永遠と言う名の地獄
いつもは一人で来る衆合地獄での出張営業に、その日は桃タロー君も同行していた。
普段はお店の番や、彼ひとりでも調合できる薬を作ってもらったりするのだが、外での仕事にも慣れてもらおうと連れてきたのだ。
出張して営業するのは、獄卒の仕事で忙しい女の子達の為という建前のもと、仕事で堂々と女の子達と話したいと言うのが本音だ。
実際、需要はかなりあって、評判も良い。
野干の女の子達と話していると、視界の端に鬼灯が映りこんできた。
何やら、桃タロー君と話をしているが、どうやら自分に用があるみたいだ。
分かってはいたものの、そのまま無視を決め込んでいたら、団子が刺さっていた串でが頭を直撃した。
激しい痛みに、女の子達と会話中だったと言うのに、思わずうずくまる。
っうか、わざわざ僕に投げるために、お団子食べだすとか、どんな思考回路してるんだよ、この鬼は。
恨めしく睨みつけても、当の本人は涼しい顔をしている。

「では、頼みましたよ」
「ちょっと待て、鬼。他に言う台詞があるだろ!」

何か言い返されると思ったが、凄味のある睨みを利かせ、そのままスタスタと歩き去っていく鬼の姿に、少しだけ違和感を感じた。

「なんだよ、アイツ。感じ悪いな。開口一番ならまだしも、いきなり暴力で挨拶はないだろ」
「いえ、鬼灯さんは口を開きかけてましたよ。それなのに白澤様が女性との会話に夢中になっていたのが原因です」
「桃タロー君まで、アイツの味方するの!」
「今回は白澤様が悪いです」

ぴしゃりと告げる弟子に、僕は立つ瀬もない。
僕は観念し、大きくため息をつく。
話が途中だった娘達に、また来週来るから、次回も来てねと、手荒れによく聞く軟膏をプレゼントすると、彼女たちは嬉しそうに帰って行った。
隣でぽかんとする桃タロー君に、作業を促す。

「ほら、帰るよ桃タロー君。今日は店じまいだ」
「えっ、もう帰るんですか」
「アイツに言われた薬、さっさと作らないと。重要度が高めだからね、今から作った方が良い」
「なんだ、会話聞こえてたんじゃないんですか」

飽きれたように言う弟子に、アイツの言葉なら聞き逃すはずがないと言い返しそうになり、ぐっと言葉を飲み込む。
その言葉の根源にある感情を伝えようものなら、いくら桃タロー君でも腰を抜かすだろう。

顔を合わせれば、言い合いばかりの僕達だが、その一方で、ずっとくすぶっている感情があるのを僕は知っていた。
そしてこの感情を恋だと自覚したのは、今から500年ほど前の事だ。
正直、初めは戸惑った。
女の子が大好きな僕が、よりにもよって敵対視していた相手、しかも男を好いているなど、誰が認められるだろうか。
僕と鬼灯の関係は極端だった。
陰と陽の様に真逆にあり、水と油にも近しい。
似ているけど、交わらないもの。
それが僕達の関係だった。

最初の百年は、どうにか関係を変えるありとあらゆる術を考えて過ぎた。
次の百年で、どうにか関係を変えるべくありとあらゆる行動を起こした。
その次の百年で、手持ちの術も全て費やした結果、どうにもならない事を悟った。
そして次の百年で、打開策を考えたが、どれも似たり寄ったりで、どうにかするのを諦めた。
諦めて百年たったが、思いを捨てたわけではない。
恋を成就することを諦めた僕は、結果、開き直る事にした。
つまり、長い人生を永遠の片想いと共に生きることを決めたのだ。
なぜそう決めたかと言うと、片思いだろうと両思いだろうと、相手を想い苦しくなることは同じだと気付いたからだ。
互いの想いが通じ合おうとも、自分の意に沿わない事で、苦しくなる事はある。
それならこの感情を生かしたまま、喧嘩ばかりの関係を楽しもうと決めたのだ。



アイツに頼まれた薬を作り終えると、日は沈み周囲はすっかり暗くなっていた。
ずっと同じ姿勢で作業をしていた為、固まっていた体をほぐすよう肩や首を回す。
最後に背伸びをして、裏のキッチンへと引っ込む。
簡単にお茶だけ用意すると、店先で作業をしている桃タロー君の脇へ戻る。

「お疲れ様、桃タロー君」

出来たての薬を袋にまとめている桃タロー君に、温かいお茶を差し出すと、ありがとうございますと言葉が返ってきた。
どんな時であれ、感謝の言葉を聞くのは嬉しい。

アイツに頼まれた薬は緊急性を要するものだったが、まだ少しだけ在庫があると言っていた。
だから明日の朝一番に届けても十分間に合うだろう。
出来上がった商品を検品し、桃タロー君へ明日の納品の準備を頼む。
出されたままの生薬などを片付け、従業員の兎さん達を軽く撫ぜ、労を労う。
そう言えば、最近アイツも兎を撫でに来ないなと思い出した。
昼の様子から、かなり忙しいのだろう。
まぁ、鬼が忙しかろうが特に支障はないのだが、昼間の違和感の原因を考え、明日の納品時には、滋養強壮に聞く漢方もオマケしてやろうと結論付ける。
そして白衣を脱ぎながら、桃タロー君へ言葉をかける。

「僕、これから出かけてくるから、戸締りよろしくね」
「また衆合地獄ですか。ほどほどにしてくださいよ」

きちんと仕事を終えたからか、桃タロー君もあまり強くは言わない。
今日の仕事はそれだけの成果があると言えるだろう。

「わかってるって。じゃあ、行ってくるね」

ひらひらと手を振り、空の酒瓶を片手に極楽満月を出る。
途中、私有地内の養老の滝に立ち寄り、手にしていた酒瓶に清酒を満たす。
桃タロー君は衆合地獄へ行くのだろうと言っていたが、実は違う。
今日は自分のとっておきの場所へ向かうつもりだったのだ。
仙桃が実った木々の合間をぬい、桃源郷の奥へと進む。
この辺りは用がないと、中々足を伸ばさない場所の為、多分、桃タロー君も知らないだろう。
一歩足を進めることに、芳醇な香りが鼻先をくすぐる。
果物のような、女の子のような魅惑的な香りだ。
前回、この香りを嗅いだのは、100年前の事だ。
桃源郷には、地上とはちょっと違った植物が生息している。
多分、今日のお目当てのアレも、そういう類のものなのだろう。
アレに出会えてのは、本当に偶然だった。
僕がうさぎ漢方「極楽満月」を桃源郷に構えてから、少し経った頃の事だ。
本来の姿で、桃源郷内を散歩していた時に、風に乗って自分をアピールする存在に気付いた。
それ以来、僕は風で届く便りを元に、毎回ここを訪ねるようにしている。

東の空がほんのりと月の光で白くなり始めている森の中、ぽっかりと空間が開けた場所にたどり着く。
まるで人工のステージの様に綺麗に出来ているが、全て自然が作った場所だ。
その中央に鎮座している貴婦人こそ、僕の今夜のお相手、ゲッカビジンだ。
緑色の平たい葉状茎をいくつも伸ばし、その一つから垂れ下がるように、白い蕾がついている。
随分と膨らんでおり、あと2,3時間ほどしたら、良い頃合かもしれない。
今夜は満月のはずだから、偶然とは言え、いい日だろう。

「今夜は僕のお酒に付き合ってね」

そう断りの言葉をかけ、花の脇に腰を下ろすと、右手でそっと蕾に触れる。
花が揺れる瞬間、ふわりと香りが舞う。
ゲッカビジンは開花に向かって、だんだんと花の香りが強くなる特徴がある。
花の開花はその後の受粉の為にあるのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、いつも花の色香に溺れそうな錯覚を受ける。
このゲッカビジンは100年に一度しか咲かない。
始めは養分が足りないのだろうか等と、色々調べてみたのだが、特にそういう要素はなく、この花の特徴なのだろうと納得した。
その100年の間に、何度もここを訪れては、自分の想いに耳を傾けてきた。
そうこうしている間に花が咲いていて、この物凄く熱い想いは、世の中の時間は100年に値するものなのだろうかと考えてしまった。

「また100年経ってしまったんだな」

開き直ると決めたのに、時に色々な想いが頭をめぐり、悩ます。
考える生き物である以上、それは仕方がないことだと思う。
だが、一人では答えが出せない問題を、自問自答して進めていくのは、時に切なく悲しい気持ちにさせられる。
目のふちに、じんわりと滲み出した涙をぬぐい、ぐっとお酒をあおる。
空には月が昇り、優しく僕達を照らしていた。



どれ位経っただろうか。
静かな空間に、招かざる客が登場した。

「なんでお前がここに来るんだよ」

憎々しく問いかける先には、先ほどまで想いを馳せていた鬼灯がいた。

「なんだ、白豚か」

先約がいるとは思わなかったのだろう。
鬼灯は少しだけ意外そうな顔をしたが、またすぐにいつもの仏頂面に戻り、いつも通り失礼なことを言ってきた。

「僕は豚じゃない。ここは僕の特等席なんだけど」
「勝手に特等席にするな」

そう言って、人を足蹴にすると、僕が手にしていた酒瓶を奪った。
ぐっと一口のみ、公共の場所は皆のものですなどと言い出した。
また良く分からないことをと思ったが、これ以上ツッコムと、話が逸れそうだったので、話を戻す。

「で、なんでここにいるんだよ」
「いえ、香りに誘われました」

そう口にする鬼灯の視線お先には、件のゲッカビジンが5分咲きとなっている。
こんな時間に桃源郷にいること自体、珍しいとしかいいようがないが、来てしまったものは仕方がない。

「あぁ、この娘の香りは魅力的だからね。ほかの男を誘い込むなんて、本当に罪だね」

もしかしたら、この娘が気を利かせて、鬼灯を誘いだしてくれたのかも知れない。
そう思うと、少しだけ先ほどまで沈んでいた気持ちが浮上し、ちょっと幸せな気持ちになった。
改めて、隣に座ればと促すと、鬼灯は静かに腰を下ろした。
鬼灯の手から、先ほど奪われた酒瓶を奪い返し、一口、口をつけて、また酒瓶を渡す。
文句や嫌味を言われるかと思ったが、何を言わない鬼灯に、珍しいこともあるものだと思いつつ、僕らは静かに夜に咲く白い花を眺めていた。

きっとまた100年後に、僕はこの花をみて、鬼灯のことを想うのだろう。
僕にとっての生は永遠と等しく、この想いも永遠に続く。
実らない蕾を抱えたまま、永遠という名のを地獄の日々を僕は生きていく。
だが、恋した相手が地獄の鬼なのだから、地獄の日々を過ごすのも、決して悪くないのかもしれない。
神獣である僕が、地獄に落ちることはできないが、擬似的に地獄のような日々を過ごしているのであれば、それは似たような意味になるだろう。
そんな事を思うと、開き直ってよかったのかもしれないと思えてくるのだから不思議な話だ。
次の100年がどんな100年になるのか思いをめぐらし、僕はそっとほくそ笑んだ。



END





モドル