彼岸で会いましょう |
---|
それは午後のお客を捌き、一息入れる為、桃太郎が裏へ引っ込んだ時だった。 陽気がいいからと開けたままの入口から、大きな風呂敷が中で座っている白澤めがけて飛んできた。 そして続いて入ってくるのは、いつもの黒い着物をまとった鬼灯。 戸をくぐるなり、腹に響くバリトンボイスを轟かせる。 「ご機嫌いかが!」 「お前が来たから最悪だよ!」 殺傷能力の高い金棒ではなく、何か包まれた風呂敷をきちんとキャッチし、白澤は元凶である鬼灯に言い返す。 顔を合わせれば、ここであったが百年目と言わんばかりに、言葉の応酬どころか一方的に暴力の雨が降り注ぐ。 店内で繰り広げられるいつもの通りのやり取りに、桃太郎は鬼灯の来店が来たこと理解した。 白澤の元で仕事を始め随分と経つため、二人のやり取りを大して気にするでもなく、鬼灯の分もお茶用意するはいつもの事だ。 「いらっしゃいませ、鬼灯様」 「桃太郎さん、お邪魔しています」 白澤の頬を引っ張りつつ、なんてことなしに桃太郎へ挨拶をする鬼灯は、ぱっとその手を放した。 鬼灯に引っ張られ赤くなった頬を撫ぜつつ、白澤は涙目できっと睨みつける。 「桃タロー君、こいつにお茶なんて出さなくていいから!」 塩でも豆でも撒いておいてと、トンチンカンな事を言う師に、呆れ顔で"そんなことしません"と伝えるのも、いつもの事だ。 桃太郎は鬼灯の前に緑茶の入った湯呑と茶請けとして、うさぎの形をした薯蕷饅頭を出す。 同じく白澤の分と自分の分も並べ、白澤の隣に腰を下ろすと、鬼灯に今日の用件を確認する。 「薬の注文ですか?」 「いえ、今日は頼まれていたものの、品質確認をしてもらいにきました」 そう言って、白澤が手にしていた風呂敷を奪い取ると、テーブルの上に広げる。 開かれた布の上には、いくつかに分かれてまとめられた、ヒガンバナが入っていた。 まさかこんなにも沢山のヒガンバナが入っているとは思っていなかった桃太郎は、目を見張る。 「こんなに一杯、ヒガンバナをどうするんですか」 「こいつが品質確認って言ってただろ、桃タロー君。この後取る、石蒜(せきさん)の品質をチェックしておくんだよ」 そう言って白澤は葉のない茎に手を伸ばし、真っ赤に色づいた花に顔を寄せる。 うん、今回のもいい出来になりそうだねと、ご満悦に笑みを浮かべる。 「石蒜って、確か…ヒガンバナの鱗茎ですよね」 「そうだよ。よく勉強してたね。地獄産のヒガンバナは、漢方薬としては最高品質なんだ」 現世では9月の下旬に咲くヒガンバナ。別名、曼珠沙華とも言う。 秋のお彼岸の時期に、揃って咲く姿から「彼岸花」と名付けられたとも、ヒガンバナの持つ毒から、食べたものには「彼の岸=死しかない」とも言われている。 ヒガンバナの鱗茎には、リコリン、ホモリコリン、ガランタミンなどのアルカロイドが含まれており、誤って口にすると、嘔吐、下痢、流涎、神経麻痺などが起こる。 しかしリコリンは水溶性の為、長時間水に曝せば無毒化できるという特徴もあり、かつては救飢植物として食用にされていたこともある。 漢方としては去痰、利尿、解毒、催吐薬として古くから用いられているが、民間療法として素人が手を出すにはいささか危険と言える。 地獄にはこのヒガンバナが現世の四季とは少し異なったサイクルで咲いているのだと、白澤の説明に続き、鬼灯が補足する。 桃源郷では咲いていない為、毎年確認してもらって、白澤に買い取ってもらっているらしい。 なるほどなと納得する桃太郎だったが、赤い花に紛れて、別の花がある事に気付く。 「こっちの白いのもヒガンバナですか?珍しいですね」 風呂敷に残っている白い花を手にし、桃太郎は不思議そうに見る。 よく見ると、ヒガンバナと花の形が少し違っているようだ。 花を見て、鬼灯も理解したようで、桃太郎から花を受け取る。 「どこからか園芸種が混ざったのかもしれませんね。白やピンク、あとは黄色の似た花で、リコリスって名で売っているものは、ヒガンバナの総称ですから、覚えておくといいですよ」 「勉強になります。でも色がかわるだけで、ずいぶんと可愛らしく見えますね」 同じ花だとは思えないという桃太郎の言葉に、白澤は少し首をかしげ、弟子を見る。 そして少し間を置き、思いついた考えを口にする。 「もしかして桃タロー君は、ヒガンバナって苦手?」 「そうですね。この赤が毒々しいというか、なんか死に繋がっている気がして、怖い気がします」 迷信だと分かっているが、家に飾ると火事になるからと、自分を育ててくれていたばあちゃんが、嫌がっていたことを思い出し、首をすくめる。 桃太郎の言葉に、鬼灯は手にしていたヒガンバナをテーブルに置き、何度か頷く。 「日本では、彼岸の時期に咲くこの花に対しては、不吉なイメージが強いですからね。桃太郎さんの意見も当然だと思いますよ」 「花言葉も"悲しい思い出"とか、少し寂しいのが多いしね」 死人花や地獄花という名前もそれを増長させているのかもしれない。 寂しい気がするのは故人を思い出すからかねと、言葉を添える白澤だったが、少しして首をひねり、あれ?なんだっけと、ぶつぶつ言い出した。 「とうとう、ボケましたか。脳みそわた飴でも、ボケるんですね」 「違うわ、朴念仁!そういえば僕、昔、現世で女性にヒガンバナを差し出されたことがあったなって思い出したんだよ」 突然の白澤の告白に、鬼灯と桃太郎の二人は顔を見合わせる。 「そんなに空腹だったんですか。豚は雑食ですから、食べられると思いますが、毒を自ら口にするなんて、さすが駄獣」 「白澤様、ここではそんな拾い食いしないでくださいね」 「駄獣じゃなくて、神獣!そして桃タロー君まで、酷い!」 これは僕の素敵な思い出話なの、と頬を膨らましす姿に、神獣の影は見当たらない。 しかし白澤は当時の事を思い出すように、熱っぽいため息をつく。 「熱烈な娘でさ。初めて会ったのに一緒に死にましょうって、迫られてね。彼岸で会いましょうなんて、情熱的な告白だと思わない」 心中とは、死後の世界で一生になろうと男女が一緒に死ぬことを指す。 白澤の言うように、ヒガンバナの彼岸とかけて、言葉の意味をそう取れない事もないが、普通、初めてあった者に、そういった愛の告白をする人はそうそういないだろう。 だが当人である白澤は、"情熱"や"想うはあなた一人"、"また会う日を楽しみに"といった花言葉もあるんだよって、得意げに話す。 そんな白澤を、鬼灯も桃太郎も冷めた目で見つめる。 「でも僕、死って概念がないから、答えてあげたくても出来ないしどうしようって困ってたら、怖いお兄さんたちに囲まれてさぁ。美人局みたいだなぁって思ったよ」 「いや、みたいじゃなくて、美人局ですって。しかも性質の悪い!」 白澤に限って、ピュアな思い出は無いのだなと、桃太郎は本当にあきれたと大きくため息をついた。 一方、えっ、そうなの?って桃太郎に指摘されても現実を受け入れない白澤に、鬼灯は卓上のヒガンバナを手にし、詰め寄る。 「本当に救いようのないバカですね、あなた。折角なので、本当に彼岸に送り出してあげましょうか。ちょうど、白豚の口に放り込めるだけのヒガンバナがここにあることですし」 「誰がお前なんかと心中するかっての。どうせなら、可愛い娘連れてこい」 「心中などしませんよ。あなただけ、死んでください。地獄へ来たら、私自らの手で痛めつけてあげますよ」 彼岸花を手に、白澤に迫る光景を見て、桃太郎は本当にこの二人は仲が悪いのだなと納得する。 きっとヒガンバナを口にしても、白澤が死ぬようなことはないだろうが、一応、漢方については尊敬している師なので、今回は止めに入ることにした。 「そう言えば、今日は事前のチェックだけって言ってましたけど、これどうするんですか」 露骨に話題を変える桃太郎の発言に、場の空気が少しだけ緩む。 この場にいるのが鬼灯と白澤の二人だけなら、気が済むまでやりあうところだが、今日はそうではない。 桃太郎の気遣いに気いた鬼灯と白澤は、少しだけ視線を絡め軽く頷きあう。 一時休戦の合図が出た事に、桃太郎もほっと詰めていた息を吐き出す。 鬼灯は手にしていたヒガンバナを一瞥し、しぶしぶ白澤に差し出す。 無言で受け取れと言う姿に、白澤は少し苦笑いをした。 そしてさっきまで喧嘩をしていたというのに、謝々と律儀にお礼を言って、白澤は花を受け取った。 「僕はヒガンバナ好きだからね、ここに飾るよ」 「はぁ。まぁ、白澤様のお店なので、俺は反対しませんけど、大丈夫なんですか。迷信とは言え、お店燃えたりしませんよね」 心配そうに 弟子に、白澤は満面の笑みで答える。 「毎年の事だから大丈夫だって」 「それならいいんですけど」 「赤いのは僕の部屋に、こっちの白いのはお店に飾るよ。リコリスだと思えば、桃タロー君も平気でしょ」 そう言って、白澤は白いヒガンバナを2輪、空いたお酒の瓶へといける。 口元に笑みを浮かべ、愛しそうに花を見つめる。 そして鬼灯も出されたお菓子を口に運び、少しだけ口角を上げて笑みを浮かべていた。 桃太郎は知らない。 中国や韓国では、ヒガンバナは相思相愛の花である事を。 日本でも、葉見ず花見ずとの別名があるように、ヒガンバナの花と葉は共に見ることはない。 春に出る葉は花を想い、秋に出る花は葉を想う。 同じ時を一緒には過ごせないものの、互いを想う花。 その姿は、地獄の住人である鬼灯と天国の住人である白澤を表しているようだと、二人が盃を交わして話したのは、いつぞやかの月見の席の事だ。 あれから500年あまり経つが、その後、鬼灯は毎年ヒガンナバを持って白澤の元を訪れている。 この行為が二人の間では暗黙の愛の告白である事を桃太郎が知るのは、ずっと先のお話。 |
END |