どうしようもない悪魔のような俺が女神様を拾ったお話(前編)
「任務完了!」

パチンと折りたたみ式のナイフを懐にしまうと、動かなくなった体を見下ろす。
足元に転がっているのは、少し前まで同じファミリーとして付き合っていた男の亡骸だ。
以前は真面目に仕事をこなすやつだったのだが、一ヶ月ほど前から勝手な行動が目立つようになっていた。
しまいには学生たちへ薬の売買を持ちかけている事実が露見したのだ。
確かに麻薬取引はマフィアにとって重要な仕事の一つだ。
しかし節度というものがある。
善悪を判断できない子供相手の仕事はすべきではないだろう。
その件で、弟のトド松と話し合うお題目で訪れたわけなのだが、訳の分からないことを言って襲い掛かってきたから、仕方なく殺る事になってしまった。
後始末が面倒だと思いつつ、奴の部屋を物色する。
下手に商売の証拠を残しているようだと、後が面倒だからだ。

「おそ松兄さん、ちょっとこっち来て」

別の部屋を見に行ったトド松から声が上がる。
どこか動揺の色が滲む声に、急いで駆けつけると、部屋の中の状態に顔をしかめた。
どうやら奴の寝室だったらしく、部屋には性の匂いが充満している。
それに混じって、かすかに血の臭い。
目の前にはシンプルなベッド。
その上には鎖で自由を奪われた人間が転がっていた。
どうやら意識がないらしく、寝ているのだろうが、その様子はそんな穏やかなものではない。
頭上で一まとめにされた手首には、鎖で拘束された際に出来た傷が出来ており、固まった血が付いている。
体には服と呼ぶのも抵抗があるほどの布がわずかに絡まっている程度で、よく見れば神話などの神が着ているような服に見えなくも無い。
下半身には、白濁の液体がこびりついており、ここで何が行われていたかうかがい知れた。

「女神様、か…」
「何言ってんの、おそ松兄さん」
「ほら、あいつが俺らに襲い掛かって来た時に叫んでただろ。俺の女神様を奪いに来たのかって。あれ、コイツの事なんじゃね」

女神と言っても、目の前に居る人物はどこからどう見ても男だろう。
布の間から見れる胸に女性的な膨らみは無い。
細い体も女性的と言うよりも、少年のそれに近いだろう。
監禁されている間、ろくに食べ物を取っていなかったのではないかという印象を受ける。
「ひとまず、保護するって事でいいのかな」
「あぁ。俺の屋敷に運んでくれ。下で待ってる十四松を応援に呼べばどうにかなるだろ」
「兄さんの屋敷に?いいの、どんな人物かもわからないのに」
「あぁ、大丈夫だ」

なんとなくだが、俺の勘がそうしろと告げている気がした。
さすがにこのままじゃ運ぶのに可哀想だろうと、黒いスーツの上着を脱ぎ、薄い体にかけてやる。
一度だけその頬に触れれば、死んでいるのではないかと言うほど冷たかった。

「さーて、どうしたもんかね」

ひとまず、ポケットからタバコを取り出して、火をつける。
吐き出した煙が拡散し、日の光が差し込まない部屋の空気を重くした。



「本当に一人にしていいの?」
「まぁ、武器を隠し持つ事も無理だし、弱ってそうだから、あまり刺激するのもね」

だから彼と二人っきりにしてくれと言えば、少しだけ心配そうな顔をしたトド松が肩をすくめた。
結局のところ、長男である俺のお願いを無碍にすることなど出来ないのだ。
それを分かっていて、お願いをしている自分も本当にいい性格をしていると思う。
「一応、バスタブにお湯は張ってあるからね。あとバスローブとタオルも準備しておいた。それから薬はあそこの箱ね。他に必要なものがあったら、連絡して」
「わかったって。ありがとうな、トド松」

ぐりぐりと乱暴に頭をなでると、子ども扱いするなと手を弾かれた。
両手をあげて、降参のポーズをとれば、大げさにため息をつかれた。
渋るトド松を見送り、客室に向かう。
見つけた時と変わらず、静かに眠り続ける男。
その頬を軽く撫ぜ、両脇の下に手を差し込んで抱きかかえる。
思っていたよりはそこそこ体重はあるらしい。
眠っていて更に重さを感じるのかもしれない。
そのまま、バスルームへ運ぶ。



バスルームの入り口には、トド松の気遣いでバスタオルが下にも敷かれていた。 その上に男を降ろし、少し考えてから自分の服に手をかけた。 事前にトド松が軽く体を拭いてくれたものの、それは目に付くところだけだ。 あの部屋を見て、楽観視出来るほど目出度い頭のつくりはしていない。 体の隅々を綺麗にするには一緒に風呂に入るのが楽だろうと思い、身にまとっていた服を脱ぎ捨てていく。 生まれたままの姿と言えば、少しは格好が付くかと思うかもしれないが、男が二人して裸と言うのは、一歩間違うと勘違いされる気もする。 まぁ、相手が運悪く目を覚まさないことを願いつつ、再度抱きかかえてバスルームに入る。 事前にトド松が準備してくれたお湯の蒸気がそこまで広くは無いバスルームを白く染める。 バスタブに手を入れると、少し温めのお湯にトド松の気遣いがうかがい知れる。 本当によく出来た弟だと思う。 男を抱えたまま、バスタブにゆっくりと沈む。 日本式の風呂が好みで、作らせたバスルームは、大の大人が二人入っても余裕がある作りになっている。 手で、軽くお湯を体にかけてやり、まずは体を温める。 手のひらを軽く握り、マッサージをするようになでる。 しばらくそうして暖を取ってから、ボディースポンジにボディーソープに垂らす。 クシュクシュと泡を立て、その泡を手ですくって体を洗っていく。 傷のある手首は先に血を洗い流してあったので、そこは避けるようにする。 首筋、肩、鎖骨、腹部へと手を滑らしてゆき、さてここからどうしたものかと考える。 結論から言うと、犯されたであろう菊門を洗ってやりたい。 これは俺の趣味ではないし、そういう性癖はない。 だから少しばかりこの行為に後ろ髪が引かれる。 そう思うなら、そもそも彼が目を覚ますまで放置すればいいわけで、ここまでやった以上、責任を取るべきだろう。 覚悟を決め、先ほどスポンジに垂らしたボディーソープを右手に垂らした。 抱き合うように抱えた体を抱えなおし、後ろへと手を這わせる。 ゆっくりと撫ぜるように手を滑られる。 懸念していたよりもあったりと己の指を飲み込んでいく。 相当慣れさせられているのだろう。 傷つけないようにと意識しつつ、軽く指曲げて中のものをかき出していく。 しばらくして、奥からぬるりと伝ってくるものに、嫌悪感を抱きつつ、作業を進める。 そろそろ良いだろうか。 思っていた以上に緊張していたらしく、深く息を吐き出す。 あとはシャワーで汚れを流せばいいだろうと思っていた時だった。 俺の体に身を預けていた彼の体が身じろいだ。 ゆっくりと離れる体。 そしてうつろな瞳が俺の顔を映した。 「あー、おはよう」 自分でも間抜けな掛け声だったと思う。 だが、人間思いがけないことがあると、気の利いた言葉も思いつかないものなのだ。 焦点すら定まっていなかった目が、正気のものと変わった刹那、強い衝撃を受けた。 「あっ、離せっ。…触るなっ!」 ばしゃばしゃと水しぶきをあげ、腕の中にいた彼が暴れ始める。 どうやらアイツと俺を混在しているのだろう。 いや、そうでなくてもこの状態は誤解を招くには十分すぎると言える。 バスタブの中で暴れられるのは、こっちも心配だし、何より興奮状態なのも良くはない。 普段なら、手首を掴みさっさと拘束するのだが、先ほど見た光景を思い出し、それは避けたいと思った。 仕方がないと正面から抱きつく。 「やめてっ。帰して」 「落ち着け。大丈夫だから」 「やぁあああっ」 この細い体のどこから出しているのか、思いのほか強い力に、腕の力を強める。 ただパニックを起こしている彼にこれだけで落ち着くのは難しいだろう。 そう言えば一定のリズムはリラックス効果があると、カラ松聞いた事を思い出し、トントンと背中を叩く。 「大丈夫。俺は敵じゃないよ」 しばらくはジタバタと暴れていたが、次第に落ち着いてきたのか、抵抗が止んだ。 そうは言っても見も知らずの相手に緊張はしているらしく、体のこわばりは続いている。 当然と言えば当然だろう。 もうそろそろ大丈夫だろうかと、手の拘束を緩め、少し距離をとる。 「あなたは…誰?」 怯えた瞳の奥に覗く強い光。 きっと本来はもっと気丈な性格なのだろう。 それが可笑しくなる程の事があったのは、想像にたやすい。 なるべく刺激しないように、へらっと笑みを浮かべる。 「俺はおそ松。君は?」 「…言いたくない」 「そう。じゃあ、言いたくなったら教えて」 警戒をしつつも、こくりと頷いてくれたことに気をよくする。 ひとまず、落ち着いてくれた事に安堵しつつ、次はどうするべきかと考える。 意識を取り戻した以上、先ほどみたいに体を洗うのは失礼だろう。 男同士とはいえ、さすがに初対面の人間が仲良く風呂に入るのも可笑しい。 ここは先に俺が出たほうがいいだろうと思った時だった、急に体を預けられた。 突然の事に驚いていると、耳元に静かな息遣いが届く。 体のこわばりも抜けており、体に手を添えて顔を覗きこむと穏やかな顔で寝ているようだった。 「忙しいヤツ」 だが、これで心配事が一つ減ったのも事実だ。 予定通り、シャワーで体に付いた泡を流し、俺は彼と一緒に上がった。 シャワーを浴びる際、髪の毛も軽く洗い流した為、タオルで簡単に拭い、ベッドへ運ぶ。 簡単に身支度を済ませ、ベッドに寝かしつける。 そうは言っても、既に寝ているので、布団をかける程度だ。 まだ濡れている髪を手で梳く。 割と細い髪の毛に、女で無い事が残念だと思う。 もっとも彼が女であんな目にあっていたら、もっと混乱していただろう。 別に男だからと軽視しているわけではない。 だが、彼が見せた力のある瞳に、時間が解決してくれそうだと感じたのは事実だ。 本当なら出来るだけ傍にいてやりたいが、己の腹が訴える空腹にそろそろ限界を感じ、ベッドから腰を上げる。 シンプルな冷蔵庫を開けると、中にはミネラルウォーターにビール、酒のつまみになりそうなソーセージとチーズ、ピクルスしか入ってなかった。 これなら、トド松に買い物を頼んでおけばよかったと後悔する。 必要なものがあれば連絡をと言っていたが、電話してすぐに届くわけでもなく、諦めることにした。 仕方ないからと割り切り、続いて棚を覗き込み、見つけたトマトの缶詰とパスタを手に取った。 一つは大きめの鍋でお湯を沸かし、それとは別の鍋を熱しオリーブオイル、にんにく、鷹の爪、ソーセージを炒め、トマト缶の中身をぶち込んで煮込んでいく。 確かローリエとかあると良いんだよなと思いつつ、無いものは仕方がないと諦める。 少し多めのソースを見つつ、目を覚ましたら食事は取れるだろうかと考える。 パスタを鍋に投入したところで客室を覗き込んだが、まだ眠り姫は夢の中らしい。 すでに二人分をゆでてしまっているので、アルデンテでないのは勘弁してもらうしかないなと思いつつ、キッチンへと戻る。 ソースを3分の1ほど、別のフライパンに移し、適当にカットしたチーズとパスタを投入する。 先に塩コショウはしていたものの、味見をしたら少しコショウが足りない気もするが、皿に盛って黒コショウを振りかけてごまかすことにした。 一人の食事など、そんなもので十分だと思う。 冷蔵庫からビールを取り出し、ささやかなディナーの完成だ。 フォーク一つでくるくると巻き取り、口へ運ぶ。 残ったパスタはあとで起きた彼のために取ってあるが、いつ目を覚ますか分からない。 出来れば自分のベッドで休みたいが、その間に彼に逃げられるのも困る。 そうは言っても、俺が相手の抜け出す気配に気づけないとは思うんだけどね。 これでもこっちの世界で食ってるんだから、そういうのは敏感なわけで、心配するだけ損と言うものだろう。 だが、先ほどの混乱っぷりを思い出すと、一人にしておくのも気が引ける。 五つ子の長男である俺は、わりと面倒見が良いのだ。 そう弟たちに言うと、疑惑の視線を集めるのだが、人気者はこれだから困る。 パスタを食べ終えたところで、眠り姫が目覚めた気配を感じ部屋に向かう。 ドアに手をかけようと思ったその寸前、どすんっと鈍い音が響いた。 「あー、大丈夫?」 キッと強い視線で睨まれた。 どうやらベッドから降りおうとして、落ちたようだ。 どれくらい拘束されていたのか分からないが、体力が落ちていたとしても不思議ではない。 実際、彼の体を見て、細いと思ったのは事実だ。 「ちょっとだけ我慢してくれよ」 反論など受け付けないと言うように、そのまま抱え上げてベッドに降ろす。 少し悔しそうな顔をしているが、先ほどみたいに暴れられなくて助かった。 「ありがとう」 「どういたしまして、お姫様」 オーバーに傅けば、軽蔑のまなざしを感じた。 冗談が分からないのかなと思って笑みを浮かべたまま、ベッドの端に腰を下ろす。 相手は警戒するように一歩後ろに下がったが、ベッドの上という限らせた広さでは、それが精一杯だったようだ。 何も言わない俺に痺れを切らしたのか、探るように口を開いた。 「お前は何者?」 「えっ、悪魔かな」 その言葉に一瞬、目を見開いた。 そんなに面白い冗談でもなかったと思うのだが、笑って相手の出方を伺えば、心底嫌そうな顔をされた。 「俺のこと、バカにしてるの?」 「こっちの世界のヤツにはそう呼ばれてるの」 ピヌースファミリーの悪魔たち。 それは俺を含む五つ子の呼び名だった。 マフィアと言うのは、世間が思っているよりも広い繋がりがあるのだが、その中でもこの呼び名を言って知らないやつはモグリだとされている。 「お前を囲ってたヤツがマフィアの一員だったのは知ってる?」 「…知らない」 視線をそらされたのは、嘘をつく為とも考えられるが、今回は思い出したくも無い事なのだろう。 本当ならもう少しオブラートに聞いてやるべきなのかもしれない。 だが、俺は辛抱強い方ではない。 それにそのまま口を噤まれる可能性もある。 「お前は何でヤツの所に居たの?」 「好きで居たわけじゃない」 「うん、それは分かるよ」 好きで居るやつを手首から血が出るほど鎖で縛り付けて拘束することは早々ないし、風呂で見せたパニックを思い出せば、無理やり監禁されていたのは想像に容易い。 話しやすいように反応は必要最低限。 同意は相手への警戒を解くのに上等な手段だ。 自分から離しかけてきたのだから、次の言葉が繋がれるのはたやすいだろう。 そう思い、相手の言葉を待つ。 「少し前に…以前居たところから連れ出されたんだ」 ゆっくりと言葉をかみ締めるように言葉が紡がれる。 予想通り拉致にあった被害者らしい。 一応、デリヘルの線も考えたのだが、本人から否定の言葉が聞けたので除外して問題ないと思われる。 「うん。それで?」 「そいつらとアイツは別人で、いつの間にあそこに連れ込まれて、訳が分からないまま…」 言葉が尻すぼみになっていく。 ふと震える指先に気づいて、自分の配慮の無さに舌打ちをした。 男とは言え、やはりショックなものはショックなわけで、思い出したくも無い事を思い出したのだろう。 これ以上は重要な事は聞けそうにないと判断し、努めて明るい声を出した。 「腹、空いてない?パスタなら、用意できるよ」 「…いらない」 「さっき、俺も同じもの食べたから味は保障するよ」 「それなら、…水が欲しい」 「うん、分かった。ちょっと待っててね」 ひらひらと手を振り、一旦キッチンへ戻り冷蔵庫の扉に手をかける。 普段ならボトルから直接口をつけるが、グラスの方がいいだろうかと棚からグラスを取り出して戻る。 本人の目の前で封を切り、グラスの半分ほど注ぐ。 「はい、どうぞ」 「…どうも」 細い指がグラスを掴む。 グラスに口をつけた瞬間、少しだけ眉をしかめ苦しそうな顔をした。 ゆっくりと水を飲み干しているが、それさえ怠慢な動きに感じる。 「本当はもっと綺麗な水がいいんだけどね」 ぼそりとつぶやかれた言葉に目を瞬かせる。 ミネラルウォーターよりも綺麗な水とはなんだろうか。 南極の氷とか言っちゃう?って冗談めかして聞けば、軽く肩をすくめられた。 「浄化された水ってこと」 冗談には聞こえない言葉に首をかしげる。 もう少し飲むかと思ったが、そのままグラスを返されてしまい、聞き返すタイミングを失ってしまった。 ひとまず、危害を加えるつもりは無い事と、ここが一般的には安全な場所である事を伝え、この件がきちんと片付くまでここに居てもらいたい旨を説明した。 それに対し静かに頷き返された。 もっとも、体力的に出て行くことは難しいだろうから、それは当然な反応だったのかもしれない。 かくして、その日は自分のベッドでゆっくり休むことが出来たのだった。 次の日、前日の片付けにオフィスに行くと、大体のことはトド松とカラ松が片付けたとの報告があった。 仕事の速い弟たちで助かると思いつつ、ソファに転がり込む。 あとは俺の屋敷にいる彼のことだが、これはトド松が今情報を集めているとの事だった。 現状、彼に関する情報はまだ上がっていないのだという。 情報収集に長けているトド松にしては珍しいことだと思いつつ、そういう事もあるかと納得した。 それを聞いて、ふと昨夜彼が言った言葉を思い出した。 「なぁ、浄化された水って何だと思う」 昼前に家を出る際、食事を取ることを勧めたが、彼が求めたのは昨夜と同じく水だった。 それも少し辛そうに飲むのは変わらない。 だから、やはり"綺麗な水"こと"浄化された水"が必要なのだろうと思ったのだ。 俺の言葉に弟たちは、ついに頭がいかれたのかと失礼な言葉を返してくる。 ついにとはどういうことだと思いつつ、弟たちの言葉に耳を傾ける。 結果、出てきた言葉は俺と同じくミネラルウォーターじゃないのって回答で、それでは解決しなかったんだよなと肩を落とした。 そんな俺に対し、無言で近づいてきたのは一松だった。 「兄さん、これ」 そう言ってぐっと手を出す一松の目の前に手を差し出すと、透明な塊が手の上に置かれた。 ひんやりと冷たいから石だと思うのだが、一松の突然の行動に話が見えない。 「水晶は浄化する力があるんだって。水に入れてみたら?」 「なるほど。確かに水晶は聖なる乙女と同じく清らかなものだったな。それであれば…」 「カラ松兄さんは黙ってて。へー、一松兄さん物知りだね」 俺が反応するよりも早く見事なボケとツッコミの連係プレーをかます弟たちを横目に、一松はマイペースに十四松の脇に戻り猫をかまい出した。 あっけに取られつつ、お礼の言葉を述べると、俺は一松からもらった水晶をハンカチに包み内ポケットにしまった。 帰宅後、ミネラルウォーターをガラスのピッチャーにあける。 普段はボトルから直接飲むのだが、サングリア用にと購入したものが残っていて助かった。 一度使ってしまいこんでいたものだが、思い出した自分を褒めてやりたい。 ハンカチに包み込んで持ち帰った、一松にもらった水晶も念のためミネラルウォーターで洗い流してから、静かに水の中に落とした。 まっすぐピッチャーの中に落ちていく水晶を眺めつつ、どれ位で効果が出るのだろうと首をひねる。 ひとまず10分くらい待って、待ちきれなくなってグラスに注いだ。 見た目には何も変化はない。 当然といえば、当然だ。 水晶の成分が溶けたりはしないのだろうかと思ったが、詳しいことなどわからないものの、大丈夫だろうと無責任な結論を出した。 とにかく試してみた結果が知りたいと思い彼の居る客室へと向かった。 「ただいまー。いい子にしてた?」 「ガキ扱いするなよ」 不愉快ですという顔を前面に出している彼は、昨日と変わらずベッドに気だるそうに寝ていた。 やはり水だけでは力は出ないのだろう。 だが、彼が望まない食事を無理に与えても食べてはくれないだろう。 それがなんとなく分かっていたからこそ、少しでも彼の願いを叶えるべくらしくない行動を取ることにしたのだ。 手にしていたグラスを、彼の目の前に掲げる。 「はい、綺麗なお水」 ぱちくりと音がしそうなほど、意外そうにグラスに視線を落とす。 恐る恐る手を伸ばしグラスを受け取ると、ゆっくりと口をつけて飲み干していく。 それは昨夜は今朝のように苦しそうな動作でなく、待ち望んでいたものを得たような動きだった。 「…うん、美味しい」 その横顔が妙に艶かしく、美しいと思った。 胸の高鳴りにらしくもなく、うろたえたのだった。



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