2015鬼白で花見
1.場所取り【加々知×白澤】
大学の春休みは長い。
1月末の試験さえクリアしてしまいえば、まるまる二か月間は休みになる。 実家の両親に、何しに大学に行かせているのかわからないなと呆れられるのも最もだと思う。 その長い休みでさえ、終わりは確実にやってる。
授業再開まで2週間を切った3月も下旬の事だ。
ここ数日は春を一足飛びして、5月に近い陽気が続いている。
洗濯物や部屋の掃除に精を出していると、白澤さんからメールが入っていた。
急な呼び出しなど、いつもの事だが、今回は呼び出した場所が少し珍しく、またろくでもない事を考えているのだろうと思いつつ、愛車のロードバイクにまたがりその場所を目指した。

「貴方、何してるんですか」
「うーん、場所取り?」

公園のベンチで、一人ひなたぼっこをしている白澤さんを見つけ、思わずため息をつく。
返ってきた言葉は、いまいち要領を得えない。

「場所取りって、何のです?」
「お花見。加々知君と一緒に、コーヒー飲もうと思ってさ」

そう言うと、荷物を置いて占領していたベンチの半分を開けた。
つまりはここに座れという事なのだろう。
口にはしないものの、彼の意図を汲み取れば、そうするしかあるまい。
昼間の公園では、子どもたちが元気よく遊んでいる。
陽気も良いため、ピクニックのようにお弁当を持参している家族連れも見られる。
そんな日に、男二人にベンチで花見とは、これはどういう事だろうか。
白澤さんの気まぐれはいつもの事だとわかっていつつも、ため息がもれる。

「はい、フレンチコーヒーとキャラメルサンドビスケット」
「どうも」

渡されたのは、多分、白澤さんの所有物であるタンブラーと一枚ずつ個装されたビスケットだ。
薄いワッフル風なビスケットに薄くキャラメルがサンドされている。
そのまま食べてもいいが、温かいカップの上に乗せ、飲み物の蒸気でキャラメルを溶かして食べるのも美味しい一品だ。
今回はコーヒーに一度口をつけ、ビスケットで蓋をする。

「これ、白澤さんが淹れたんですか」
「そう。たまに自分でドリップすると気分転換になるよね」

いつものお店で口にするコーヒーとは違う味に、彼が所有しているコーヒーだろうと当たりをつける。
風味もよく、最近焙煎されたのが良くわかる。
ペーパードリップであれ、ネルドリップであれ、サイフォンであれ、どれもコーヒーを一杯いっぱい入れるのには、手間がかかる。
誰かが、コーヒーは嗜好品だと言っていたが、その手間もその醍醐味の1つだろう。
キャラメルが程よく溶けたのを見計らい、ビスケットを口に運ぶ。

「加々知君って、そういう風に食べるの好きだよね」
「そのままバリバリ食べるのも嫌いじゃないですよ」

ビスコッティもそうだが、二通りの食べ方があるお菓子と言うのは面白いと思う。
食べ物を遊んで食べるのは良くないが、こういう風に食べてもいいと言うのは遊び心があって、心が躍る。
そんな子供みたいな心の内を読まれたみたいで、少しだけ居心地が悪い。
話を返るべく、先ほどから気になっていた疑問を口にする。

「ところで、花見と言いつつ、ここの公園、桜の木は無いですよね」
「誰も桜とは限定してないじゃん。ほら、目の前に大きな木があるだろ」

そう言って指さす先には、花の咲いた木々が並んでいる。
サクラの花よりも大きく、圧倒的な存在感があり、特に正面の木が大きく目を引く。
空の青と対照的だが、空の雲ほど白くはない、柔らかなクリーム色の花々。
天に向かって花を開いている様はコンパスフラワーのうちの1つだったはずだ。

「モクレンですか」
「そう。正確にはハクモクレンだね。紫木蓮の事を、モクレンって言うのが正しいからね」

少し後ろ側にある木を指さし、"70点だね"とおどけていう姿に、妙に子ども扱いをされた気がして思わずイラっとする。
私の不穏な空気にも気づかないのか、自称物知りの白澤さんの講義は続く。

「脇にさ、少しピンク色のもあるじゃん。あっちが雑種でサクラモクレン。また開花はしてないけど、その隣に紫木蓮もあるんだよ。全種類並んでるのは珍しいよね」

初めて聞く花の名前に、珍しいかどうかの判断すら出来ないでいると、何が楽しいのか、白澤さんは妙にご機嫌だ。
しばらく放置していたら、いつもの微妙な鼻歌を歌い始めるのではないかと思えるほどだ。
足をぶらぶらとさせ、ひなたぼっこに興じている。

「で、結局のところ、今日の呼び出し目的は、これだったんですか」
「そうだよ」
「なぜ、私を?」
「なんとなくだよ。加々知くんと一緒に見たら、楽しいかなって」

今日のお昼は好物の四川風麻婆豆腐だと言うように、さらりと出てきた回答だと思う。
自分よりも年上のくせに、こういう子供じみたところが抜けない人だと思う。
背伸びをしたいと思っていても、たまに立場が逆転している。
でも気を抜いていると、それすら彼の掌の上で転がされているようで、その度に、私はどうしたらいいのか迷ってしまう。

「それで楽しかったですか」
「うん、勿論。加々知くんは?」
「そうですね。お礼に、次回は私が段取りしてもいいと思えるくらいには、楽しかったですよ」
「それは楽しみだね」

ひとまず、帰りに本屋によって、何か旅行雑誌を買って帰ろう。
そう段取りをすると、適温になったコーヒーで喉を潤した。


2.開花予想
いつの頃からか、春が近づくとこんな噂話を耳にすることが多くなった。
サクラの花の開花予想は、桃源郷に居を構える神獣の白澤に聞くのが一番当たる。
私の記憶では、400年ほど前だっただろか。
始めは花街の遊女達に間だけだったようだが、いつの間には獄卒達も口にするようになっていた。
だからこそ、ふと口をついて出てしまったのだ。

「貴方が言うから花が咲くのですか。それとも花が咲くのを知っていて、開花予想を告げているんですか」

それは彼のお店、漢方薬局・極楽満月へ頼んでいた品を受け取りに来ていた時の事だった。
常に春と言ってもいい桃源郷にも、桜の咲く時期があるらしい。
その事に気づいたのは、どれくらい前の事だっただろうか。
何気ない雑談の間だったかもしれないし、ピンク色の蕾が膨らんだ枝を見て、どこの桜かを聞いた時だったような気もする。
どちらにしてもそれは大した問題ではない。
噂の真相の方が、ずっと興味をそそられる。
実はずっとその真偽を知りたかったと言えば、何を子供じみたことをと言われるかもしれない。
そう思っていると、一瞬、驚いた表情を作った白澤さんが、珍しく私に向かって笑った。

「当然、後者に決まっているだろ。いくら僕だって、言霊で花を咲かせるようなことは出来ないよ」

そんな万能な神様なんていてたまるか。
神は得てして我儘なものだ。
人の為などとは、決して言わない。
だからこそ、それは期待を裏切らない回答だったと言える。
それにコイツにそのようなセンスは無いと聞いた気もする。

「コツとかあるなら、教えてくれませんか」
「コツなんてないよ。ずっと見てるからさ。他の誰よりも違いがわかるようになったんだよ」

知識の神と言われるだけあって、彼の頭の中には数多くのデータが詰まっているのだろう。
そこからはじき出される未来は、予想と言うか、預言と言うかは定かではない。
だが、言葉の中に、どこか寂しさを感じたのは、気のせいではないだろう。

「明日、仕事が休みなので、空けておいて下さい」
「なんだよ、急に」
「現世で見たい桜の木があるんですよ。乗せてけ」
「人をタクシー代わりにするなよ」

嫌そうな顔をするも、少し口角の上がった口元を見れば、本音では無いことが読み取れる。
お互い、素直でないなと思いつつ、出来上がった薬を受け取り、店を後にする。
寂しがり屋な神様を慰める為、人が出来る事などたかがしてれている。
それでも何かをしてやりたいと思うのは止められないのだろう。
明日の花見が良い天気になれば良いと思いつつ、地獄への帰路についた。


3.酒
閻魔庁へ納品に寄った帰りの事だったと思う。
いつもはライバルというか、子供のケンカのようなやり取りをしている白澤様と鬼灯さんだが、たまに二人だけに分かる距離感を取っている時がある。
それに気づいたのは、白澤様のもとで仕事を始め、仕事に慣れ始めた頃だった。
俺が知らないだけなのだろうが、二人だけに通じるやり取りもあるらしく、それはそんな一場面だった。

獄卒の鬼女さんにナンパを仕掛けている白澤様にお灸をすえ終えるのは、もはや日常とかしている。
しかし今日はそこに珍しい事があった。
ふと、鬼灯さんが思い出したように声をかけてきたのだ。

「おい、白豚。今夜伺いますから、アレの準備をしておけ」
「あー、アレね。ちょうど良い頃合いかぁ。明白了。っうか、白豚じゃないし!」

一度、流しておいて態々ツッコミをいれる必要はどこにあるのだろうか。
そこはいつもの二人らしくのだが、一部らしくないやりとりに、疑問を抱く。
顔に出ていたのか、白澤様が首を傾げている。

「何、桃タロー君。どうかした」
「いや、"アレ"って何かなって思ったんスよ。お二人って、時々あうんの呼吸と言うか、実はツーカーの仲ですよね」

素直に思った事を口に出せば、"何を言っているのだ"と言わんばかりの形相で見返された。

「やめてよ、桃タロー君。それじゃあ、この鬼と仲がいいみたいじゃないか」
「そうですよ、桃太郎さん。大体、白豚の言葉が分かるわけないじゃないですか」

いつものお子様なやり取りの展開に向かうのも、ふとした疑問に言葉を続ける。

「じゅあ、なんでなんですか」
「「利害の一致」」

小気味良い回答ではあるが、あまりにも息がぴったりの二人に、何だかんだと似た者同士である事を再確認させられる。
さすがに二度目は口にするのを良そうと思っていると、白澤様が先ほどの疑問の答えを口にした。

「10年に1度ね、梅酒を漬けてるんだ。それのお披露目として、桃源郷の隅で花見をしてるんだよ」
「なんで、10年に1度なんですか」
「毎年やってたら、蔵が必要なるじゃん。さすがに僕だってそれほどは管理出来ないしね」
「古いものは、50年目になりますかね」
「そんな年代物まであるんスか」

果実酒は熟成期間を長くすればするほど、酒の角がとて、丸みのある味になってくる。
過程で果実酒をつける場合、通常のお酒よりも度数の強いもので殺菌をしている為、1年目で飲むよりも長く置いた方が美味しいと思う。
だが、10年に1度とはいえ、50年物の自家製果実酒と言うのは、中々のお宝だと思う。
それこそ、酒を補完する蔵が必要なほどだ。

利害の一致と言われて、その酒が目当てなのだと紐づけられれば、納得しそうになる。
だが、前提条件がそもそもずれているのだ。

本当に好いていない相手だったなら、一緒に美味い酒が飲めるわけがない。

そう心の中で思うものの、それを口にするのはどこか憚れる気がして、俺は心の中のモヤモヤに気づかないフリをしとおすことに決めた。

「じゃあ、いつもの場所でな。ワーカーホリックなんだから、遅れるなよ」
「それはこっちのセリフです。遅れたら、貴方のつまみは無いと思え」

お互い、捨て台詞のつもりなのだろうが、結局は仲良しさんアピールにしかならない言葉のやり取りに、人知れずため息をつき、心なしか上機嫌の上司の後を歩いた。


5.花吹雪【加々知×白澤】pixiv
「加々知くん!お花見しよう」

そう言って、店じまいの時間に顔を出したのは、常連客の白澤さんだった。
片手に近所の和菓子屋の袋を下げ、もう片手にはコーヒーショップのペーパーバックを下げている。
なんとなくアンバランスなと思いつつ、作業をする手を緩める事はしない。

「お客さん、もう店じまいなんですが」
「いや、今日は客じゃないし」
「冷やかしなら、他所でやって下さい」

ほら、どいた、どいたとジェスチャーをすれば、意に反して片づけてあった椅子を持ち出し、店の中央に座り込んだ。
妙にドヤ顔をしているのが、また憎たらしい。
この顔は、目的を達成するまで、動く気がないという事だろう。
仕方がないと、重い溜息をつき、切り返しを変える。

「花見なら、この店内でも出来ますよ」

ほらっ、と手を広げて、店内を見渡す。
売るほどというか、そもそも商品である花々を指し示せば、目の前の男は情緒がないと人を非難する。
それならば、閉店間際の店に上がり込み、油を売っている男の常識の無さはどうしたらよいのだろうか。

「そうじゃないって。お花見だよ。桜の花」
「それもそこにありますよ」

この時期は、桜の枝ものを買い求められることもあり、用意しているようにしている。
仕入時には蕾だった桜の枝も、今は一輪、二輪と花が咲いている。
一応、花に視線は送るものの、それじゃないと不満げに首を横に振る。

「そうじゃなくて、ドライブしようよ。川沿いの桜が見ごろなんだってさ。週末には雨で散っちゃうだろうし」
「そういうのは、一人で行ってください」
「車持って無いの知ってるだろ」

やや不貞腐れ気味で、椅子の上でぶらぶらと体を揺らしている。
都内で生活するには、公共の機関を利用するだけである程度は事足りてしまう。
都心と違い、商店街などが残るこの街でも、循環バス等を使えば、ある程度問題はないだろう。
だから、車を持っていない人も多い。
白澤さんの場合、通勤はバスだと言っていたし、家もここから歩いて帰れる距離だ。
実際に運転しているところを見たことがないから、もしかしたら、ほぼペーパードライバーかもしれない。
一方、私の場合、仕事の都合で店の看板車を日夜乗り回している。
花の仕入れや配達に役立つ相棒ではあるが、今言われたのは車庫で眠っている愛車の方だろう。
定休日にたまに乗り出す位で、可愛そうなことをしている自覚はあるが、今がその時のなのだろうか。
思わず、首を傾げてしまう。

「あれ、この前の休みに洗車したばかりなんですけど」
「洗車代ぐらい、僕が持つって」

そういう問題では無いのだが、一応、そういう懐の広さは持っているらしい。
洗車代と言うか、手洗いしてくれればいいのだが、上手くワックスがけが出来るのかすら怪しいので、その言葉は呑み込むことにした。
その代わりとなる、相手が引き下がる言葉を探す。

「なんで、野郎を連れて花見なんですか」

せめて、見た目に美しい女性なら、大歓迎とは言わないまでも、まぁ、理にはかなっているだろうか。
仕事上がりに男二人連れで、車で花見など、気にせずに出来るのは箸が転がっても笑えるお年頃ぐらいまでだろう。
学生時代なら、男友達とノリで花見をして、騒ぐのもわかるが、この年ではいかがなものだろう。
それなら女性とのデートで使いたいと思うのは至って普通の事だと思う。
実際、そう提案しようものなら大歓迎と喜ぶのは目の前の男の方だ。

むしろ美しいという意味では、この白豚も整った顔立ちだとは思う。
だが、いかんせん、男は男だ。
どんなに中性的な雰囲気を持っており、年の割に若く見えても、それが覆されることはない。
不満一杯なまなざしで見返せば、これだ!と言わんばかりの回答が返ってきた。

「僕、常連さん!」
「自分で言うな」

堂々と言い放つ白豚の額に、一発デコピンをお見舞いする。
次の瞬間、器用にも椅子から転げ落ちずに、バタバタと痛がる姿をわき目に、作業にもどる。
その背中越しにかけられる、もはや独り言とも言える読経のような呪いの言葉に、人知れずため息をついた。
こうなると面倒なのは、百も承知で、これだから相手もつけあがるのだと、冷静な自分が頭の中で呟く。
それでもこのまま、負のオーラをまとった白豚を放し飼いにしておけるほど、鈍感ではない。
店の奥より、箒と塵取りのセットを持ち出し、相手の目の前に置くと、今度は頭を叩く。

「労働には対価を払う義務があります。花たちは私が片づけますので、床を掃いて下さい」
「明白了。まっかせて~」

微妙な鼻歌を歌いながら、作業を始めた脳味噌綿飴な常連を横目に、つくづく自分の人の好さを呪ってしまう。
一応、作業する人手が増えたおかげで、いつもよりも閉店作業は早く終わり、遠足に行く小学生のように浮かれた白澤さんを乗せて、愛車のミニ・クーパーを一路桜並木がある川沿いへ向かわせる。

よく知り合いからは身体のサイズの割に、随分とコンパクトな車に乗っているなと変に関心される愛車は、もう随分と長い付き合いになる。
一度、この店を開く際に売ってしまおうかと考えたのだが、デートにも仕事で使う看板車で出かけるのかと指摘され、確かにそれもどうかと思いとどまった。
日本の車と違い、長く乗り続けるにはかなりのメンテナンスと費用を要するが、その分、手をかける分だけ愛着がわくというものだ。
別段、車に詳しい訳ではなかったのだが、子どもの頃、父親が好きだと言うイギリス映画を見て、虜になったと言っても過言ではない。
小さなフォルムで、レースによる実績を持っているというのも、好きな要因の1つかもしれない。
信号待ちの際、ふと隣に目をやれば、妙にそわそわとした、しかしそれでいて楽しそうな顔で窓の外を眺めている。

「ところで白澤さん、川沿いを走るだけでいいんですか」
「ううん。車が止められる場所があるから、そこに車を停めて、少し散歩したいんだけど、どうかな」
「わかりました。ナビして下さい」

地元とは言えば、普段あまりこっちの方に来る機会がなく、車を停められる場所が思い浮かばない。
白澤さんは場所もきちんと押さえているらしく、わかりやすいナビにより、なんなくその場所にたどり着く事が出来た。
野球とフットサルをするコートに隣接した駐車場は、時間帯ゆえが車も少なく、なるべく端の方に車を駐車させる。
助手席から降りてきた白澤さんの手には、店に来た時から持っていた2つの袋が握られている。
コーヒーの入った袋の方を半ば奪う形で受け取り、川沿いの土手へと登る。
目の前に広がる光景に、はっと息をのむ。

「来てよかっただろ?」
「確かに見事なものですね」

川に沿ってゆるくカーブした土手沿いには、ある一定の間隔を空けて、桜の木が植わっている。
染井吉野は江戸時代に頻繁に植えられたとされており、太い幹の木々が目立つ。
ここにも随分と年代物の木が植わっているのだろう。
のびのびと広く枝を伸ばした木には、見事なほど満開となっていた。
時間が時間の為、歩いている人は、犬の散歩や夜のジョギングをしている人が多いが、夜桜見学を目的に来た雰囲気の人たちも少なくない。
特にニュースでも今週が見ごろだと言われている為、足を延ばした人が多そうだ。

良く見渡せば、ところどころ、まだ花の咲いていない木もあるが、別の品種なのだろう。
確か、八重桜は染井吉野に比べ、1、2週間遅く咲くはずだ。
牡丹の花のように、幾重にも花びらを重ねる八重桜は、見るのは勿論の事、塩漬けにして食す事がことが出来る。
桜茶や桜寒天、長芋を桜酢で和えるのも、酒のつまみに良い。
そんな事を思いつつ、実家の母親がやっていた事を思いだし、懐かしくなる。

思い出に浸っていると、白澤さんが少し離れた位置まで移動していたことに気がつく。
ゆっくりとしたテンポで歩き出した白澤さんに続き、夜の散歩をする事を決め、己のテンポで歩みを進める。
途中、随分と冷えたコーヒーを差し出すと、相手もそれに気づいたのか苦笑いをされた。

「やっぱり、冷めちゃったね」
「そうですね。少し酸味がきついですね」

御世辞にも美味しくないコーヒーをちびちびやりつつ、一本の桜の前で立ち止まる。
それは他の木よりも歴史を感じる大木だった。
少し元気がなくなりつつあるのか、全体的にボリュームがかけるが、それでもそのサイズゆえ、妙に圧倒された気持ちになる。
おごそかというか、神気を感じると言うのか。
そう言えば、神社などでも桜の木を見る事は多い。
他にも学校や工場、並木など多くで桜の木を見るが、日本人がどれほど桜に思い入れがあるのか見受けられる。

「綺麗ですね」
「やっぱり春は花見だよね」

穏やかな空気の元、静かに花を眺める。
ただ、それだけの事なのだが、特別なことをしている気持ちになるから不思議だと思う。
街灯の光を受け、夜空を照らす桜の花々は、時々吹く風に遊ばれ、ふわふわと上下左右へとその身を揺らす。

「花は桜、人は武士だっけ?」
「優れたものの例えでしたっけ」
「うん、そう」

花で一番優れているのは桜であり、人で一番すぐれているものは武士である。
しかしこれはその言葉の意味だけでなく、別の考えも備えている。

「加々知くんの場合、パッと散るような人生が良いと思ってそうだよね」
「まぁ、私も男ですから、故郷に錦とまでは言いませんが、一花咲かせたいとは思ったこともありますよ」

私の心の中を悟ったのか、心情をそのまま言葉にされ、一瞬、驚く。
前々から思っていたことだが、白澤さんは妙に人の気持ちを使うのが上手い。
年上だからと言うよりも、何かを悟っていると言った方がいいのかもしれない。
だが、私は何でも知っているという顔をした、この人が好きじゃないと思う瞬間でもある。

次の瞬間、急に強い風が吹き、目の前の桜が大空へ舞う。
その桜吹雪の向こう側に、その中に溶け込んで消えてしまいそうな白澤さんに心が警告をならず。
気が付けば、私は目の前の男の腕をぐっと掴んでいた。

「どうしたの、加々知くん?」

力を入れすぎたのか、少し顔をしかめて首を傾げる白澤さんに、何をバカな事を自分の行動を恥じる。

「いえ、おじいちゃんが迷子になると困るかと思ったので」

とっさに苦しい言葉を返すと、"そんな年寄じゃないもん"と口を尖らせる白澤さんは、いつもと変わらずだ。
なぜ、消えてしまうと思ったのか、ぶっとんだ自分の思考に首を傾げる。

「そろそろ帰ろうか」
「そうですね。春とは言え、夜はまだ冷えますしね」

空気を読んで、それ以上踏み込んでこない白澤さんの提案に賛同し、来た道を戻る。
次は晴れた昼間に、どこか明るい場所で花見をしようと頭の中でプランを練りつつ、結局はこの男と二人で花見をすることに何の抵抗もない事に今だけは気づかないふりをした。







モドル