音を立て、テーブルに置いたカップを一瞥し、はて?と首を傾げる。 いつも思うが、なぜ能面みたいに表情が変わらないコイツのこの仕草を可愛いと思ってしまうのだろうか。 自分の感性に疑問を抱きつつ、表面上は何でもないという顔で、"なんだよ"と言葉をかける。 「毒見役ですか」 「失礼だな。そもそも毒なんて入ってないし」 きちんと否定をするが、僕が素直にこいつに飲み物を出すのが意外らしく、疑惑のまなざしをうける。 「どういった風の吹き回しですか。素直に言えば、フルスイング3回で手を打ちますけど」 「なんで、何かあるのが前提なんだよ。今日はお店に来てくれた子にはサービスしてんの。お前にあげるのは癪だけどな」 だから、変な意図はないよと添えると、やっと納得したのか、カップに手を伸ばした。 ミルクで溶かしたチョコレート色は、とても柔らかく良い香りがする。 本当は甘いものが苦手な僕は、正直この香りだけでもお腹が一杯になりそうだ。 だが、目の前の鬼は甘い飲み物を、コクコクと飲み続け、あっという間にカップを空にした。 本当は女の子達みたいに、素直にチョコレートに気持ちを添えて伝えられればいいのだが、そんなことは端から諦めている。 間が持たないなぁと思っていると、タイミングよく桃タロー君が戻ってきた。 「ただいま戻りました」 「お帰り、桃タロー君」 「お疲れ様です」 「鬼灯さん、いらしてたんですね」 「えぇ。用も済んだので、帰るところです」 そういって、包んだお茶を片手に席を立った。 そのまま戸口まで歩いていたが、店を出る所で顔だけくるりとこちらを向いた。 「ホットショコラ、ご馳走様でした。甘かったですけど、美味しかったですよ」 「あっ、謝謝」 思いがけず言われた言葉に、一瞬反応が遅れたが、何とか言葉を返すと、そのまま鬼灯は帰って行った。 鬼灯の言葉に、違和感を感じたのか、桃タロー君は空になったカップを覗き、首を傾げている。 「あれ、白澤様、ココア切れてたんですか」 「えっ、あっ、うん。売れ行き良くてさ。ホント、タイミング悪いよね、あの闇鬼神もさ」 とっさに、桃タロー君の問いを肯定し、小さな嘘をつく。 彼に見つからないように、こっそりココアを隠しておこう。 そう思いながら、空になったマグカップを裏へと運ぶ。 テーブルの上には、ココアパウダーと砂糖、そして鬼灯のホットショコラに使ったチョコレートが並んでいた。 たまに疲れた時に口にするように、買っておいたやつだ。 残った茶色い塊を口に運んだら、チョコレートの甘さとカカオの苦みがほんのり口の中に広がった。 チョコレートの味は、恋に似ている。 甘くて、苦くて、至福の時を与えてくれる魔法だ。 バレンタインだから、今日くらいはいいよねと、勝手な言い訳を並べる。 さて、また1年片想いを続けよう。 誰に告げるでもなく、そう心の中で宣言し、使い終わったカップやミルクパンに手を伸ばした。 |
END |