酔っ払いの戯言 |
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その日、白澤はとても気分がよかった。 ここ最近、立て込んでいた薬の注文を全て捌き、懐が温かい。 弟子の桃太郎は、友人の一寸と飲むからと、店を閉めてから出かけている。 明日は定休日の為、そのまま一寸の家に外泊するとのことだった。 それならば妲己のお店に顔を出そうかと思ったが、なぜかそういう気分じゃない事に気づき、一人飲み屋に入ることにした。 ちびちびと色々なお酒を飲むことを好む白澤は、何件かお気に入りのお店を持っており、そこを梯子し、夜も更けた頃だった。 3件目のお店に入ると、よく座る店の奥の席に見知った顔を見つけた。 閻魔大王の第一補佐官である鬼灯だ。 白澤と鬼灯は、犬猿の仲と表現するには生ぬるい位、仲が悪い。 それにもかかわらず、どこか似たところがあるらしく、親戚扱いされることが間々ある。 森羅万象に通じる人間じみた神と何事にも手を抜かない冷徹な鬼神。 仲が悪いのは事実なのだが、その実、話が尽きないのも事実なのだ。 ちょうど話相手が欲しくなっていた白澤は、手酌で更に一杯煽ろうとしている鬼灯に近づき、徳利をかすめ取る。 怪訝な顔で振り向いた鬼灯の人相は、それはそれは怖いものであった。 その顔だけで、人を殺せそうなほど凶悪である。 目の下に出来た隈から察するに、仕事づくめで忙しかったのであろう。 いつも纏っている空気と違うことに気づき、白澤は鬼灯の手にある御猪口に酒を満たした。 「おっちゃん、これ一本追加して。あと僕にも御猪口一個ちょうだい」 「はいよー」 気前の良い店主が鬼灯の脇の席に御猪口と御通しを置く。 席が整うのを待って、白澤は鬼灯の脇に腰をおろした。 「誰の許可をとって、人の隣に腰を下ろしてるんだ、白豚」 「誰のって、空いてるんだからいいだろ。ちょっと付き合えよ」 口では難色を示しながらも、いつもの暴力が振る舞われないあたり、許可は下りたようだ。 追加された徳利を掴もうとしたら、先に鬼灯が手にして、盃を出せと言っている。 本当に珍しいこともあるものだと、白澤は自分の御猪口を手にした。 鬼灯の好みらしい、きりりと辛い大吟醸が口の中に広がる。 個人的には甘い方が好きなんだけどと思いつつ、白澤は、くっと飲みきる。 その姿に気をよくしたのか、更に酒を注ぐ。 この二人にしては珍しく、静かな飲み会が始まった。 話のネタは下らない事から、専門家も真っ青なお堅い話と幅広く進む。 どうやら表情ではわからないものの、鬼灯もだいぶ酔っているらしく、饒舌で話は尽きない。 「大体さ、女の子はみんな可愛いんだから、一人に絞るなんてこと、出来るわけないじゃん」 「そんな事言ってるから、女性にフラれるのですよ。色ボケじじいが」 テーブルに片肘を付き、頬杖をしながら、追加で頼んだカクテルの氷をマドラーでつつく白澤に鬼灯がもっともな指摘をする。 その指摘が気に入らないのか、白澤は子供みたいにむくれる。 「ひよっこの分際で何が分かる。そもそもお前、色恋沙汰に興味ないだろ」 「残念ながら、私にも人並みに恋しいと思う気持ちはありますし、欲もあります」 「嘘つけ」 「嘘ではないですよ」 間髪入れず返される言葉に、白澤は珍しいこともあるものだと思う。 普段、鬼灯が色恋の話を語る事は殆どない。 実際に初めて聞いたかもしれない。 明日は矢が降るのかなと失礼な事を思いつつ、白澤は酒のつまみにと話に食い下がる。 「じゃあ、お前にも恋焦がれて仕方がないって相手が居るっていうのかよ」 「えぇ。あなたと違って一人だけいらっしゃいますよ」 「えっ…」 思わず、声が漏れたが、鬼灯の何時になく静かに発された言葉に、白澤は嘘でない事を読み取る。 認めたくないが、鬼灯はモテる。 誰彼かまわず甘い言葉を振りまく白澤と違い、自然と気遣いのできるところが女性人の心をぐっと掴んでいることは間違いない。 一部、偏った思考を持っていたり、金魚草への並々ならぬ愛情をかたむけていたり、可笑しいところは多々あるのだが、それも容姿であっさりプラスにされる。 容姿が似ているが、鬼灯の方が良いとまで言われた過去を持つ白澤にとっては面白くないことこの上ないのだが、仕方がないと思わざるを得ない。 「まさかお前に想い人がいるなんてね。天変地異の前触れかと思ったよ」 「想うだけなら自由ですからね」 それを相手に伝えたり、ましてや気持ちを返してもらいたいなどを思ったりはしませんよと言葉を続ける様子は、とても相手の事を慈しんでいる事がわかり、少しだけ白澤は羨ましく思った。 女の子は皆可愛い、だから大好きだという持論を持つ白澤には、はっきり言って"恋しい"という気持ちが分からない。 好きという気持ちだけではいけないのだろうかと、女性に問いかけたこともあった。 その結果が、こっぴどくフラれるという、いつものやり取りに繋がるのだが、それに白澤は気づいていない。 「想うだけは自由ね。じゃあ、想う事が罪だと言われたら?その気持ちは捨てられるのかい?」 「もしそれすら取り上げられてしまうなら、その方を閉じ込めてしまった方が一層楽かもしれませんね」 それは一般的に拉致監禁と言うのだと、ここまで出かけていたが、すんでのところで言葉を飲み込む。 「常闇鬼神にしては、随分と熱いねぇ。っうか、その考えは貪欲すぎるだろ」 「そうでもないですよ。まぁ、相手が相手ですから」 自称気味に笑い、手酌をしようとしているところに手を伸ばす。 御猪口の中の水面に想い人を描いているのか、鬼灯の目が少しだけ優しく緩む。 その姿に白澤は、あぁ、本当に惚れているのだなと思うしかなかった。 「どんな高嶺の花だよ、それ。お前にそこまで言わしめる相手ってのを、見てみたいものだね」 多分、この地獄で一番怖い鬼を虜にする相手とは、同じ男として興味がある。 まさか妲己やリリスではあるまい。 もしや女神かと思考を巡らせていると、コトリと御猪口をテーブルに置く鬼灯と目が合う。 「見ることは難しいと思いますよ」 「なんで」 「その相手って、あなたですから。鏡を使えば、顔くらいは見えると思いますけど、客観的に見るのは難しいかと思いますよ」 明日の天気は晴れですねと言うように、さらりと語られた言葉に、白澤は目をぱちくりとさせる。 「お前、どんな嫌がらせだよ」 普段、気のない相手から好意を向けられるのは、悪い気はしない。 なんだ、今までのあれって、照れ隠しだったんだ!って思えなくもない。 だが、何が悲しくて天敵であり、男に告白を受けなければならないのか。 酔っぱらっていて忘れていたが、目の前の男は自分の天敵で、嫌がらせにかけては労力を惜しまない男である事を白澤は思い出した。 「嫌ってるだけの相手から愛の告白を受け、少し意識すればいいかと思いまして。まぁ、冗談ですけど」 「冗談って分かってても怖いわ。真顔で言うから、マジでビビっただろ」 嫌がらせなのが分かっていても、まさかこの鬼がそんな冗談を言うとは思ってもいなかったのだ。 やや下がり気味のテンションで、白澤は鬼灯の肩を軽く叩く。 「そうでしたか。ちなみに冗談なのは、意識すればいいのところだけです」 「はぁ!?」 「別にあなたからの想いは期待していません。女狂いですからね、あなた」 次々に暴露されていく鬼灯の思いに、白澤は思考が追い付いていかない。 「ただ、一夜限りの思いを遂げるのも自由かと思いますので、一晩お付き合いいただきます。当然ですが、拒否権など存在しませんので、よろしくお願いします」 ギラリと鬼灯の目が光った気がした。 間違いなく欲に飢えた獣の雄の目だ。 白澤の頭の中で、本能が警告をあげている。 全力で逃げろ!と言っているのに、それを阻むように鬼灯に掴まれた右腕が痛い。 気分がよかったはずなのにと思いつつ、白澤はこの後の展開を考えることを放棄した。 目を開けると、己の腕とシーツの向こうに見知ぬ部屋が映っていた。 あぁ、またやっちゃったなと白澤は心の中でごちた。 酒を飲むのは好きな白澤だが、ザルではない。 むしろ弱い方で、二日酔いに悩まされる日は多い。 そしてそれに付随して、ある一定量の酒を飲むと記憶が無くなるのだ。 どんなに美人と遊んでも、初々しい可愛い娘と遊んでも、酒が入ると忘れてしまう事がある。 今回もそのパターンだと気付き、白澤はもったいない事をしたと思った。 酔いつぶれただけなら、上半身裸で寝ているわけはないし、背中に広がる誰かの体温も感じないだろう。 腰に回された腕に、しっかりホールドされている感じから、昨日の娘は随分と自分を好いてくれていたのではないかと思う。 体の向きを変え、顔を覗こうとして、白澤は一瞬止まる。 艶やかな黒髪と身体を覆う落ち着いた赤の襦袢。 瞳は閉じられている為、少しだけ柔らかく見えるものの、ほんの少し眉間に寄っている皺。 そして鬼としても珍しい一本角。 それは間違いなく、自分の天敵である鬼灯で間違いなかった。 そういえば、鬼灯と一緒に酒を飲んだ気がする。 いや、飲んだのだ。 だが内容は全然思い出せない。 どんな会話をしたのか。 どうやって店を出たのか。 どうしてこんな宿に泊まることになったのか。 どうして情事後の男女のように、一つの布団で寝ているのか。 今ほど、自分が酒弱いのを呪ったことはない。 色々考えすぎたせいなのか、はたまた酒の飲みすぎなのか、頭が痛くなってきたが、今はそれどころじゃない。 よくわからないが、相手が目を覚ます前に帰ってしまえば、総てノーカウントに出来る。 そう結論づけたものの、実行出来る出来ないは別物で、鬼灯の手から抜け出すことはたやすくなさそうだ。 鬼灯の腕の中、じたばたとしていると、目の前の鬼灯の瞼が開かれた。 一瞬、状況をよく把握できていないのか、焦点を合わせるため数回瞬きをする。 そして軽く首を傾げ、何か納得したように言葉が紡がれる。 「あぁ、おはようございます」 「にっ、ニーハオ」 どんなに気まずい状況であっても、挨拶をされれば返してしまうのが人というものだろう。 だが、次にどんな言葉を発したら正解なのか、それをはじき出すには、白澤の頭の中は真っ白で役に立ちそうもない。 そうこうしている間に、白澤の腰に回されていた腕が動き、手が頬に添えられる。 「身体は大丈夫ですか。昨夜は随分と楽しんでいたようですけど」 鬼灯の口から発せられた言葉に、白澤の顔色は一瞬で青ざめた。 その言葉が意味することを、白澤は知っている。 一番考えたくない事だった。 だが、それを相手から言われてしまったら、否定のしようがない。 白澤は声にならない悲鳴をあげると、鬼灯の腕から抜け出し、そのまま部屋の窓まで一目散に走りだす。 そして開いた窓から外へと飛び出すと、ぽんっという可愛い音を立て、神獣の姿に戻り、桃源郷へと逃げ帰っていった。 「あれだけ動けているのであれば、二日酔いは大丈夫そうですね」 本来続くはずだった言葉を、1人残された部屋で鬼灯はつぶやいた。 着崩れた襦袢を軽く整え、布団の上に胡坐をかいて座る。 枕元には、昨夜、鬼灯の手によって脱がされた白澤の上着だけが残されている。 鬼灯はそれに手を伸ばすと、皺を伸ばして簡単に畳みなおした。 そして愛用の煙管に煙草を詰め、一服する。 鬼灯の口から吐き出された紫煙は、ゆったりと周囲の空気に拡散し、独特な香りだけ残して消えていく。 実は酒に飲まれていたのは白澤だけではない。 表情こそ変わらなかったものの、三徹明けに飲んだ酒の影響で、珍しく酔っていた鬼灯は、心の内を想い人に伝えてしまった。 何千年と鬼として生きてきて初めての行動だった。 言ってしまったのなら仕方がないと開き直ったのもお酒の力ゆえだ。 そのまま勢いで白澤を宿に連れ込み、自分の下に組み敷いた。 勢いのまま抱いてしまおうと思った。 女々しくも一夜の思い出を得ようとした。 だが、相手は思いのほかビビッて、さんざん抵抗した挙句、泣きだしたのだ。 色っぽく泣かれたのなら良い。 それはそれでそそられるものがある。 だが、いい年したじじいが、子供みたいに泣いたのだ。 さすがの鬼灯とはいえ、毒気を抜かれるとはこの事だ。 結局、子供を慰めるように、相手が寝付くまで背中を撫ぜ、抱きしめたまま寝てしまっていたというのが事の真相である。 「相手が全て忘れているのが不幸中の幸いですかね」 自分とは違い、酒が入ると記憶を飛ばす事は以前何かの際に聞いて知っていた。 先ほどの反応を見るに、昨夜の事は全く覚えていないのだろう。 覚えていたら、悪態をつくなりしたはずだ。 そんな余裕はみじんも感じられない、切羽詰まった行動だったと地獄の空に消えていった神獣の姿を思い出し、鬼灯は深くため息をつく。 「さて、どうしたものでしょうか」 酔っぱらいの戯言と片付けるには、少々ややこしくなっている状況に、ひとまず二度寝をしようと決めこみ、鬼灯は一人布団に横になった。 |
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