カップに気持ちを添えて |
---|
昔からルーティンワークが好きだった。 だからこそ、大学生になった今、毎日こつこつと似たような実験を続けることが出来るのだろう。 ふと研究室内の時計を見れば、あと1時間程で日付が変わる時刻になっていた。 ずっと同じ姿勢でいた為、肩こりを覚え、少し肩を回して血流をよくする。 体は鍛えている方だと思うが、さすがに体に悪いらしい。 このまま研究室に泊り込むかと思ったが、今日は先日通販で購入したDVDが届いていることを思い出し、アパートへ帰ることを決めた。 外に出れば、吐き出された息が白く染まり、肺に氷のような空気が取り込まれる。 首元に巻いたマフラーを手繰り寄せ、早足で駐輪場へと向かう。 街灯だけでは手元が暗く、スマートフォンの懐中電灯アプリでチェーンにかかっている鍵と自転車についている鍵を外す。 オレンジ色が美しいクロスバイクにまたがると、家路へと急ぐ。 大学から下宿しているアパートまでは、上手く信号をかわしていけば、30分ほどの距離だ。 もう少し大学から近いアパートもあったのだが、出来るだけ静かな場所の方がよく、周囲に学校などがない住宅街を選んだ。 真冬とはいえ、ずっと自転車を漕いでいれば、体は温まる。 しかしハンドルを握る指先には、段々と熱が届かなくなり、少し痛くなり始めた。 ふとコーヒーショップの看板が目に入り、速度を落とす。 ここからなら自転車を押して帰っても、苦になるような距離ではない。 24時まで営業しているのを確認し、駐車場へと入っていく。 自転車を止める際、施錠は欠かせない。 夏にバイトをして奮発して購入した為、ピッキングされにくい鍵を二重にかけ、店内へと入る。 店の中は外の寒さが嘘のように、暖かい空気で満たされており、首もとのマフラーを少し緩める。 先に若いカップルがレジ前で悩んでおり、壁にかかたメニューボードを見上げる。 普段はブラックを選ぶことが多いのだが、今日は少し甘いものでもいいだろう。 自分の体を労う様に、オーダーを決め、自分の番を待つ。 しばらくして、自分の番になると、レジ前に並んでいたビスコッティを一つ手に取り、カフェモカを頼む。 ビスコッティはレジで受け取り、そのままカバンの中に仕舞う。 ぼりぼりとかじるのもいいが、今日はコーヒーに浸して食べたい。 そんな事を思いながら、頼んだドリンクを待つ。 カウンターを挟んだところでは、何人かの店員が各々担当の作業をしている。 私のカフェモカを作っているのは、線の細い男性だった。 身長は私とあまり変わらないと思う。 だが、筋肉があまりついていないのか、中性的な雰囲気をもっている。 さらりとした黒髪を耳にかけ、決め細やかに泡立ったミルクをカップへ注いでいく。 ふと顔を見上げた瞬間、視線が合ったような気がした。 「こんな遅くまで大学にいたの?学生さんも大変だね」 「はぁ?」 予想もしない言葉に、思わず低い声を出してしまった。 周囲の友人たちからは、よく機嫌が悪いのかと聞かれるが、もともと地声が低いのだ。 表情もそこまで豊かとは言いがたく、気を悪くしたのかと、店員が慌ててフォローの言葉を続けた。 「あぁ、ごめんね。いきなり。この前、コーヒーのポットサービスを頼まれて、坂の上の大学に届け行った際、校内で見かけたからさ」 「そうでしたか。ちょうど実験の終盤なので、乗りめり込んでしまって」 「なるほどね。でも最近、かなり冷え込むから、程々にね」 カップにふたをつけ、紙で出来たスリーブにカップを収める。 静かにカウンターにカップを置くと、その男はにこりと笑った。 「はい、温かいカフェモカ。念のため、スリーブつけておいたからね」 「ありがとう御座います、シラサワさん」 胸元の名札を見て、言葉を返せば、"惜しいね"と言って、笑みを浮かべている。 「あぁ、これで"はくたく"って読むんだ。よかったら、覚えておいて」 珍しい読み方だと思いつつも、次回からは間違えないだろうと頭に刻み込む。 カップを受け取り、軽く頭を下げて店を出る。 ふとカップにマジックで「がんばって」の文字を見つけ、再度店内に視線を移す。 新たな客のドリンクを準備する姿を見送り、また今度来ようと思い、店を後にした。 帰宅後、スリーブの下から、精神を削られるイラスト(隣にニャーと書かれていたので、猫と思われるが、どう考えてもそうは見えないもの)が現れ、次に会った際には、まずクレームをつけてやろうと思ったのは、言うまでもなかった。 |
END |