誘う為の理由作り
いつもと変わらぬ朝だと思った。
カーテンの隙間から外の光が差し込み、少しだけ薄暗い色に、外の天気があまり良くないらしい。
隣を見れば、川の字になって寝ている兄弟の姿は無く、1人起きるのが遅かった事を一松は悟った。
何を思っているかはわからないものの、6つ子である息子全員がニートであるにもかかわらず、両親は雨風をしのげる家と温かな食事を用意してくれている。
それこそが、自分達が自立しないでいる要因になっている事を知っているかどうかすらわからない。
とにかく、恵まれた環境にいることは確かで、己の腹が訴える空腹という現実を回避すべく、一松は一階の居間に向かった。
襖を開けた先には、何も乗っていないちゃぶ台と鏡で自分の顔を眺めているカラ松の姿があった。
あいも変わらず、痛い姿だが、今いる情報源は彼しか居らず、相手に聞こえるようにため息をついてから声をかける。

「ねぇ、ごはんは?」
「今日はマイマザーが忙しいらしくてな。何も無いんだ」
「カップ麺の買い置きって、なかったっけ」
「最後の一個をおそ松が食べて競馬に行ったところだ」

つまり、朝食の準備も無く、非常食にもなるカップ麺が無いと言うこの状況は、非常に良く無い状況と言える。
自分で作るにしても、食材があるかすら怪しい。
めんどうだから、このまま二度寝を決め込もうかと思ったところで、意外な言葉がかけられた。

「そういうわけだから、着替えて出かけるぞ」
「はぁ?」

じとりと兄を見返せば、どこから出したのか、その手には二枚のチケットらしいものが握られている。

「駅前のお店でもらった割引券なんだ。一緒に行かないか」

見れば、某ファーストフード店のモーニングメニューの割引券のようだ。
いつもの松野家の朝食メニューとしては重い料理だが、少し遅く起きた事とジャンキーな食事が嫌いではない年頃である事もあって、頷いて同意した。



普段、兄弟でいる時は何かと手厳しい扱いをしてしまう兄だが、決して嫌っているわけでないのが、一松の本音であった。
むしろ、もっと素直に言ってしまえば好いている。
兄弟愛と言うよりも、一人の男として見ていた。
それを言葉にして伝えられるほど、自分は強くなく、その弱さを隠すようにいつもきつく当たってしまっている自覚はあった。
子どもみたいな自分が嫌いだと思ったのは思春期を過ぎた頃だったと記憶している。
思えば、長い片想いである。
ゴミみたいなクズの自分が好きな人の隣に居られる理由が、兄弟と言う妬ましい障害である事が悲しくも嬉しい。
そんな複雑な思いを抱えて歩いているなど、隣の男は気づいていないだろう。
カラ松とはそういう男なのだ。
人を疑うことはしない、自分の芯を持ったぶれない男。
自分に無いものに対する少しの憧れと、もう少し自分の手に届く人物であったなら、手が出しやすいのだがと、無意味な葛藤をしつつ相手の顔を眺める。
視線に気づいたのか、それともただの偶然か。
一瞬、目が合い、にっと歯を見せて笑った顔に、可愛いと思いつつ、図に乗るなと一発わき腹にワンパンを食らわしておく。
無自覚な笑みほど毒になるものはないと思う。


かくして、特に問題なく件の店に着いた二人は、そろってレジの前に並んだ。

「うむ、どれを選ぶかそれが問題だ」

レジの店員がスマイルを顔に貼り付けたまま、内心面倒な客が来たと思っているだろうと、一松は心の中で察した。
いや、少なくとも自分が店員だったら、正面きって言ってしまうレベルだと思う。
だが目の前の女性店員はそんな事をせずに、気長にカラ松の反応を待っている。
これではモーニングタイムが終わってしまうのではないかと、時計を見て危惧してしまう。

「おい、クソ松。煩い。さっさと決めろ」
「あっ、あぁ。じゃあ、俺はこれを頼むとしよう。セットで、ポテトと飲み物はコーヒーで頼む。ノーミルク・ノーシュガーのブラックでな」

いちいち遠まわしな言い方や格好つけた言い方しか出来ないのかと、人前であることも気にせず、一松は舌打ちをする。
それに怯えるように、一瞬だけカラ松の体が震える。
何も獲って食おうと言うわけではないのに、オーバーな反応だと一松は更に苛立ちを覚えた。

「うざっ。あと、こっちのセット。飲み物はコーラで」
「他にご注文はありませんか」
「一松は大丈夫か。足りなかったら、追加してもいいんだぞ」

先ほどの怯えた表情はどこへ行ったのか、こういう所は兄であることを意識せざるを得ないと一松は思う。
お互いニートという身分で、どこまで相手の財布が持つか試したい気もあったが、それを食べるほどの胃袋は持ち合わせておらず、素直に断りの言葉を続けた。

「今日はいい」
「じゃあ、それでお願いできるかな、お嬢さん」

事前に提示した割引券と残りのお金を払おうとしたところで、一松はカラ松に財布をしまうように手で静止させられた。

「ここは俺の驕りだ。誘ったのは俺だしな」
「…そう。じゃあ、よろしく」

例えば、これがデートであれば、自分が全額出すべきだと一松は思っていた。
だが、実際は兄と弟という関係上、無碍にそれを断るのも不自然かと思い、素直に受け取っておくことにした。
最も、ニートである自分たちの財布のお金は、両親からもらったお小遣いか、短期バイト、パチンコで手にしたお金のいずれかである。
出所が同じであれば、それに感謝するのも少し違う気がすると、妙に冷静な自分がツッコミを入れたが、一松はそれに気づかないフリをした。

しばらくして出てきたトレイを受け取り、二人は連れ立って2階の窓際の席に向かう。
カウンターの一番端を陣取る一松に、カラ松はそのまま隣に腰を下ろした。
もともと実家でもパーソナルスペースが近い距離で食事をしているので、特に意図の無い行動なのは、一松も重々理解している。
だが、なんとなくそれが当然と言うカラ松の動作に、悪い気はしないと思う。
安っぽいカラーの紙に包まれたバーガーを手にとり、がぶりと食らいつく。
味のハッキリしたジャンクフード特有の味を粗食する。
食事の最中、特に話すことも無く、包み紙の乾いた音と、飲み物の氷の音が二人の間合いを計っているようだった。
ポテトをただ口に運ぶ動作を続けている一松は、なんとなくカラ松のポテトに手を伸ばした。
別に自分のポテトが空になったわけではないし、量が足りないと言うわけでもない。
ただ、大した理由は無く、それに理由をもとめるとしたら、したかったからやったという通り魔的な回答しか出てこない。
ひょいっ、ぱくっと口に運ぶ様を見ながら、カラ松はどこかうれしそうに笑みを浮かべている。

「何、その顔」
「いや、誰かと食事をするのはいいものだと思ってな」
「はぁ?いつも皆で食べてるじゃん」

ニートである自分たちが、毎日決まったように朝食の席を囲んでいるのは、ある種、習慣づいた行動だと言える。
お節介な兄であるチョロ松が皆に声をかけたり、トド松が十四松の世話をやいたり、なんだかんだとバランスをとっているのが、自分たちだと思っている一松にとって、それはとても普通な事であった。

「まぁ、そうなんだけどな。でも一松と二人っきりっていうのは、なんて言うか珍しいし、照れるな」
そう言って、コーヒーを口をつけるカラ松に、一松はうっかり口に運んでいたポテトを落とした。
無自覚とは恐ろしいものである。
この時、一松は内心穏やかなではない心持で、コーラを飲み干した。
兄弟に対しては取り付くことを知らないカラ松が口にした言葉に他意がないのは分かっている。
だが、もしかしたらと、期待したくなるのはご都合主義だろうかと、皮肉な考えを持つ自分が警告を上げている。
しかしそんな自分に気づかないフリを決めることにした。

「…それなら、今度は駅向こうのファミレスに付き合ってよ。食べてみたいメニューがあったんだ」

本当はもっと別に言いたい言葉がある。
だが、弱虫な自分に出来るのはここまでだ。
歯がゆくも、いつもよりは少しだけ背伸びをした行動だと、内心一松は自分を褒めてやりたい気分だった。
そんな気持ちを知らない想い人は、予想外の誘いに、はにかみながら頷いている。
その表情に、理由なんか無くても誘える関係になってやろうと、一松は心に決めたのだった。



END





モドル