悲しいこと
いつものように童話の歌を口ずさみつつ、食堂に来ていた不喜処地獄勤務のシロは、部屋の端で昼食を取りつつ何かを読んでいる鬼灯を見つけた。

「鬼灯様、何読んでるの?」

くるりと丸まったしっぽを、パタパタを振りつつ、シロは鬼灯に近寄ると、鬼灯は手にしていた紙を置き、シロへ"昼食ですか"と問いかける。
今日は少し食べすぎたから、休憩もかねて水分だけ取りに来たのだというシロは、鬼灯の了承を取り、目の前に座り込んだ。
そしてテーブルの上に置かれた紙を前足でつつき、質問の答えを促す。

「あぁ、これですか。福澤心訓ですよ。福澤諭吉心訓七則とも言ったりしますかね」
「福澤諭吉って、あのお札の人?」

有名な日本円札を思い浮かべているのか、瞳に円マークを浮かべている。,
そういえば以前、花咲か爺さんの歌の時も同じような顔をしていたなと、鬼灯は心の中で思い出しつつ、話を続ける。

「えぇ、そうです。以前は作者も彼だと思われていたようですね」
「以前はって、今は違うの?」
「えぇ。作成時期も、作者も不明と言われています」
「えぇー、なんかややこしいな」

なんで、タイトルと作者が一致してないの?とシロがブーブー文句を言う。
鬼灯が説明をしようと思ったところ、別の者が口を挟んできた。

「これって、ラストが何よりも皮肉だよね」

突然、普段はこの場にいない者の声が聞こえ、鬼灯の眉間にしわがよる。
相棒の金棒に手を伸ばし、メンチ切りをかます。

「なんで、貴方がここにいるんですか。ここは養豚場じゃないんですよ」
「僕を豚扱いするな。納品だよ、納品」

これ見よがしにひらひらと漢方薬が入った袋を振り、アピールをする。
そのしぐさに、鬼灯の盛大な舌打ちが返されたが、白澤は意に介さず、へらりと笑いながら、納品物をテーブルに並べていく。
そう言えば、昨日、納期を前倒ししたうえ、納品まで頼んでいたことを思い出す。
大王に聞いたら、ここにいると言われたからと言われれば、さすがに無下にすることはできない。
この場は一時休戦と、鬼灯は手をかけていた金棒を下ろし、机に並べられていく袋をチェックする。

「白澤さん、さっきの皮肉ってどういう事?」

袋を並べ終えた白澤に、シロが首を傾げ問いかける。
急にかけられた問いかけに、一瞬、首をかしげる。

「うん?あぁ、福澤心訓のことかな」
「そう、それ!」

既にシロの頭から、"福澤心訓"という名前は抜けているらしい。
それでも白澤の言葉が気がかりだったのか、気分屋のシロにしては、珍しく興味をひくことだったらしい。
それがわかったからか、白澤は教鞭をとる教師のように、コホンッと咳をし、シロへ向き直る。
さすが知識の神様というべきか、物事を人に伝えることは好き性分なのだろう。

「あの心訓には、7つのことが書いてあるんだ。楽しくて立派な事、みじめな事、さびしい事、みにくい事、尊い事、美しい事、悲しい事だね」

例えば、楽しくて立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事で、みにくい事は、他人の生活をうらやむ事だったりするのだと、言葉を付け加える。

「それで、最後の1つが世の中で一番悲しいことについて書いてあるんだけど、シロ君なんだと思う」
「悲しいこと?ごはんが食べられないとか、桃太郎に会えないとか、鬼灯様に遊んでもらえない事とかかな」

それがなくなったら悲しいと、しょんぼりした顔で答えるシロを、白澤はもふもふと撫でまわす。

「うん、それは悲しいよね。でもこの心訓は、あくまでも教訓だから、そういう感情ではないんだよ」
「つまり人として、どういう行いをすることが、悲しいことかと言っています。道徳や倫理の方が近いかもしれませんね。話がそれましたが、この心訓のなかでは、それは"嘘をつくこと"だとされています」

検品を終えた鬼灯が、白澤の言葉に補足し、そのままシロの代わり答えを言う。

「嘘?地獄に落とされるから?」
「深くは解説されていませんが、己を偽ることは自分自身を否定することではないかと、私は解釈しています」
「100%ねつ造と言うわけではなくて、福沢諭吉の元ネタはあるんだけどね。それでもこの作者はタイトルに福澤諭吉の名前を使い、己を偽っているのが、皮肉だよねって話なんだよ」

世の中で一番悲しい事は、嘘をつく事だと言っておきながら、この書の名前こそ偽りなんだからさ。
そう言う白澤の顔には、これだから人間って面白いよねと言うように笑みを浮かべている。

「ふーん。なんか、難しいね」

いまいちピンと来ないのか、納得したいような納得しきれないような顔で困り顔をしている。
それに気づいた白澤は、心訓の1つを引用し、話をそらす。

「シロ君は、今、獄卒の職についているから、一番楽しくて立派なことをクリアしてるってことだね」
「うん!オレ、仕事楽しいよ!」

それならよかったとニッコリ笑って再度、シロの頭を撫でる。
弟子の桃太郎とよく一緒にいるからか、白澤がシロを撫でる手つきは、彼に似ている気がする。
女性に触れる時とは違い、少し力強く、しかし優しい触り方だ。
気持ちいいのか、シロはしっぽをブンブンと振り、喜んでいる。

「貴方はやっぱり神様なんですね」
「えっ?」

ぼそりと呟かれた言葉に、白澤は反応を示すが、うまく言葉を拾うことは出来なかったのだろう。
口にするつもりがなかった鬼灯は内心、しまったと思ったが、いつもの無表情で、表には出ていないはずだ。
だからこそ、下手に取り繕うのではなく、いつもと変わらない態度で言葉を返す。

「いえ、やっぱり貴方の事が大嫌いだと言っただけです」
「あぁ、そうかよ!僕だって、お前なんて大嫌いだからせいせいするね。サイン済んだんなら、さっさと寄こせ」

書類を受け取ると、支払い期日守れよ!と言い残し、白澤は怒りながら歩いていく。
その後姿を眺め、鬼灯は心の中で思う。
どんなに煩悩に従順で救いようのないバカでも、白澤はやはり神獣といわれるように、神なのだと。

福澤心訓の一説に、「世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です」というものがある。
この一文を読んだ時、鬼灯は白澤を思った。
鬼灯は、普段は決して白澤のことを特別扱いしない。
それをしてしまったら、きっと己の恋情など一生叶わないと、本人から告げられた気分になる事がわかっているからだ。

きっと白澤は自覚などないのだろう。
全てを慈しみ、愛情を注ぐことに疑問など持ったことなどないはずだ。
本人的には女の子が好きと言いつつ、男と差別化しているようだが、他人から見ればそれは女への扱いが優しすぎるだけで、男への扱いも決してぞんざいではないのだ。

そんな相手に、ただ一人の相手になることを望むなど、独りよがりもいいところだろう。
だからこそ、鬼灯は白澤の事が嫌いだと言い続けている。
自分だけのものにならないのなら、嫌って欲しいと願いながら。
手に入らずとも、せめてもの唯一になりたいなど、子供の駄々のようなものなのかもしれないと自覚はある。
それでも願わずにはいられないのだ。

「自ら嘘をつくのことを望んだ場合、誰がそれを評価するんですかね」

決して、誰かの答えが聞きたかったわけではない。
だが、言わずにはおれず、鬼灯は一人心の内を呟き、自称気味に笑った。



END





モドル