うちの三男は甘え下手
パチンコで大負けして帰宅したら、チョロ松が一人、台所に立っていた。
兄弟お揃いの半纏を羽織り、その下からはパジャマが覗いている。
時間はまもなく昼になろうと言う時刻である。
そう言えば、珍しく朝起きるのが遅いと思ったのだった。
普段から常識人ぶっているチョロ松にしては、珍しい事だと思う。
なんとなく違和感を覚えながらも、そのまま隣に立つことにした。

「ただいま。飯、作ってんの?俺の分、ある?」
「…あぁ、お帰り。外から帰ってきたなら、まずはうがい、手洗いしてよね」

回れ右と言わんばかりの形相に、お前は俺らのオカンか!って思う。
まぁ、兄弟なんだけど、この三男はやたら人の世話を焼きたがる。
本人的には好きで焼いている訳ではないらしいが、俺たちからしたら大差ないと思っている。
このままここにいると、ぐちぐちと小言を言われそうだと、急いで洗面所に向かう。

水道から出てくる水は、外の空気みたいに冷たい。
適当に洗うとチョロ松がうるさいだろうから、きちんと石鹸で手洗いをし、口の中もすすぐ。
実際、こうして予防をしていたって、風邪をひく時はひくわけで、どれほど効果があるのだろうと思う。

改めて、台所に戻り、様子を伺う。
ガスコンロの上で、ぐつぐつと音を立てているのは、土鍋だ。
昼間から鍋とは、それはそれで贅沢な気がする。
そう思いつつ、まな板の上に並んでいるねぎの薄切りを眺めつつ、首を傾げた。
まな板の目の前に置かれたざるには、白米が入っているのだ。
母さんが鍋のしめに雑炊をやる時と同じように、水で洗ったもののようだ。

「なんで、雑炊?鍋でよくない」
「皆が食べるなら、スープと具材は別の鍋に用意してあるよ。風邪気味だから、雑炊の方が食べやすいかなって」

主語が無い言葉に疑問を抱く。
玄関に並んでいた靴を思い出すが、この家にいるのは俺とチョロ松の二人だったはずだ。
父さんはいつも通り仕事。
母さんは近所の奥様達と食事会をすると言って出ていったのを思い出す。
他の兄弟の為に作っているとしたら、変な話である。

「風邪って、誰が?」
「僕以外に誰がいるんだよ。頭に響くから、あんまり大きな声出すなよ」

言われてみれば、確かに熱がこもったような顔をしている。
声も少しハスキーなのは、鼻と喉も炎症を起こしているのだろう。
お玉を握る手も、いつもより血の気がひいているようで色白い。
そっと握ってみると、驚くほど冷たかった。
いくら料理をするのに水を使っていたとしても、これは異常だ。
それなのに当の本人は、言っただろ?みたいな顔をしている。

「なんで、そのまま大人しく寝てないだよ」
「だって何か胃に入れなきゃ、薬飲めないだろ。別に食欲がないわけじゃないし、温かい物食べたいじゃん」

妙なところで律儀というか、融通がきかないと言うか。
普通、体調が悪い奴は人の分まで食事の準備はしないだろう。
そう言ったとしても、一度こうと決めたら考えを変えないのは、良く知っている。
それに自分がやっている事を途中からやってきた奴が否定して、主導権を奪うのは気分が悪いだろう。
そうなると、一番早いのは、一緒に昼飯を作る事だろう。

「なら、俺も手伝う。だから早く飯食って、薬飲んで寝ろ」
「おそ松兄さんにしては、珍しい。明日は雨かな」
「茶化すな。これでも本当に心配してるんだからな」 「ありがとう。じゃあ、卵の準備をお願いできる」
「分かった」

小さめのボールに卵を割り入れ、菜箸で溶きほぐす。
その脇で、チョロ松がご飯を鍋に投入している。
時々、そろりと鍋の中身をかきまぜる動作は手馴れていると思う。
あとはテーブルの準備が必要だろうと、食器棚から食事で使う器を取り出す。
コトコトと煮詰め、そろそろ卵を投入する頃合いだろう。
そう思って鍋を覗いていたら、小皿を差し出された。

「味見してもらえる?」

ふわりと香るのは、かつおだしだろうか。
ほんのり生姜の味が効いているが、全体的に優しい味がする。

「味、変じゃない?鼻がつまってるからか、よく味が分からないだよね」
「美味いよ」
「そっか。それなら、よかった」

溶き卵を均等に鍋に回し入れ、蓋をして火を落とす。
食卓に運ぶというので、そこは俺が請け負った。
さすがに運ぶ最中にふらりと倒れられたら、怖いと思ったからだ。

居間の中央に置かれたちゃぶ台に土鍋、雑炊をよそう少し深めの器、日本茶の入った湯呑を並べる。
二人だけだと、左右が空いていて変な気持になる。
正面よりも少しだけチョロ松よりに座る。
相手の様子を見ていたかったが、出来るだけ近くにいてやりたかったのだ。

「いただきます」
「いただきます」

そろって頂きますをして、レンゲに手を伸ばす。
チョロ松は喉を傷めており、余計な会話をするのも辛いだろうと、無意識に会話を避けてしまう。
会話のない食卓は妙に静かで、雑炊をすする音が唯一の救いだった。

ちらりとチョロ松を盗み見る。
いつもよりゆっくり咀嚼するのは、風邪ゆえの気だるさの影響なのだろう。
もしくは熱い食事は辛いのかもしれない。一口一口、味わうように食べている。
時々、お茶を飲で流し込んでいく。
軽く一杯しかよそっていなかった雑炊に対し、俺はがっつり2杯食し、ゆっくりお茶を啜る。

そう言えば、薬が出ていなかったと、席を立つ。
常備薬が入っている救急箱を手に取り、中の薬を確認する。
俺たち6つ子は、一緒の部屋で寝起きするため、同じ時期に風邪をひくことが多い。
しかし、風邪の症状はここに違っており、合う薬も違う。
一松は粉薬の苦みが嫌いだと、カプセルタイプの錠剤しか飲まない。
トド松は、漢方薬を好む。チョロ松が好むのは、この薬だったなと箱の中身を確認する。
少しだけ飲んだ形跡がある。
消費期限も問題なく、そのまま台所でグラスに水を注いで、居間に戻る。

チョロ松は最後の一口を口に運んだところらしく、器をテーブルの上に置いたところだった。
お茶を飲み終え、一息ついたチョロ松に持って来た薬と水を渡す。

「ありがとう、おそ松兄さん」

チョロ松は少し力のない笑みを浮かべて、差し出した薬を受け取った。
顆粒の薬を口に含み、水で流し込む。
一瞬、眉が眉間により、苦みを感じたのだと理解した。
ガキの頃と違い、大人が飲む薬は苦いものと相場は決まっている。
普段はあまり見せない表情に、少しだけ役得だと思う。
さて、あとはチョロ松をさっさと横にし、休んでもらうだけなのだが、俺の思惑を無視し、チョロ松は両手に食器を持って立ち上がろうとしていた。
分かるよ、分かる。
なんだかんだと良い子ちゃんだよ、お前はさ。
だが、限度がある。
なにもこんな日にそれをする必要はないだろう。

「あー、もう限界。お前、何してんの」
「何って、食後の片づけ」
「それ位、俺がやってやるって。いいから、お前はちゃんと休んで風邪治せよ」

きょとん、とした二つの目が俺を見つめる。
どうしてこんなにも、コイツは甘えるのが下手なのだろうか。
一人暮らしならともかく、家族と一緒に住んでいて、これはないだろう。
もう少し我儘を言っても罰は当たらないはずだ。

有無を言わさず、チョロ松から食器を奪い取り、水を張ったボールに使用済みの食器を浸す。
これで少しくらいの間、チョロ松につきっきりでも、片づける時に不便はないだろう。
本当は何もせず、二階に上がらせたいのだが、それはそれで文句が飛んできそうと思ったのだ。

「ほら、二階行くぞ」

ぽやんとしているチョロ松の腕をひき、階段へ向かう。
階段部分では、転ぶと怖いから、ゆっくり歩き、自室に入る。

「布団敷くから、ちょっと待ってろ」

ちょこんと畳の上で正座するチョロ松を確認し、押し入れに手をかける。
いつもは6人で使っている布団を敷き、真ん中に枕を並べる。
あっという間に寝床が完成し、チョロ松に手で入るように指示をする。

「欲しい物があったら言え。外出しているカラ松とかに頼んで買ってきてもらうから」
「自分で買いに行くんじゃなんだ」
「俺が出かけたら、誰がお前の看病するんだよ」

放っておいたら、先ほどみたいに自分で欲しいものを取りに出歩いて、悪化させる可能性がある。
それだけは避けたいと思い、最善の策を出したつもりだ。

「じゃあ、桃缶とさっぱりしたゼリー」

風邪をひいた時、なぜか缶詰の桃が食べたくなるのは、俺も一緒だ。
さっぱりしたゼリーは柑橘系の果物がいいだろうか。
スマフォを取り出し、ささっとメッセージを送る。
直ぐに既読の文字が表示され、承諾のスタンプが返ってきた。

「二時間後くらいに戻ってくるってよ。その間、よく寝るように」
「…うん」

布団にもぐって、こくりと頷くさまは、可愛いと思う。
自然と手が伸び、頭を撫でる。
気持ち様さそうに細められた目が、猫のようだと思う。
そのまま目を閉じるかと思ったが、チョロ松は何かを訴えかけるようにこちらを見ている。

「何?他にも何か欲しいものあるの?」

「…うん」

もぞもぞと布団から手を取り出し、俺の手に重ねてきた。

「添い寝してくれる優しい兄さんかな」

布団によっておおわれた口元から随分と可愛いセリフが出てきたものだと思う。
だが、これこそ俺が望んでいたものであり、チョロ松に足りないと思っていたものだった。

「よく言えました」

おでこにキスを落とし、重ねられた手を握り返す。 嬉しそうにはにかんだチョロ松を抱きしめるように、添い寝することにした。
数分後、規則正しい寝息を聞きつつ、"本当はもっと甘えていいんだぞ"と告げてみたが、相手は夢の中。
きっと次も同じような事が起こるのだろうと思いつつ、それもまた良い思い出だと思う事にした。



END





モドル